書評
2023年2月号掲載
芝居に救われた人たちの物語の、その先に
永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』
対象書籍名:『木挽町のあだ討ち』
対象著者:永井紗耶子
対象書籍ISBN:978-4-10-352023-8
小説を読む。映画を見る。
テレビドラマの感想をSNSで語り合い、コミックの発売日を待ち侘び、舞台のチケット入手に情熱を燃やす。
私たちの周囲にはさまざまなフィクションが溢れている。嘘の話なのに、絵空事なのに、どうして私たちはここまでフィクションを求めるのだろう。
その答えを『木挽町のあだ討ち』が教えてくれた。
舞台は人気芝居小屋・森田座を擁する木挽町。ある雪の夜、そこで一件の仇討ちがあった。まだ元服前の美しい若衆・菊之助が、父を殺して逃げていた下男を見事討ち取ったのだ。その様子は木挽町の語り種となった。
それから二年。菊之助の知り合いを名乗るひとりの武士が木挽町を訪れた。彼は仇討ちの現場にいた人々のところを巡っては、当時の話を聞かせてほしいと頼む。呼び込みの木戸芸者、舞台の立師(たてし)、衣装係の女形、小道具職人とその妻、そして芝居の台本を書く筋書。彼らは自分が見た仇討ちの様子を説明するが、すでに決着した一件の、いったい何をその武士は知ろうとしているのか?
物語は一話ごとにそれぞれの人物が語る、持ち回りのインタビュー形式で進む。菊之助とどんなふうに出会い、どんな交流を持ち、どんなふうに仇討ちのことを知り、そして当日どんなふうにそれが起きたか。なるほど、仇討ちの背景をこうして炙り出していく趣向なのだな、と思った。
ところがそれだけではなかった。武士は、それぞれの話し手の来し方も知りたがるのだ。どのように生きてきて、何があって芝居小屋で働くことになったのかを教えてほしいのだと。
最初は首を傾げた。目撃者たちの過去が仇討ちに何の関係があるというのか。だがその疑問はすぐに忘れた。なぜなら、彼らの語る話が実に胸を揺さぶってきたから。
吉原の遊女を母に持ち、吉原で幇間(ほうかん)をやっていた男がなぜ芝居小屋の木戸芸者をやっているのか。剣の腕で身を立てるつもりだった武士が芝居小屋で働くようになった理由。孤児となって火葬場で育った衣装係の壮絶な過去。一人息子を亡くして失意の中にあった職人夫婦が立ち直ったきっかけ。放蕩者だった旗本の次男を筋書の道へと背中を押した存在。
ひとりひとりにまったく異なるドラマがあり、涙や怒りや虚無があり、けれどそれを乗り越えて今日を生きている。何度も胸が詰まった。そして共通点などないように見えた彼らの過去が、ひとつの点に集約されることに読者は気づくだろう。
これは芝居に救われた人たちの物語なのだ。
自分に嘘をついたり、理不尽な運命に苛まれたり、居場所がなかったり、大きな悲しみを抱えていたりして、自分ひとりの力ではどうしようもなかった。視野が狭まり、思考が固まり、絶望で体も心も身動きがとれなくなった。そんなとき、ひょんなことから芝居に触れる。そのフィクションが彼らを救うのである。
もちろんそれで問題が解決するわけではない。けれどフィクションだから伝えられることがあるのだと、嘘の話だからこそ響くものがあるのだと、彼らは教えてくれる。芝居のいったい何が彼らを変えたのか、一話ごとに異なるそのドラマをどうかじっくり味わっていただきたい。フィクションに救われた彼らの〈物語〉は、そのまま読者である私たちを救ってくれる。だから私は小説を読むのだと、小説を紹介する仕事をしているのだと、すとんと腹に落ちた気がした。
ところが驚くべきことに、この物語にはその先があるのだ。第五話の途中で思わず声を上げてしまった。そこにつながるのか、そういうことか。物語は終盤で大きくその様相を変える。もちろんその展開をここで明かすわけにはいかないが、そこまで積み上げてきたエピソードの本当の意味が、永井紗耶子がこの物語に託した本当の狙いが、思いがけない形で浮かび上がるのである。本書は時代ミステリとしても一流だとだけ言っておこう。実にテクニカルだ。
これは〈物語〉を生み出す側としての、永井紗耶子の決意表明だ。すべての小説好きに、フィクション好きに本書を薦めたい。〈物語〉の持つ真の力が、ここにある。
(おおや・ひろこ 書評家)