書評

2023年4月号掲載

日常と非日常が自然に混ざり合う

彩瀬まる『花に埋もれる』

大森望

対象書籍名:『花に埋もれる』
対象著者:彩瀬まる
対象書籍ISBN:978-4-10-331965-8

 官能的でかぐわしく、甘くやさしくやわらかく、それでいてときおりはっとするほど硬く鋭く、不穏な気配を漂わせる。心地よい弛緩と息詰まる緊張。身につまされるリアルな日常と、突拍子もない非日常。彩瀬まるの小説は対極にある二つのものを平然と包み込んで、独特としか言いようのない魅惑的な世界を構築する。モノに対する耽溺と、身体の変容をテーマにした六つの短編を収める本書『花に埋もれる』は、その世界の最良の部分を切りとって展示する。それは同時に、デビュー以来十三年近い彩瀬まるの歩みを一望できるギャラリーでもある。そこに描かれている感情は、たしかに恋愛と言えば恋愛だが、現実にはお目にかかれない偏愛であり変愛だ。
 ――と、抽象的な言葉を並べるより、ひとつずつ作品を紹介しよう。全六編は、発表の順序とは関係なく、見慣れた現実からだんだん遠ざかっていくような順序で並んでいる(ように見える)。
 巻頭の「なめらかなくぼみ」は、美しい黒革の一人がけアームソファにひとめ惚れしてしまった “私” が語り手。ノワールと名付けたその椅子を自宅に迎えたことで、恋人との関係も変化しはじめる。
 続く「二十三センチの祝福」は、大手家具メーカーに勤める主人公が、同じアパートの上の階に住む売れないグラビアアイドルと、靴の修繕を通じて奇妙な関係を結ぶことになる。
 三話目の「マイ、マイマイ」では、大学生の “私” が、どうやら心変わりしたらしい恋人の体からこぼれ落ちた、乳白色のおはじきのような奇妙な石を拾う。
 四話目の「ふるえる」は、言わばその発展形。物語の世界では、恋をすると体内に石が発生する。両思いなら相手の体にも石が生まれ、石と石を交換することで絆が深まる。しかし、片思いのまま石がとりだされると、恋心はぷつりと断ち切られてしまう。
〈代わりに不定形の、濃霧に似た喪失感が押し寄せる。中の湯を捨てた茶碗のように、鈍く体に残る熱がじわじわと下がっていく。満たしていたものがなくなったさみしさで目尻に涙が浮かび、それなのにほんの数秒前に自分を満たしていた甘く苦しい感覚はまるで思い出せない〉
 鮮やかに描かれる喪失が、あるはずのない“石”の存在をありありと浮かび上がらせる。イギリスの老舗文芸誌 GRANTA 電子版に、“Trembling” のタイトルで英訳された逸品だ。
 五話目の短編「マグノリアの夫」では、モチーフが石から植物に移り、魔術的な技巧によって、主人公の夫がいつのまにかごく自然に(タイトル通り)木蓮の花に変わる。
 巻末に置かれた「花に眩む」は、第9回「女による女のためのR-18文学賞」の読者賞を受賞し、小説新潮2010年6月号に掲載された彩瀬まるのデビュー作。デビュー作にはその作家のすべてがあると言われるが、「花に眩む」も例外ではない――というか、より生々しく凝縮されたかたちで、ストレンジフィクション的な(SF 的な)設定が生かされている。なにしろ、同居人の肌にはツリガネニンジンの花が咲き、主人公の肌にはセンニチコウの花が咲く。そして、高級な革鞄のセールスをしている “高臣さん” について、主人公はこう述懐する。
〈背中やへそのまわりや腿の辺りにはやわらかなハトムギの葉が茂っている。この人の葉のかたち、やわらかさ、鼻をうずめた時の匂いを、私は知っている。それを思うだけでぼんやりとお酒のまわりが早くなった〉
 肌から植物の芽が生えるだけではなく、そうした植物性が人間のかたちや心のありようを変え、出産や恋愛にまで影響した挙げ句、小説のかたちまで変えてしまうところに彩瀬まるの特徴がある。
 実際、物語の途中になにげなく挿入された〈私は母の十六番目の子供だった〉という一文が不意打ちのように読者を襲い、この小説の世界がわたしたちの知る世界とは決定的に違っていることを思い出させる。小説世界の住人たちは、わたしたちとは違う体を持つことによって、わたしたちとは違う感情を抱く。しかし、考えてみれば、わたしたち自身の体も、ホルモンバランスや生理学に支配されて、その影響が心や感情に及んでいる。
 日常と非日常が自然に混ざり合う彩瀬まるの小説世界は、わたしたちの世界のさまざまな不条理を映す鏡なのである。


 (おおもり・のぞみ 書評家)

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