書評
2023年4月号掲載
数学とは「ずる」である
マーカス・デュ・ソートイ『数学が見つける近道』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『数学が見つける近道』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:マーカス・デュ・ソートイ/冨永星訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590187-5
若い頃、学校の授業や受験勉強で苦しめられてきた我々は、その記憶(トラウマ)のせいか、まとわりつく悪感情に邪魔されて、数学をフラットな目で見ることが難しい。
学校を離れ「数学と無縁の暮らし」を重ねる中で、無事に逃げ果(おお)せたのだと安堵して「数学なんて、これまで私の人生に何の関係もなかった」とうそぶく人もいる。
そうした人も本当は、自分が正しいことを言っていないと薄々感じている。
今も、あなたや私がほとんど意識することなく「数学と無縁の暮らし」を続けていけるのは、誰か(もしくは何か)が代わりに数学をしてくれているからだ。虚数や三角関数を知らなくても、買ってきた電化製品をコンセントに差し込めば使うことができるのは、設計者や電気の理論を考えた人たちが数学を代行しているからだ。代行してくれるのは人だけではない。例えば、車や携帯電話に組み込まれた GPS は、不断に連立方程式を解き続けて、我々の位置を算出している。
しかも、ヒトと数学との付き合いは、文字のそれよりも古い。例えば、およそ数万年前のものと推定される、アフリカ・コンゴで発見された後期旧石器時代の骨角器「イシャンゴの骨」は、刻み目の数が素数や掛け算を示しているとも言われる。またメソポタミア文明の遺跡から発見された、球、円盤、円柱、三角錐、円錐など様々な形をした粘土玉は、計算に使われていたトークン(計算玉)であることが分かっている。これは同文明が生んだ最古の文字(ウルク古拙文字)に先行するものだ。
苦しみ以外何も与えないのなら、どうして数万年もの間、人類は数学を手放さなかったのか。
その答えは明らかだ。数学は役に立つ。それはもう、憎たらしいくらい圧倒的に、それも社会の隅々に至るまで広範に。
その強力さの正体を、本書の著者は端的に「近道(ショートカット)」と呼ぶ。
数学という「近道(ショートカット)」を使えば、たとえば5分かかる計算が1秒でできる(子ども時代のガウスのように)。時間が短縮できるだけでなく労力も大幅に削減できる。端的に言えば楽ができる。
横並びの勤勉さを尊び、社会正義よりもポリティカル・コレクトネスよりも「ずるい」という感情を優先する我々の社会では、もう少し解説が必要だろう。
かつて小学生だった時分、何かで読んで知っていた1から100まで足し合わせた答えを一瞬で出すガウスの方法を披露した時、受けた罵倒を覚えている。クラスメイトは一斉に「ずるーい!!」と声をあげた。
ご安心を。教師はちゃんとこう言ってくれた。
「そうです。でも数学は、やってもいい『ずる』なんです」
数学は、5分かかることを1秒でできるようにするだけではない。何百年かかるかもしれない道のりが10年で済むようにできるなら、一生行き着けないはずの場所にも届くだろう。そうなれば人生が変わる。社会が変わる。
例えば、もしも微積分がなかったら、微分方程式を知らなかったなら、我々は未だに月に届いていないかもしれない。
我々は、数学という近道が変えた世界、今もなお変えつつある世界に生きているのだ。
世界を支える無数の「ずる」について、誰かに代わりにやってもらうという「ずる」を我々は駆使して生きている。
しかし、できるなら「ずる」を我が物にして、自分の身の回りのことや、時々やらなくてはならない重大ごとについて、もっと早く楽にできる、より高次の「ずる」を身につけることができたら、素晴らしいことではないか。
数学のあらゆる分野に精通することはできなくとも、身の回りにある「ずる」の正体を知ることなら、できるかもしれない。我々の目からは普段「ブラックボックス」になっている「ずる」の蓋を開き、その内で数学がどんな仕事を担っているのか、まずは知るところからだ。
そのために、ここにうってつけの書物がある。ガイドは、アカデミックな科学の世界と一般市民をつなぐことを任務とする2代目「科学啓蒙のためのシモニー教授職」のマーカス・デュ・ソートイ。『素数の音楽』以来、優れた数学ないし科学の啓蒙書を書いてきた著者は、今度も読者の期待を裏切らない。
加えて、これまでの啓蒙書と異なるのは、今回の本『数学が見つける近道』が、すぐに役に立つ「ずる」に満ちた、バリバリの実用書でもあることだ。
これが実用書を書いてきた評者が、書評を引き受けた理由である。
(どくしょざる 独学者/作家)