書評

2023年4月号掲載

愛のレクチャー33本ノック

原田マハ『原田マハ、アートの達人に会いにいく』

高橋瑞木

対象書籍名:『原田マハ、アートの達人に会いにいく』
対象著者:原田マハ
対象書籍ISBN:978-4-10-331755-5

 美術鑑賞の愉しみのひとつは、鑑賞後、予想もしなかった新しい人との出会いや会話のきっかけをもたらしてくれることだ。そして、往々にしてその会話は社交辞令を飛び越して対話相手への深い共感や理解へとつながる。原田マハさんの小説に登場するゴッホやピカソ、モネやルソーの人生が、喜びや悲しみ、愛や挫折という絵具で彩られ、それがキャンバスに層をなして一枚の絵として完成する様子を、わたしたちは物語を通して感受することができる。だが、なかなかどうして、話を聞いてみれば、美術作品のコレクターや、アーティストを公私にわたってサポートするパトロンたちの人生のキャンバスもアーティストに負けず劣らず彩りに満ちている。たとえば、モネの睡蓮を初めて見たのはいつどこで、その時何歳で、その作品がどんな衝撃を与えたのか、果ては人生を変えてしまったのか、などなど。美術作品の話をしていたはずなのに、気がつけば彼らの半生の話になっていた、なんてことはしょっちゅうだ。

 原田マハさんが2014年からおよそ7年間にわたって33人のアートの達人と繰り広げてきた対談も、だからひとつひとつが濃厚で、味わい深い。では本書に登場するアートの達人とは一体誰か。それは、写真、映画、建築、マンガ、詩や短歌、絵本の創作者に加え、コレクター、美術史家、美術館館長、文学者、音楽家、シンガーソングライターと、とにかく多岐にわたる。しかしこの達人たちに共通するのは、みんな「アートとは社会や人間にとって一体何なのか」という哲学的命題をそれぞれの分野で真摯に追究している求道者であることだ。だから、本書をくれぐれも普通の対話集と思うなかれ。本書は対話集という体裁をとってはいるものの、実は超一流講師陣によるアートについての愛に溢れたレクチャー33本ノックなのだ。「アートを見るなら、すこしは勉強もしてほしい。ただ楽しければいいってものじゃないでしょう。」(小池一子(かずこ))、「『生きる』ことを『活かす』と書いて『生活』でしょう。今の時代はただ生きているだけの人が多いじゃないですか。起きて食べて仕事してウンコしてまた寝るだけじゃ、まるで人糞製造機です。」(美輪明宏)、「夢というものは外からの力で消えるようなものではなくて、自分の内的な世界で自由に作れるものなんです。」(槇(まき)文彦)、「美意識って別に、洋服のセンスのことじゃない。一人の人間としてのスタイルや好奇心、あるいは常にこのままではいけないと思うような心地よい不足感、です。」(鈴木郷史(さとし))といったしびれるパンチラインが次々と達人の口から繰り出されてくる。

 注目してもらいたいのは、本書の中で原田さんが対談相手に「実は私、昔お目にかかったことがありまして……」とおずおずと告白する場面が何度もあることだ。原田さんはまだ作家・原田マハになる前、アートの達人を目指して修行中のころ、教えを請うべく「たのもーう」と(言ったかどうかはわからないが)、アートの達人たちの道場の門扉を叩いていたのだった。恐れを知らぬ突破者・原田マハ、ここにあり。原田さんのかつての学友として何よりも感慨深かったのは、竹宮惠子さんとの対話だ。早稲田大学の博物館学の授業で机を並べていたころ、わたしたちの間で盛り上がっていた話題は、実は名画や展覧会についての話ではなく、もっぱら愛読していた少女マンガについてだった。対話の中でも語られているが、原田さんは傑作『風と木の詩(うた)』に描かれている、萌える緑の樹木たちが登場人物たちの心象をいかに象徴し、かつ画面に装飾的な効果を与えているか熱弁を振るっていたっけ……。

 ともあれ、私自身、アートの仕事に携わりながら常々思うのは、ジャンルにかかわらず優れた芸術作品とは、創作者の生命のエネルギーが作品から発信されている、ということだ。だが、実はそれだけでは作品は作品として成立しない。創作物を社会という舞台に出すプロデューサーや、優れたところを言語化する語り手、そしてなによりも作品からエネルギーを受け止めることができる、心と頭がやわらかな鑑賞者という存在が、必須なのだ。その点で、アーティストやマンガ家、建築家といった創造者に加えて、さまざまな立場で創作をサポートする達人にもおおいに語ってもらった本書は、アートを愛する鑑賞者の情熱や知性が創作物をアートたらしめる舞台裏を垣間見せてくれる、懐の深い一冊なのである。


 (たかはし・みずき Centre for Heritage, Arts and Textile 香港館長)

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