書評

2023年3月号掲載

「欧州」の視点からロシア・ウクライナ戦争の本質を読み解く

鶴岡路人『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)

千々和泰明

対象書籍名:『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)
対象著者:鶴岡路人
対象書籍ISBN:978-4-10-603895-2

 ロシアによるウクライナ侵略が開始されて一年。衝撃とともに始まったこの戦争の現在までの振り返りに加え、長期化が予想される事態への今後の向き合い方を考えるのに有益な書が、時宜を得て世に出た。
 ロシア・ウクライナ戦争をめぐっては、日本のメディアでも大きく取り上げられ、社会のニーズに応えるかたちで専門家が連日のように発信をおこなってきているが、著者の鶴岡路人氏はそうした専門家の代表格の一人である。そうした多忙のなかで著者は、『フォーサイト(Foresight)』などの媒体で、事態の推移と同時並行的にいくつもの論考を執筆してきた。本書はこれらの論考をベースにロシア・ウクライナ戦争を丹念に分析するとともに、同戦争を冷戦後のNATO(北大西洋条約機構)や米欧関係といった大きな文脈のなかに位置づけて考察したものだ。書名に「欧州戦争としての」とあるように、欧州全体を視野に入れることで、ロシア・ウクライナ戦争の本質を多様な視点から明らかにすることに成功しているといえる。
 本書がカバーする範囲は多岐にわたるが、ここでは特に二点にしぼってその内容の一部を紹介したい。第一に、核兵器使用を含むエスカレーションの抑止についての分析である。侵攻開始以来、ロシアがことあるごとにおこなってきたのが核使用の脅しだ。この点についてはまちがいなく、米露間での核の応酬というエスカレーションは避けなければならない。一方で本書は、NATO側でのエスカレーションへの懸念と、それにもとづく強い対応への反対論・消極論が強まれば、逆にロシアが核を使用する誘因を高めてしまいかねない逆説を指摘する。ロシアが核を使用した場合の報復リスクが低下するからだ。
 第二に、戦争終結の見通しについてである。2022年9月にプーチン大統領はウクライナの東部・南部の四州を「併合」すると一方的に発表した。ロシアの憲法が領土の割譲を禁止していることからも、「併合」なるものの結果を覆すことはロシアにおいては難易度がきわめて高い。そうすると今後有力と考えられるシナリオとして本書が挙げるのは、この戦争が「凍結された紛争」になるというものだ。双方の疲弊や力の均衡の成立によって、戦闘自体はどこかの時点で収束するが、正式な和平合意は結ばれず、いつでも再び不安定化する、という状態である。ウクライナにとっては、自国に不利な「凍結された紛争」化を避けるためにも、占領地を早期に奪還する必要性がさらに上昇した。
 本書でまず印象的なのは、欧州政治・安全保障に関する専門知に裏打ちされた、丁寧な論理展開であり、そのことはたとえば「NATO不拡大約束」を分析した箇所でもうかがえる。ロシア・ウクライナ戦争の原因については、「NATOがロシアと交わした不拡大約束を破ったからだ」との言説があり、具体的には1990年にベーカー米国務長官がゴルバチョフ・ソ連共産党書記長との会談でNATO不拡大に同意したとされる発言が取り上げられることが多い。この点について本書は、同会談をドイツ統一問題との関連で読み解き、かつNATO・ロシア間の長年にわたるやり取りの積み重ねを踏まえながら、「NATO不拡大約束」といわれるものの実態をあぶり出している。複雑な外交交渉の意味を正確に理解するには、専門知が必要となることを示す好例といえる。
 また、要人の発言や政府の発表を分析する際も、著者は「本当は誰に対するメッセージなのか」という点や、言外の意味を見逃さない。たとえば2022年4月にロシア外務省が、ウクライナ領内における米国とNATOの武器輸送は合法的な軍事標的とみなすと警告したことについて、ロシア側の強硬な態度を示すものと多くは理解した。しかし本書が指摘するように、ここでのポイントは「ウクライナ領内における」という表現だ。実際に現在までにロシアは、西側からの武器供与があるにもかかわらずウクライナ領外にはただの一発の銃弾も撃ち込んでいない。本書を通じて読者は、「国際政治におけるメッセージの読み方」を鍛えられるだろう。
 日本においても、2022年12月に策定された新安保三文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)で、反撃能力の保有や防衛費増額が明記されるなど、国民の安全保障観が急速に変化した。この背景に、東アジアでも台湾有事や朝鮮有事への懸念がくすぶるなかで、ウクライナをめぐって実際に力による一方的な現状変更の試みが起こったのを目の当たりにしたことがあったのは論をまたない。今回の戦争におけるウクライナ人によるロシアへの抵抗は「人間が命をかけてでも守りたいものは何かという、戦後の日本人がほとんど問われることのなかった問題を投げかけている」という著者の言葉に、今こそ耳を傾けるべきだ。


 (ちぢわ・やすあき 防衛省防衛研究所主任研究官)

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