書評
2023年2月号掲載
「貴族」への偏見を揺さぶる一冊
君塚直隆『貴族とは何か―ノブレス・オブリージュの光と影―』(新潮選書)
対象書籍名:『貴族とは何か―ノブレス・オブリージュの光と影―』(新潮選書)
対象著者:君塚直隆
対象書籍ISBN:978-4-10-603894-5
2022年9月に行われた英国のエリザベス女王の国葬は、あらためて「君主」や「貴族」の存在について考える機会になったのではないか。もちろん、21世紀の今日、それらはさすがに時代遅れの存在であり、民主主義社会の根本原則にそぐわないという意見もあるだろう。とはいえ、葬儀の極めて厳粛な雰囲気には英国の歴史的伝統の厚みを感じたし、国王としての責務に捧げた女王の生涯に独特な感動を覚えたという人も少なくないはずだ。
英国という現代国家が、どう考えても時代にそぐわないように見える制度を後生大事に維持していることには、何か深いわけがあるのではないか。ひょっとしたら、それは遠い日本にとっても示唆するものを持つのではないか。そう思った人はぜひ本書を手に取ってほしい。
特に重要なのは、英国君主制の研究者として知られる著者が、本書ではさらに「貴族とは何か」という問題に挑戦していることである。当然、「貴族」という言葉に反発を覚える人もいるかもしれない。「(立憲)君主」はともかく、いくら何でも「貴族」には現代的意味はないだろう。仮に歴史学的な意味はあるとしても、それ以上に私たちにとって関心を呼ぶものではないはずだ。しかしながら、そのような偏見は、この本を最後まで読めば、大きく揺さぶられることになるかもしれない。
本書は「貴族」について古代ギリシア・ローマ、古代中国、中世ヨーロッパと歴史的に展望していくが、やはり読みどころは、18世紀以降の英国貴族である。フランス革命をはじめ他のヨーロッパ諸国の貴族制が次々と倒れていったのに対し、不思議なことに、英国貴族だけは単に生き延びただけでなく、むしろ政治的・社会的に大きな役割を果たしたのである。
本書で描かれるように、英国議会政治の担い手は、グレイ、ピール、ソールズベリなど貴族の出身者が目立った。彼ら英国貴族は民主主義の敵として革命に葬られるのではなく、むしろ議会制や政党政治に適応し、さらにはそのリーダーシップすら握った。
フランスの貴族であり、『アメリカのデモクラシー』や『旧体制と革命』の著者であるトクヴィルは興味深い証言をしている。彼によれば、フランス貴族と違い、英国の貴族は民主的階級の敵として憎まれるのではなく、むしろ民主的階級を代表して議会を拠点に国王に対抗した。絶対王権によって政治的機能を奪われる一方、特権者階級としては存続して人々の憎しみを買ったフランス貴族に対し、英国貴族は地域では治安判事などの公職を担い、さらに貴族院議員として国政でも活躍したのである。
ある意味で、英国の貴族階級は、自らの独立性を維持することで、国王やその政府と民衆を媒介しつつ、英国政治の安定と改革に寄与したと言えるかもしれない。「貴族」という民主主義と相容れない存在が、むしろ近代国家の民主化を促進し、円滑化したという逆説を、フランス革命で打撃を受けた貴族階級の出身であるトクヴィルだけに強く感じたに違いない。
ちなみに、英国貴族がその子弟の教育の場として、パブリック・スクールを重視したこともよく知られている。そこではギリシア・ローマの古典教育に力点が置かれる一方、ラグビーやサッカーなどの集団的スポーツが重視された。そのねらいは、大英帝国の発展に貢献する公共的精神を持つ人材の養成にあった。英国において貴族とは、単に爵位や財産を世襲するだけの寄食的存在ではなく、むしろその高貴なる地位ゆえの責務(ノブレス・オブリージュ)を担う存在であることを期待された。
実際、第一次世界大戦において、貴族出身の将校の死亡率は一般の兵士と比べて著しく高かったという。貴族とその子弟は実に五人に一人が命を失った。このことが相続税と相まって英国における貴族の没落をもたらしたのである。
日本の貴族についての章も重要である。伊藤博文らは、ヨーロッパ、特に英国の貴族制を念頭に、同様な役割を果たす貴族制度を導入した(興味深いことに福沢諭吉もまた、同様の構想を抱いた)。しかしながら、公家や旧藩主、さらに明治維新の功労者から成る日本の「貴族」たちは自立した財産を持たず、むしろその内部での対立により、「皇室の藩屏」として期待された役割を果たすことはなかった。そのような貴族院に代わった戦後の参議院についての考察も、本書の注目すべき寄与である。
民主的社会において、通常の利益政治から独立し、「徳」と公共精神を持った社会的集団を持つことは不可能なのか。このことを考えるためにも有益な一冊である。
(うの・しげき 東京大学教授)