書評
2023年1月号掲載
性がもたらすもの、もたらしたこと
黒川創『彼女のことを知っている』
対象書籍名:『彼女のことを知っている』
対象著者:黒川創
対象書籍ISBN:978-4-10-444412-0
黒川創氏の記憶力の良さにはエッセイ『旅する少年』で舌を巻いたが、本書にもその力は遺憾なく発揮され、六〇年代から現在までの「性」と「生」についての記憶を紡いだ長篇小説が出来上がった。
第一章が表題作である「彼女のことを知っている」、次いで年頃になった娘との対話が記憶を呼び覚ます「海辺のキャンプ」、第三章が女優カトリーヌ・ドヌーヴについて書かれた「カトリーヌ・ドヌーヴ全仕事」、最終章が少年時代の性体験を思い返す「いくらかの男たち」。四篇に共通するテーマは「性がもたらすもの、もたらしたこと」である。
四篇とも六〇歳を目前にした著者に近い設定の小説家が語り手だ。彼は執拗に記憶を掘り返し考察しながらこの物語を語っていく。その手引きとなるのが“彼女”たち、おりおりの時代に見たり聞いたり関わったりして影響を受けた女性たちである。
「彼女のことを知っている」は、一九八八年、語り手が二〇代半ばの頃の、ギャラに惹かれて受けた映画のシナリオ書きの回想から始まる。当時の独立系映画制作会社の立場がさらっと、しかし興味深く書かれている。私の目が留まったのは、映画の原作者であるポップアート系女性画家が、そのエッセイの中でどのように自己分析しているかを紹介したくだりだ。
そこには、「「六〇年代文化」に引き続いて生起する七〇年代の「女性解放運動」の「ラディカル性」を我がものとして生きている、と自己申告。」しているとか、自分の恋人の妻と自分とは「六〇~七〇年代の性革命をはさんで両極的に対立したふたつの価値」を体現している、などと書かれている。
かつて聞き慣れた言葉である。慣れすぎて何も感じられなくなった言葉でもある。
この女性画家と私は同じ一九四八年生まれだ。団塊中の団塊世代で、似たことを口走る人たちが周りにたくさんいたし、実際私もうなずいていた。そしてそれらを礎として生きてきて、今の自分になってしまった。だから恥ずかしい。結局は自由なようで自由でなかったという屈辱的事実。その苦味が女性画家の描写から立ち上ってギクリとさせられるのだ。自分のような人がいると。
この章では他に京都川端通の北にあった「ロシナンテ」という喫茶店が重要な意味を持って登場する。「ロシナンテ」は一九七二年、団塊世代の若者たちが自ら店舗を造り上げ運営も行ったという、知る人ぞ知る実在した喫茶店がモデルだろう(実名は「ほんやら洞」といった)。ヒッピー文化の溜まり場だったそこに、語り手は小学生の頃から出入りし、中学生になるとバイトで通った。その早熟な目で見聞した、自由でしなやかな若者たちの暮らしぶりやそこに集う幅広い世代の女性たちの生き方は、彼をどのように育んでいくのだろうか。
第一章のこの二つのエピソードが後に続く三つの章の出発点となって、それぞれに意外な事実や思いがけない出来事が続々と繰り広げられる。五〇年にわたる長い年代を描いた物語なのに飽きさせないのは、ウーマンリブ、フリーセックス、中絶の権利、#MeToo運動など、いくつものスローガンが飛び交うなか、手探りで生きた女性たちの姿が、著者が得意とする歴史家的視点からも詳述され、まるでミルフィーユのような複雑な味わいを醸し出しているからに違いない。著者よりひとまわりほど上とは言え、ここに書かれた時代をリアルタイムで生きた者としては、アルバムを開いたような懐かしさもたっぷり味わえた。
私が四〇歳になる手前、女性誌の仕事に精を出していた頃、二〇代半ばの若き編集者だった著者から突然「思想の科学」への原稿依頼がきた。チャラチャラ生きている自分に何でまた「思想の科学」のような真面目な雑誌から原稿依頼がくるのか不思議でならなかったが、女の問題特集号ということだった。女の山場と言える四〇歳を前にして、子供を産むか産まないかの決断が迫る悩みについて書いたと思う。いや、家族を持つ、持たない、についてだったかも知れないが、そういうことを書いて渡した。それから私たちは友だちになった。
(よしもと・ゆみ 執筆業)