書評

2023年2月号掲載

安井浩一郎『独占告白 渡辺恒雄―戦後政治はこうして作られた―』刊行記念特集

「戦後の怪物」の全体像に迫る最良のノンフィクション

佐藤優

対象書籍名:『独占告白 渡辺恒雄―戦後政治はこうして作られた―』
対象著者:安井浩一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-354881-2

 読売新聞主筆の渡辺恒雄氏(1926年5月30日生まれ)は、96歳になる現在も政治に無視できない影響を与えているプレイヤーだ。本書は、戦後の怪物である渡辺氏の全体像に迫る最良のノンフィクションだ。著者の安井浩一郎氏の取材力と筆力、さらにこの作品の基となったNHKの番組を制作したチームの能力の高さが反映されている。
 本書では3つの視座から渡辺恒雄という謎を解き明かそうとしている。〈第一に、渡辺は「戦争との距離感」の中で動いてきた戦後政治を最も間近で見てきた取材者であり、また自身もその体現者であるという点である〉。〈第二に、渡辺の記者人生そのものが、良きにつけ悪しきにつけ戦後の政治家と政治記者の関係を象徴するものであるという点だ〉。〈第三に、人間感情に突き動かされてきた戦後政治を誰よりも知悉(ちしつ)するメディア人であるという点だ〉。この三方向からのアプローチによって、知識人でありながら泥臭い政争を好み、時にはフィクサーのような行動をし、保守派言論人でありながら確固たる非戦の思想を持ち、太平洋戦争を美化するような動きや首相の靖国神社公式参拝に反対するという、わかりにくい渡辺恒雄という人物の内在的論理を整合的に描くことに成功している。
 安井氏は、渡辺氏の発言内容についても丹念な裏付け取材を怠っていない。中曽根康弘氏(元首相)が、陣笠議員だった頃から渡辺氏と勉強会を行っていた話はよく知られているが、今回、安井氏は勉強会の内容を明らかにする重要な資料『サイエンティフィツク・ポリティツクス 第一回報告』(1959年2月)を国立国会図書館に寄贈された中曽根氏の遺品の中から発掘した。〈中曽根が科学技術庁長官として入閣する四ヶ月前の日付である。まだ初入閣も果たしていない時期から、中曽根と渡辺は総理の座を見据えた勉強会を行っていたのだ。後に中曽根が自らの派閥を「政策科学研究所」と名付けていることからも、この勉強会に対する愛着のほどが窺える。/勉強会の名の通り、小冊子の本文は「今日の政党、特に保守党に欠けているのは政治を科学化しようとする精神である」という書き出しで始まり、政治にも「科学的管理のメスを加え」なければならないと強調されている〉。中曽根氏は、周囲にブレイン集団(その筆頭格が渡辺氏である)を持った大統領型首相だった。官僚機構に全面的に依存せずに政策を構築できるシステムがなければ、中曽根政権が国鉄分割民営化や軍事面における日米同盟を強化することはできなかったであろう。また国鉄分割民営化により戦闘的労働運動の拠点であった国労(国鉄労働組合)を弱体化したことが社会党の解体につながり、日本の政治構造を根本的に変化させることになった。渡辺氏は、早い時期に中曽根氏に「投資」し、自らの理念を実現することに成功したと言えよう。
 本書を通じ、渡辺氏に一貫しているのは、共産党型の前衛主義、すなわちエリートが大衆を導いていくという発想だ。渡辺氏の共産党観も興味深い。〈「共産党本部の玄関を入ったところに大きなビラが貼ってあって、『党員は軍隊的鉄の規律を厳守せよ』と書いてあるの。俺は軍隊が嫌いだからやってきたのに、共産党も軍隊かと思ったね〉と回想する。そして、1947年のカスリーン台風の際に共産党東大細胞(支部)会議で、〈『変電所のスイッチを切って、全国停電を起こす。日本中が暗黒になる。食うものもなくなったとき、初めて飢え、餓(かつ)えた人民は体制打倒のために立ち上がる。それが必要だ』〉という話を聞き、〈『共産党を出なきゃいかん。中にいたんじゃどうにもならん』と思ってね、脱党を決意したね」〉と述べる。渡辺氏は、共産党の軍隊的体質と陰謀団的発想で世の中を変えることはできないと考えた。しかし、意識が高く能力のある者たちが大衆を指導しなくては、日本は生き残ることができないと考えた。保守という価値観に立ちながらも、渡辺氏は現在までずっと前衛主義をとっていることが本書から浮き彫りになる。
 機微に触れる情報の取り方に関する渡辺氏の手法も興味深い。〈渡辺はどのようにして取材相手の信頼を得ていったのか。「あえて書くことを抑制することで相手の信頼を得る」という自らの取材手法について、次のように語る。/(中略)『これは本当に書かんでくれよ』と言われたことは書かない。そうすると『もう大丈夫だ』と、次から次へ『王様の耳はロバの耳』みたいな調子で、全部しゃべってくれるようになるんだよ〉。評者も外交官時代にロシア(旧ソ連を含む)において、情報収集業務に従事していたが、がっついてこちらが知りたいことを聞き出そうとするよりも、よき聞き手となって信頼関係を構築することで、結果として秘密情報を得ることができた。政治エリートの心理は日本でもロシアでも同じなのだ。
 本書を通じて伝わってくるのは、渡辺氏の人間に対する関心が強いことだ。〈「僕は日本の戦後史の流れを見たとき、イデオロギーや外交戦略といった政策は、必ずしも絶対的なものではなく、人間の権力闘争のなかでの、憎悪、嫉妬、そしてコンプレックスといったもののほうが、大きく作用してきたと思うんだ」〉という渡辺氏の見方を評者も全面的に支持する。


 (さとう・まさる 作家/元外務省主任分析官)

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