書評
2023年3月号掲載
じわりじわりと心にしみる
ベルンハルト・シュリンク『別れの色彩』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『別れの色彩』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ベルンハルト・シュリンク/松永美穂訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590186-8
このところ、好きだったミュージシャンや愛読した作家、仕事で言葉を交わした人、大学の研究室が隣り合わせだった人など、知っている人の訃報が続く。「会うは別れの始め」とか「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」とか、あるいは「愛別離苦」とか、若いころはそんな言葉を聞いても、重くは受けとめなかった。ところが還暦を過ぎたあたりから、切実なものとして感じられるようになった。訃報をきっかけに、その人のいろいろなことを思い出す。「もっと言葉を交わしておくのだった」などと後悔をともなって。
だからベルンハルト・シュリンクの『別れの色彩』は、じわりじわりと心にしみる。一種の老人文学ですね、これは。いや、もちろん若い人にもおすすめします。
九つの短篇で構成される。それぞれ登場人物や舞台は異なり、「別れ」という題材だけが共通している。
「別れ」はその人との関係性を否応なくあぶり出す。
たとえばこの短篇集のいちばん最初に置かれた「人工知能」。「ぼく」が幼馴染みのアンドレアスについて語る作品。「ぼく」はベルリンに、アンドレアスはバイエルン地方に住んでいたが、アンドレアスが亡くなるまで一緒に山歩きをしたりコンサートやオペラに行ったりしていたというのだから、かなり仲のいい友人といっていいだろう。
アンドレアスが亡くなったあとも、「ぼく」は彼と心のなかで対話したという。だが、〈彼が生きているときには、この友情に突然問題が生じるかもしれないという不安があったのに対し、死んだアンドレアスとの対話は屈託のないものだった〉と記すあたりから不穏な雰囲気が出てくる。
問題はその不安の中身だ。
「ぼく」とアンドレアスは、ともに旧東ドイツの数学者で、総合情報科学(サイバネティクス)と情報工学の若きスターだった。アンドレアスは西ドイツへの逃亡を計画したが、「ぼく」が秘密警察に密告したために失敗に終わった。アンドレアスは刑務所に送られ、出世の道は閉ざされた。そして、「ぼく」が彼に取って代わった。
なぜ密告したのか。「ぼく」は本心を明かさない。幼馴染みを妬んだのか、彼が就くかもしれないポストを横取りしたかったのか。
やがてベルリンの壁が崩され、ドイツは統一される。「ぼく」はITコンサルタントとして生きのびる。いや、それどころか成功する。時代の波に乗るのがうまいのだ。一方で、密告の過去を隠したままアンドレアスとの交流を続けた。アンドレアスが死んだときはほっとしただろう。これで秘密が露見するという不安におびえる必要はなくなった、と。ところがアンドレアスの娘、レーナがあらわれて、秘密警察の資料を閲覧すると言い出し、「ぼく」は再び不安のなかに突き落とされる。
この短篇には、人間の過去とのつき合い方、折り合いのつけ方がよくあらわれている。「ぼく」は密告したことを悔いていないという。密告したことを隠してアンドレアスとつき合い続けたことも悔いていない。それどころか、密告はアンドレアスのためになったのだと正当化すらしている。そう言いながら、秘密が露見することを恐れている。ほんとうに「ぼく」は過去を悔いていないのだろうか。アンドレアスが死んだことで、「ぼく」は彼に詫びる機会を永遠に失った。
「姉弟の音楽」は五十年の時を経て男女が再会する話。十代のころ、ふたりは同級生だった。少年の家は貧乏で、少女の家は大金持ち。少女には車椅子生活の弟がいる。少女は少年を頻繁に自宅に誘い、弟の遊び相手になるよう仕向ける。少年の恋心を意識的に利用したのだ。弟は少年を大歓迎し、仲良くなるが、やがて少年は三人の関係が重荷になる。少年は逃げ出すようにアメリカに留学する。そして偶然、半世紀ぶりにかつての少年と少女が再会する。
男には、自分が裏切って逃げたという負い目がある。しかし、負い目があるのは男だけではない。女と弟の間に何があったのかが明かされる。
どの作品も結末までにひとひねり、ふたひねりある。「ああ、こういうふうに終わるのか」と、止めた息を吐き出しながらページを閉じる。
(ながえ・あきら 書評家)