書評

2023年4月号掲載

戦争体験者としての小津

平山周吉『小津安二郎』

川本三郎

対象書籍名:『小津安二郎』
対象著者:平山周吉
対象書籍ISBN:978-4-10-352472-4

 いま小津安二郎について書くのは難しい。実に数多くの小津論が出ていて、語り尽されている観があるから。
 平山周吉は、そんな小津論氾濫のなか、あえて小津論に挑んだ。当然、ぜひとも書かなければならない新しい思い、視点があった。私見では、それは戦争体験者としての小津だった。
 正直なところ、原節子との関係や城戸四郎との軋轢、「晩春」における父と娘の関係など、すでに多くが語られる問題については、おさらいになっている。
 それより、本書を読んでいていちばん心高ぶるのは、平山が小津を戦争体験者、より正確にいえば「同世代の中では少数派の支那事変出征者」ととらえるところ。
 小津は中国戦線で多くの死を見た。盟友の山中貞雄監督をこの戦争で失なっている。一方、自分は無事に帰還できた。しかし、それで小津のなかで戦争は終わらなかった。「以後、小津の映画は『戦争』を抜きにしてはありえなくなる」。
 戦争は本書の重要な通奏低音になっている。平山はまず、昭和26年(1951)に公開された「麦秋」の同時代の批評を読んでいると、「『麦秋』に強く影を落とす戦争について、言及されることが少ない」と疑義を呈し、自らは、「麦秋」に影を落とす戦争について指摘してゆく。とくに圧巻は、尊敬する小津研究の第一人者、亡き田中眞澄の論に導かれながら、ラストの大和の麦畑のなかを花嫁行列が行くシーンを、戦争で死んでいった者たちを追悼していると指摘するくだりだろう。「麦秋」はあきらかに戦争で亡くなった者たちへの悲しみにひたされている。
 その流れで、平山が「麦秋」で、時折りスクリーンにあらわれる空に着目するのも心を衝かれる。「空」といってもよく言われる小津の「空(から)のショット」ではない。文字通り、人の世の上に広がる空である。
「麦秋」では、しばしばカメラは空をとらえる。平山は、その空は、中国大陸で戦死した原節子の次兄、省二の両親である菅井一郎と東山千栄子によって見上げられる、いわば死者のいる彼岸であると語る。この指摘は説得力がある。
 戦争を否定することと、戦争で死んでいった者を追悼、慰藉することは別のことである。あの戦争は否定しても、兵として取られ、死んでいった者は追悼しなければならない。生き残った者が死者を想わないで、誰が追悼するのか。平山は「麦秋」の同時代評が、死者を語らず、鎌倉での中流の生活、28歳の原節子の縁談にばかり興味がいっていることに違和感を覚える。そして書く。「戦争の傷跡はまだまだ残っていても、戦後を生きる日本人の関心は目の前のことに集中してしまっていたのだろうか」。
 ここには、昭和史研究家である平山周吉の静かな怒りのようなものを感じる。その怒りがあるから「麦秋」で、鎌倉を一人歩く、老いた菅井一郎が横須賀線の踏切りの手前で疲れて歩みをとめる。その時、カメラはまさに菅井一郎の末期の目で見られたような空をとらえる場面に敏感に反応する。戦争でわが子を失なった父親にとって、空を見ることは祈りになっている。この場面に着目した平山は素晴しい。

 前述したように、小津は日中戦争で、自分より年の若い盟友、山中貞雄を失なっている(病院でなくなった)。その山中の若い死は小津にはつらいことだった。
 平山は、戦後の小津の映画には、戦争の影ならぬ山中貞雄の影が落ちていることも語ってゆく。
 山中は小津の家の庭に植えられた鶏頭(あるいは葉鶏頭)の花に目を留めて、戦場へと出て行った。小津はそのことを覚えていた。だから戦後の小津の映画には、随所にさりげなく鶏頭の花がカメラでとらえられる。麦と並んで鶏頭は、小津の山中への哀悼の思いがこもっている。
 あるいはまた、「風の中の牝𨿸」に突然出てくる紙風船、「晩春」における有名な壺、「麦秋」における歌舞伎の「河内山」は、それぞれ、山中貞雄の「人情紙風船」、「丹下左膳余話 百万両の壺」、「河内山宗俊」を意識しているという指摘も面白い。
 いちばん敬服したのは、「小早川家の秋」のラスト、葬列が伏見の橋を渡るシーン。伏見は日露戦争以後、第16師団が置かれた軍隊の町だった。そして第16師団とは日中戦争に召集された山中が属した部隊だった。この指摘には驚いたが、平山がこれを知ったのが、沼田純子という学者が大学の紀要に発表した論文だというのにも、氏の丹念な資料渉猟があらわれている。
 さらに新鮮なところがある。通常の小津論では語られることの少ない、「宗方姉妹」と「東京物語」における、地味な存在の山村聰に着目したところ。
 この二作の山村聰が地味なのは、彼が戦争体験者であり、日本の戦後社会にうまく溶けこんでいないからだという指摘にも納得する。いま小津映画を見ることは、あの戦争をもう一度考え直すことに他ならない。


 (かわもと・さぶろう 評論家)

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