書評

2023年3月号掲載

女王が作った滋養たっぷりのスープ

阿川佐和子『母の味、だいたい伝授』

南陀楼綾繁

対象書籍名:『母の味、だいたい伝授』
対象著者:阿川佐和子
対象書籍ISBN:978-4-10-465523-6

 食に関するエッセイのアンソロジーが好きで、ずいぶん読んできた。私が見る限り、阿川佐和子さんはこのジャンルの女王で、弁当、ビール、おやつ、肉、珈琲、つまみなど、さまざまなテーマのアンソロジーに、エッセイが採録されている。名前が「あ」行で著者の筆頭にされることが多いから、よけい目立つのかもしれない。
 手元にある『カレーライス!!大盛り』(杉田淳子編、ちくま文庫)には、阿川佐和子さんの「カレー好き」と父である作家の阿川弘之の「米の味・カレーの味」が揃って収録されている。後者は『波』に連載された『食味風々録(ぶうぶうろく)』の冒頭の一編だ。
 そしていま、娘の阿川佐和子さんが『波』で「やっぱり残るは食欲」を連載している。同誌にともに連載を持った親子はほかにいるだろうか?
 その連載をまとめた二冊目である本書『母の味、だいたい伝授』にも、食を通じての父や母の思い出がふんだんに出てくる。
 うまいものを食べることに執着する父のために、結婚するまであまり台所に立たなかったという母はさまざまな料理を学んだ。母の死後、そのレシピを記したノートはなくなってしまった。
 それでも、阿川さんは記憶をもとに「だいたいこんな感じ?」で、母の味を再現しようとする。クリームコロッケ、シーザーサラダ、鶏飯(とりめし)、糠味噌……阿川さんの筆にかかると、どれもうまそうだ。
 レモンライスなる聞きなれない料理も出てくる。
「バターで炒めた鶏肉、玉ねぎ、マッシュルームにホワイトソースをからめ、最後にレモンを一個分まるまるたっぷり絞り込む。それを白いご飯の上に、カレーライスのごとくかけて食べる」
 この一文だけでよだれが出そう。阿川さんは少女の頃からこの料理が好きで、よく母にリクエストしたという。
 父の要求に応えて料理上手になった母だが、晩年にはもの忘れが進んだ。癇癪を起しながら「お前の作るちらし寿司が食べたいよ」と云う父に向って、「ちらし寿司なら、東急に売ってますよ」と切り返す。その場面は鮮やかだ。
 一方、父が最期に残した「まずい」という言葉も、とうもろこしの天ぷらとともに印象に残る。
 阿川さんは、2006年から2012年まで『クロワッサン』で「残るは食欲」、17年から本誌で「やっぱり残るは食欲」を書き続けていて、それらは『残るは食欲』シリーズ三冊と『アガワ家の危ない食卓』、そして本書の計五冊にまとまっている(本書以外は新潮文庫)。
 一編がほどよい長さで、次にどんな料理が出てくるのか気になるので、かっぱえびせんのごとく、ページを繰る手が止まらない。
 レモンライスやちらし寿司のように、何度も出てくる料理がある。阿川さんにとって大事な記憶なのだろう。ただ、手練れの料理人は同じものを扱っても読者を飽きさせることはない。次の一文は、自身の文章の極意でもあるかもしれない。
「献立作りはまるでリレーのようである。残った惣菜や材料のバトンを受け止めて、変形させ、新たな料理に生まれ変わらせる。同時に料理と料理の相性を考えて、箸の動きを促進させるよう工夫する」
 コロナ禍の蟄居生活においても、日常をよどませず、新鮮で面白くなるように考える。朝食の定番とされる目玉焼きを夕食に食べ、朝のトーストに味噌汁を合わせるという「朝夜交換」のアイデアも目から鱗だった。食べることはもっと自由でいいのだ。
 私事だが、昨年末から気分が落ち込む日々が続いた。そんなときは、自炊するのも外に食べに出るのもおっくうになる。しかし、本書に出てくるさまざまな料理、たとえば鶏飯のつくり方を読むと、「醤油をタラタラタラ」などと表現が心地いい。なんだか食欲が湧いてきて、久しぶりに食材や調味料を買い込んだ。阿川さんほどうまくはできないけど、いろいろつくってみるつもり。
 阿川さんの食エッセイが魅力的なのは、根底に人間に対する好奇心があるからだろう。そして、好きなことを決して諦めないバイタリティも。
 だから、アニサキスや牡蠣に何度当ったとしても、やっぱり次も食べるのだろう。


 (なんだろう・あやしげ ライター/編集者)

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