対談・鼎談
2023年1月号掲載
『死刑のある国で生きる』刊行記念対談
日本に死刑は本当に必要なのか
田原総一朗 × 宮下洋一
世界中が死刑廃止へと向かうなか、日本が死刑を続ける理由は何なのか。
アメリカ、フランス、スペイン、日本、それぞれの国の実情を丹念に取材した宮下洋一氏が、田原総一朗氏とタブーを恐れずに議論を交わしました。
対象書籍名:『死刑のある国で生きる』
対象著者:宮下洋一
対象書籍ISBN:978-4-10-354861-4
田原 お聞きしていいですか。まず宮下さん、なんで死刑の本を書いたんですか。
宮下 ひとつは、日本が死刑を廃止しない理由を知りたかった。もうひとつは、自分が死ぬと分かっている人が、どういう気持ちで生きているのかを見てみたかったんです。死を予告されている人に対してインタビューしようと思うと、「安楽死」と「死刑」しかない。安楽死についてはずっと取材してきたので、次は死刑だなと。
田原 生きるとか死ぬということに、なんでそんなに興味があるんですか。
宮下 ジャーナリズムの仕事を始めてから、ずっと海外に住んでいて、学生時代も含めると欧米での生活が二九年目になります。移り住んだ頃はアジア人もすごく少なかったし、人種差別なんかもあって悩んだことが多かったんです。そうしたなかで、どういう生き方をすれば幸せになれるのかをよく考えました。生と死はイコールで、死を見ることで生が見えてくるし、その反対も同じです。人間の幸せの本質はそんなところにあると思って、興味を持ち始めたんです。
田原 なるほど。基本的にヨーロッパの先進国では死刑はないですよね。なんでなくなったの?
宮下 根本にあるのはキリスト教だと思います。人を殺してはいけないという大原則がある。もう一つ、1949年に欧州評議会ができて、死刑廃止を推進してきたことも大きいと思います。ただこうした動きの中で、EU(欧州連合)に参加するために死刑を廃止したような国もあるんじゃないかと思うんです。
田原 なんでEUに入ると死刑廃止なんですか。
宮下 死刑廃止がEU加盟の条件になっているからです。だから国民が議論して死刑を廃止したわけではなく、政治的な判断で廃止している可能性もあるということです。
田原 ではもう一つ聞きたいのですが、同じキリスト教の国なのに、なぜヨーロッパには死刑がなくて、アメリカにはあるんですか。
宮下 実はアメリカでも二二州はすでに廃止しているんです。
田原 うん、ないところもあるね。
宮下 北部のリベラルな地域ではヨーロッパと同じように死刑廃止へと動いていますし、ヨーロッパより早い時期に廃止している州もあります。一方、南部の保守的な地域は、日本に似たところがあって、人を殺した人に対する正義としての死刑が認められています。
死刑がある日本とアメリカ
田原 ヨーロッパの先進国とアメリカの一番の違いは、アメリカはもともとネイティブアメリカンの国ですよね。これを白人たちが占拠したわけです。しかも、アメリカは奴隷制度があった。ヨーロッパにはないですよね。なんでアメリカは奴隷制度があったんですか。民主主義に完全に反しているのに。キリスト教的にはどう考えればいいんだろう。
宮下 そこにはさまざまな歴史的要因も絡んでいて、一言でまとめるのは難しいですね。
田原 アメリカにはいろんな矛盾がある。アメリカは銃による殺人も多いですよね。それなのになんで、国民が銃を持つことを禁止しないんですか。日本は禁止ですし、ヨーロッパも禁止なのに。
宮下 ヨーロッパも銃は結構あります。たとえばスイスはすごく銃が多い社会で、銃による自殺も多いんです。だから、安楽死を認めるという話も耳にします。
田原 でもアメリカは圧倒的に多い。
宮下 一〇万人当たりの銃器殺人件数が、アメリカで四・一二人、フランスで〇・三二人、日本は〇・〇二人という数字が出ています。
田原 アメリカには死刑がある。他人の土地を占拠した歴史があって、奴隷制度があって、銃がある。日本にはどれもないですよね。それなのに日本は死刑がある。これはなんでだろう。
宮下 なんででしょうね。僕が取材を通して一番知りたかったポイントでもあります。
田原 やっぱり日本は完全にアメリカに従属しているわけです。アメリカみたいな国になろうとして、ヨーロッパみたいな国になろうとしてないんですよね。これ、どう考えりゃいいんだろう。
宮下 たしかにそういう面はあります。アメリカが死刑を廃止すれば、日本も廃止するだろうと指摘する専門家もいます。実際に起こり得る話だと思いますが、その判断は間違っているとも思います。
田原 どういうこと?
宮下 死刑を政治的な話にしてはいけないと思うんです。日本社会のなかで長く続いてきた制度であり、価値観でもありますから、それをアメリカとの友好関係を維持していくための手段として廃止したら、日本社会の根幹が揺らいでしまう。
田原 アメリカとヨーロッパ、日本は何が違うんだろう。
宮下 文化的な話ですごく難しいところだと思うんですけど、日本人は自分で責任を取るという文化がありますよね。「腹を切る」という行為をずっとしてきた国だから。悪いことをしたら自分で責任を取るべきだという意識が根底にあると思うんです。
田原 コロナの時に緊急事態宣言が出ましたが、日本以外の国は違反したら厳しい罰則がある。なのに、日本だけはない。なんでないんだと安倍(晋三)さんに聞いたら、日本人は政府の言うことをちゃんと聞くからだと。なんで、日本人はそういう自主規制があるんだろう。
宮下 僕は緊急事態宣言下のスペインにいて二カ月家の中で生活したんですけど、ルールを守らないで外に出る人もいるし、ストレスを抱えてガラスを割ったりする人もいたんですよね。日本は、法のルールの前に世間のルールがある気がします。その世間のルールがあまりにも厳しいために、それを破ることができない。ちょっと息苦しい社会ではあります。ヨーロッパというのは個の世界なんで、個人が嫌だと思ったら外に出ればいいし、お腹がすいたら食べ物を盗めばいいし、実際に暴動も起きます。
田原 ヨーロッパと日本の一番の違いは、ヨーロッパはまず個人があって、それから社会がある。日本は個人がない。主体性がないんですよ。なんでないんだろう。
宮下 これは僕の感覚ですけど、日本人は自分個人だけが良くても幸せを感じないんですよね。周りにいる全員が幸せを感じなければ幸せを感じられないし、他の人のために自分は犠牲になってもいいと思うのが日本人なんです。つまり、全体の協調性の中における幸せだと思うんです。個の世界と集団の世界の違いがあって、日本は個が確立しないほうが、むしろ幸せを感じて生きていられる国なんじゃないでしょうか。
葉梨前法務大臣の失言の意味
宮下 田原さんは死刑についてどう考えて来たんですか。
田原 僕はやっぱり、残虐な犯罪があるかぎりは、 死刑制度はあった方がいいと思うんですよ。だけど、執行はしない方がいい。死刑制度はあっても執行はしない。どうですか、それは。
宮下 私も本書の取材を通して、同じ答えに辿り着いたんです。だから田原さんがなんでそういう考えに至ったのかを知りたいです。
田原 だって、死刑を執行する人間は大変ですよ。葉梨康弘前法務大臣が「法務大臣は死刑のはんこを押したときだけニュースになる地味な役職だ」と言って問題になったけど、あれは辛いから言ってるところもあるんです。ところが、現に執行されている。死刑を宣告された人間は、その後何を支えにして生きるんですか。
宮下 そこは僕も知りたかった重要な点です。でも日本では死刑囚に会えないので、聞くことができないんです。だからアメリカで会ってきました。アメリカではそれは信仰です。神を信じる。ただ、日本の場合は多分そういう神によって救われるとか、支えられるという信仰がないので、日本の死刑囚がどういう思いを持って独房で暮らしているのかはわからないんです。
田原 日本人はもともとそんなに強い信仰心はないですよね。
宮下 今回、真宗大谷派の住職の方に取材したんです。日本の仏教のなかで唯一、死刑に反対と公言してきた宗派ですが、その住職の叔父が殺人事件の被害者で、住職は裁判の時には、死刑になってほしいと思ったし、死刑の判決が下された時にはすごくホッとしたそうです。でも、やっぱり死刑にはしてほしくないという思いもある。彼らが死刑に反対するのは、罪を犯した人が改悛する過程を奪うからです。でも日本では死刑囚に会えないので、改悛しているのかどうかわからない。それは問題だと言ってました。
田原 でも改悛したところで執行されるんだから、あんまり意味ないわけだ。改悛したら執行されないとなれば、意味があるけど。
宮下 そうですね。執行するかしないかというのは、最終的には法務大臣が決めることです。執行したくなければ、死刑執行命令書にサインしなければいい。全ては法務大臣と総理大臣の考え方次第だと思うんです。
田原 でも、総理大臣や法務大臣はそんなことよく知りませんよ。真剣に考えたことがない。
宮下 そこが問題だと思います。
田原 だから、葉梨みたいな話になるわけだ。
宮下 そうなんです。その前の古川禎久法務大臣は就任から二カ月強で死刑を執行しました。人の死を最後に決めるということをどこまで分かっているのか。
田原 生きるとは何か、死ぬとは何かということを研究してないですよね。
それでも死刑が必要な理由
宮下 僕は、死刑は死刑囚のためにあるべきだと思っているんです。死に向き合うことによって、死刑囚が自分の罪を反省したり、自分がどういう罪を犯したのか、死ぬとはどういうことなのかということを考えるきっかけになるからです。
田原 心の底からね。
宮下 だけど死刑がなければ、ヨーロッパのように三〇年とか一五年とかで出てきちゃいますよね。彼らは死に向き合っていないので、反省しない。
田原 残虐な事件を起こしても反省しない?
宮下 反省しないですね。たとえば2011年にノルウェーのウトヤ島などで起きた爆破・銃乱射事件で、七七人を殺したブレイビクという犯人がいるのですが、彼はいまだに自分には責任がないと言っていて、まったく反省がないんです。刑期が一〇年経ったので、2022年の初めには仮釈放申請をしています。いずれにしても三〇年すれば社会に出られるとも言われている。そういう社会であっていいのかという思いが僕にはあります。実際に再犯率がものすごく高いんです。
田原 ヨーロッパ? あ、そうですか。高いですか。
宮下 刑罰には応報刑論という、罪を犯した者に罰を与えるという考え方と、教育刑論という、彼らを教育することで社会に復帰させる考え方があります。ヨーロッパは教育刑論ですから、犯罪者でも反省させれば社会にまた貢献できるという考えのもとで死刑を廃止しているんですけど、現実的にはそうはなっていない。
田原 再犯率が高くても、もう一回死刑制度を考え直そうかという話にはならないわけね。
宮下 ならないですね。でも国民レベルでは死刑賛成の声も多いんです。国民の感情というのは、古今東西問わず同じなのかなと。
田原 残虐な犯罪を起こした人間は、死刑にするべきだと。
宮下 だから、欧米人にはそのもどかしさがある。死刑を復活させたいって思っている人もいます。
田原 なるほど、うん。
現場射殺は新たな死刑か
宮下 最近、フランスでは警察による現場射殺事件が増えて、問題になっています。2022年に入って警察に殺された人が一二人います。正当防衛によらない射殺です。
田原 そんなにいるの。
宮下 2017年に警察の正当防衛の条件が緩和されて、自分が危機を感じたら撃っていいことになってしまったんです。フランスも銃社会で、テロもあって警察も命がけですから、その結果、職務質問を拒否しただけで射殺されるような事件が起きています。
田原 日本なら大問題だ。
宮下 現場射殺事件で息子が殺されたお父さんに話を聞きに行ったんです。すごく印象的だったのが、あんな形で息子が殺されるのであれば、ちゃんと裁判をやった上で死刑になった方がよっぽどましだったと言っていたんです。
田原 ほう。
宮下 日本で死刑が執行されると、毎回、フランス大使館が死刑廃止を求めるメッセージを出します。でも、日本で死刑が執行されたのは2021年が三人、2022年が一人です(12月14日現在)。彼らは長い時間をかけた裁判で死刑判決を受け、死刑が執行されるわけじゃないですか。フランスでは道端で殺されている人が、一年で一二人いるんですよ。裁判も経ていない無実かもしれない人を殺すっていう行為は、死刑よりも人権に反しているんじゃないですかと、日本は言ってもいいと思います。
田原 職務質問を拒否しただけで射殺。マスコミは問題にしてないの?
宮下 日本人はこのことをまだ知りませんが、フランスでは最近クローズアップされています。それだけ治安が悪くなっている。日本社会がこれだけ治安がいいのは、子供の頃から悪いことをしたら死刑になるんだよと教えられているということが、一つあると思うんです。犯罪抑止のデータというのは、調査できなくて出てこないんですけど、いろんな国を取材していて、やはりそういう力は働いているんじゃないかと僕は強く思います。
田原 だから死刑は残す。でも執行はしない。
宮下 そうですね。
田原 まったく一緒です。
(たはら・そういちろう ジャーナリスト)
(みやした・よういち ジャーナリスト)