書評

2022年10月号掲載

命長ければ辱(はぢ)多し

前田速夫『老年の読書』(新潮選書)

関川夏央

対象書籍名:『老年の読書』(新潮選書)
対象著者:前田速夫
対象書籍ISBN:978-4-10-603876-1

 老年向きの読書とは? 老年は本から何を学ぶ? という主題の読書案内で、読みでがある。
 読みでがあるのは、普通なら著名な作品の名文句・箴言を老年向けの「教養」として、あるいは「豆知識」として紹介するところを、長文の引用をもっぱらとするからだ。
 選択された哲人・作家は、ぶ厚く広い。キケロ、セネカからモンテーニュ、鴨長明、シェイクスピア、ハイデガー、川端康成、宇野千代、ボーヴォワール……とつづく。
 老年の読書は「みずからの老いをどう生き、どう死を迎えるかに直結している」と考える著者には、「偉人達人の境地に、一歩でも半歩でも近づきたい」というモチベーションがある。もっとも「シルバー川柳」などにも目配りしているから、それ一本鎗というわけでもない。
「太陽と死とは、じっとして見てはいられない」(ラ・ロシュフコオ)
 この言葉は、一般に「人は太陽と死を正視できない」と知られるが、この本『老年の読書』の著者前田速夫は、あえて『箴言と考察』内藤濯(あろう)訳からとる。
「命長ければ辱(はぢ)多し」とは吉田兼好『徒然草』の言葉だが、その後段には「長くとも、四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ(無難であろう)」とある。無欲なのか欲深なのかわかりにくいこの段は、『徒然草』「新潮日本古典集成版」(木藤才蔵校注、一九七七年)からの引用で、テキストに厳密でありたいという態度は元文芸編集者ならではだろう。
 前田速夫は一九六八年に東大英米文学科を出て新潮社に入社した。学生時代はボクシング部だった。「新潮」に配属されて小林秀雄の原稿を取りに行かされ、鎌倉行きのついでに川端康成の原稿ももらってこいといわれ、最晩年の武者小路実篤の担当者ともなった。一時文庫編集部や青年向け新雑誌準備室に在籍したものの、再び文芸誌にもどり、九五年から二〇〇三年まで「新潮」編集長をつとめた。定年退職後は宿志であった「在野の一民俗学徒」となって多くの著作をものしたが、そのうち『余多歩き 菊池山哉の人と学問』は読売文学賞を受賞した。
 六十八歳だった二〇一三年の年頭、旅先で下腹部の激烈な痛みに襲われた。大腸がんの「ステージ4」と診断されて大腸と転移した肝臓を切除し、がんを抑え込めたのは幸運であった。入院見舞いは何がいい? と友人に問われ、ハイデガー『存在と時間』(全四冊)を、といった。骨の髄までの本好き、生まれながらの読書人なのである。
 一九六〇年代半ば、青年がこぞって読み、ほとんどが途中で投げ出したポール・ニザン『アデン アラビア』(篠田浩一郎訳)にことよせて、こう書いた。
「若いころ、私は青春という言葉が大嫌いで、むしろ老年にあこがれていた」「理想とする老人になるまでには、あの俗悪で鈍感な、長い中年を経なければならぬのかと、溜息が出た」
 しかし、なってみれば老年も「これはこれでなかなか辛いものがある」。がんを寛解させた前田速夫が『老年の読書』に着手したのは、二〇二〇年、七十六歳になる年であったが、「偉人達人の境地に、一歩でも半歩でも近づきたい」とは、保守というより守旧に走りがちな年寄りらしくない。読書の動機には、読書で得た知識・心得が「いつか何かの役に立つ」という建設的とも過剰に功利的ともいえる気分があるが、それはたとえ「俗悪で鈍感」であろうと、青年や中年に特有のものだ。
 老年を客観して微笑しつつ自嘲するのは『シルバー川柳』(公益社団法人全国有料老人ホーム協会・ポプラ社編集部編)シリーズ中の老年自身の作品であろう。
〈LED使い切るまで無い寿命(佐々木義雄)/遺影用笑い過ぎだと却下され(神谷泉)/誕生日ローソク吹いて立ちくらみ(今津茂)/恋かなと思っていたら不整脈(髙木眞秀)〉
 山田風太郎『人間臨終図巻』には、こんなエピグラムがあった。
「臨終の人間『ああ、神も仏も無いものか?』 神仏『無い』」
 晩酌三日でウイスキーを一本あけ、呼吸するようにタバコを吸った山田風太郎は、自分は肝硬変か肺がんで死ぬものと思っていた。それが重度の糖尿病とパーキンソン病だと診断されて驚いた山田風太郎は、すでにその十年前にこう書いていた。
「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る」
 この本『老年の読書』は老年の読書ガイドだけではなく、老年とは何かを考える契機として大いに有用だろう。


 (せきかわ・なつお 作家)

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