書評

2023年2月号掲載

冴えわたる“竜崎マジック”の鮮やかさ

今野敏『審議官―隠蔽捜査9.5―』

関口苑生

対象書籍名:『審議官―隠蔽捜査9.5―』
対象著者:今野敏
対象書籍ISBN:978-4-10-300262-8

 本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』は、『初陣―隠蔽捜査3.5―』『自覚―隠蔽捜査5.5―』に続く《隠蔽捜査》シリーズのスピンオフ短編集第三弾である。
 私見だが、長く続く良質なシリーズ作品には必ず見られる特徴がある。その中でも最も強く感じるのは、巻を重ねるごとにキャラクターが成長していくということだ。それは何も主人公だけに限ったことではない。脇役たちも同時に成長し、存在感が高まってくるとストーリーにも自然と厚みが生まれてくる。
 本シリーズはその典型例だろうが、長編では脇役ひとりひとりにスポットライトを当てて丁寧に描くことは意外に難しい。ところが短編なら、これが容易に出来てしまうのだ。しかも短編は長編と違って、物語の起承転結はさほど重要ではない。時として「転結」や「承結」で物語を組み立てることも可能だ。ただし、その一方で高度な技術が要求される。枚数に制限があるため、無駄な描写を削ぎ落とし、切れのある、冗長にはならない文章を書き上げなければならないからだ。また一行目から読者を引き込む力業も必要とされる。本書は竜崎が大森署を去り、神奈川県警に異動したあたりのことが、脇役たちの視点で描かれているが、今野敏は本当に見事な腕の冴えと力量を見せつけてくれる。さらにその上で、周囲の人間が直面する難題を、たったひと言で一気に解決してしまう“竜崎マジック”を各編で炸裂させるのだ。
 たとえば冒頭の「空席」だ。その第一行。
「斎藤治警務課長は、全身から力が抜けてしまったように感じていた」
 たった今しがた、大森署を去っていった竜崎を見送ったばかりの斎藤の感想だ。これだけでもう万感の思いが伝わってくる。だがそんな思いとは関係なく事件は発生する。ひったくり事件が起こり、第二方面本部の野間崎管理官からの要請で緊急配備が敷かれることになったのだ。しかしほどなくタクシー強盗が発生、こちらも別に緊配の指示が出る。同時に二件の緊配対応となると大森署はパンク状態となり絶対に無理だった。さてどうすればいい? 貝沼悦郎副署長以下、大森署の幹部らは頭を抱えるばかりだった。しかもこのとき新任の署長の着任が一日遅れ、署長の席は空席のままだった。
 野間崎管理官と大森署(正確には竜崎だが)の関係は、『果断―隠蔽捜査2―』のときから始まる。このときも緊配をめぐっての出来事だった。緊配を敷いていたにもかかわらず、強盗犯がこともあろうに大森署管内を通って逃走していたのだ。これに激怒した野間崎管理官が署長室に怒鳴り込み、今すぐ全署員を講堂に集めろと着任したばかりの竜崎に詰め寄ったのである。それ以来の因縁の関係がある。とはいえ、今、竜崎はいない。思い余った斎藤警務課長は、竜崎に電話をかけ相談する。すると――。
 竜崎の言葉を聞いた瞬間に、斎藤は自分は今まで一体何を悩んでいたのだろうと思うのだ。
 これが“竜崎マジック”である。
 冗談ではなくこの鮮やかさ、爽やかさ、清々しさは何とも言えず、とにかく胸のすくような快感が、読んでいて全身に湧いてくるのだ。いや、本当に驚くぞ。
 それから戸高と生活安全課の根岸がコンビを組むストーカー対策チームは、『去就―隠蔽捜査6―』に詳しい。そしてそして、だ。注目の新任署長である。この人物は、ひと足早く『カットバック 警視庁FCⅡ』で我々の前に登場しており、このとき大森署に捜査本部が立ち上がり、池谷管理官やあの田端捜査一課長までが藍本新署長を見て、うっとりとしていたものだった。
 続く「内助」「荷物」「選択」は、それぞれ竜崎の妻・冴子、息子・邦彦、娘・美紀の視点で描かれ、本シリーズが家族小説の側面も備えていることを教えてくれる。
 神奈川県警に異動してからのエピソードも描かれるが、「専門官」に登場する板橋武捜査一課長は『宰領―隠蔽捜査5―』で竜崎に出会っており、キャリア嫌いだった自分がこの人の部下なら大丈夫と感じた当時の思いが蘇る一編だ。
 表題作の「審議官」以下の「参事官」「信号」は、『探花―隠蔽捜査9―』の延長上にあるエピソードだ。
 ここで描かれるのは、本シリーズではお馴染みの「たてまえと本音」の相違、考え方だ。一般の常識ではたてまえというのは表向きの意見で、本当のことは別にあるという意味に捉えられているかもしれない。だが、竜崎は違う。たてまえこそが、真実だと断ずるのだ。なぜなら、たてまえを重んじることこそが、警察官僚の生きるべき道だと信じているからだ。この生き方に感動を覚える読者は多い。


 (せきぐち・えんせい 文芸評論家)

最新の書評

ページの先頭へ