書評

2022年12月号掲載

戦国を生き抜いた勇者たちのサバイバル術

近衛龍春『御家の大事』

末國善己

対象書籍名:『御家の大事』
対象著者:近衛龍春
対象書籍ISBN:978-4-10-350153-4

 武士は、家名の存続を最優先して行動していた。正室のほかに側室を持っていたのは、乳幼児の死亡率が高く嫡子が成人まで育つか分からなかったからだし、実子がいなければ養子を迎えていた。主家が潰れると家臣も路頭に迷うので、主君や跡継ぎが無能でお家の存続が危ういと判断されたら、家臣団は平然と押し込めを行っている。合戦が続き、猛将、知将も簡単に命を落した戦国時代は、武家の生き残りはさらに過酷だった。
 戦国時代を舞台にした歴史小説に定評のある近衛龍春の新作は、実在した人物を主人公に、乱世の武家の生存戦略に着目した短編集である。著者の歴史小説は重厚な長編が多く短編集は珍しいので、主人公の葛藤と合戦のスペクタクルを切れ味鋭く表現したところにも注目して欲しい。
「裏切りにあらず」の朽木元綱は、有名な合戦に幾つもかかわり、その人生は難しい選択の連続だったといえる。
 まず元綱は、朝倉攻めに失敗した織田信長を討ち取るか、領内の通過を認めるかの決断を迫られ、本能寺の変の後は、光秀に味方するか敵対するかで迷う。さらに関ヶ原の合戦で東軍につくか、西軍につくかを問われた元綱は、東軍有利と見るが、西軍が優勢な上方で旗幟を鮮明にすれば討たれる危険がある。その状況下で元綱が生き残る道を模索する終盤は、静かながら圧倒的なスリルがある。
「血を洗え」は、謀叛の罪で兄の信長に殺された勘十郎信勝の遺児・信澄が主人公だ。謀叛人の「汚れた血」を洗うつもりで生きよ、という柴田勝家の言葉に従って手柄をあげた信澄だったが、明智光秀の娘を妻に迎えていたことで、本能寺の変の勃発で岐路に立たされてしまう。親の汚名をそそぐ宿命を背負った信澄は、国の財政悪化、経済の長期低迷など、上の世代が作ったマイナス要因を背負わされた現代の若者と重なる。そのため、逆境から脱出しようとあがく信澄に共感する若い読者は多いのではないか。
 戦国時代は、忍城籠城戦で戦った成田氏長の娘・甲斐姫、耳川の戦いで戦死した夫・吉岡鑑興に代わり島津と戦った妙林尼など合戦に出た女性がいた。「遠江の椿姫」で描かれる飯尾連龍(つらたつ)の妻・田鶴も、その一人である。
 今川義元の妹を母に持ち曳馬城主の連龍に嫁いだ田鶴の人生は、桶狭間の戦いで義元が討たれたことで一変する。義元の跡を継いだ氏真を見限り、独立を果たした徳川家康に接近した連龍は、家康の後詰めがないまま今川の攻撃を凌ぐが、今川との和睦のために向かった駿府で殺された。数年後、曳馬城を攻める家康軍を、田鶴は夫から聞いた戦術で手玉に取る。田鶴の痛快な活躍は、人質として見下していた家康に嫁いだ義元の娘(表向きは姪)の瀬名のエピソードと共鳴し、乱世に翻弄された女性の悲劇を浮かび上がらせていくだけに、より強く印象に残る。
「辞世は無用」は、伊達政宗の力を借り、秀吉に奪われた旧領を回復しようとする和賀忠親を描いている。
 秀吉が死に、旧領を取り戻したい忠親は、政宗の指示通り一揆を起こした。家康と石田三成の駆け引きが長引くと見て、その間に勢力を拡大したかった忠親だが、関ヶ原での決戦は半日で家康の勝利に終わり、謀略の発覚を恐れる政宗は忠親を切り捨てようとする。とかげの尻尾切りは戦国も現代も変わらず、犠牲になった忠親の境遇が身にしみるだろう。その末路が他人事ではないだけに、どんな時も武士の矜持を失わなかった忠親の凄さもよく分かる。
「幽齋の教え」は、乱世を生き抜いた細川幽齋の孫で忠興の子ながら、数奇な人生を送った興秋に着目している。
 関ヶ原の戦いの功で加増された細川家だが、忠興の弟で興秋の養父の興元が出奔した。武家は家督争いを防ぐため長男と次男以下を区別しており、兄がいる興秋は、興元の出奔で改めて次男以下の悲哀を実感する。さらに兄の忠隆が廃嫡されるも弟の忠利が後継者に選ばれ、細川家での居場所を無くした興秋は出奔し、京の幽齋のところへ身を寄せる。幽齋の教えに従い戦国最後の合戦で華を咲かせた興秋は、小さくて取るに足らないような役割でも、懸命にこなせば輝ける実績を残せると教えてくれるのである。
 本書の主人公たちは、判断を誤れば家名が途絶える極限状態の中で、筋目を通したり、先人の教えを守ったり、謀略を駆使したりして生き残りをはかった。そのサバイバル術は、混迷の現代を生きる読者にも勇気を与えてくれる。


 (すえくに・よしみ 文芸評論家)

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