書評
2023年4月号掲載
バランス感覚に優れた破格の新人
寺嶌曜『キツネ狩り』
対象書籍名:『キツネ狩り』
対象著者:寺嶌曜
対象書籍ISBN:978-4-10-354971-0
寺嶌曜(てらしまよう)のデビュー作『キツネ狩り』は、抜群の刺激に満ちた警察小説だ。特殊な設定で冒険しつつも現実から乖離せず、地に足の付いたエンターテインメントとして愉しめる。この完成度、この迫力、感嘆するしかない。
N県の警察官の尾崎冴子は三年前、婚約者が運転するバイクに乗車中、転倒事故を経験した。その事故で婚約者は命を落とし、冴子は右眼の視力を失った。それを契機に彼女は六年半在籍した刑事課を離れ、警務課に異動した。そのバイク事故は自損として扱われているが、彼女は納得しておらず、現在も休日を利用するなどして、事故原因を調べている。バイクの直前を横切り、事故を引き起こした “黒い影” がなんだったのかを……。
という序盤の紹介では、“抜群の刺激” も “特殊な設定の冒険” も感じられないであろうが、著者は、それを読者に提供するのに先立ち、まずはしっかりと地均(じなら)しをしているのだ。デビュー作でありながら、落ち着いているのだ。
寺嶌曜は、プロローグに続く第一章において、尾崎冴子と事故を読者に伝え、さらに、彼女とともにこの小説を支える二人の人物を紹介している。弓削拓海(ゆげたくみ)警部補という四十代半ばの刑事と、東大法学部を卒業したキャリア組の深澤航軌(ふかざわこうき)警視正の二人だ。深澤は三十代半ばにしてN県登坂警察署の署長として、弓削や冴子の属する組織を率いる立場にある。この三人は、十年前からの知り合いであった。深澤が弓削のもとで新人現場研修の九ヶ月を過ごしていた際、冴子も同じ班のメンバーとして動いていたのだ。そんな三人は、“継続捜査支援室” という組織を新設してチームを組むことになるのだが、そのきっかけは冴子にあった。
事故から三年。冴子は初めてバイク事故の現場を訪れた。そこで彼女は右眼に光を感じ、そして “過去” を観た。彼女の右眼は、自分と婚約者を乗せたバイクを目撃し、その前を横切る黒い影を目撃し、その黒い影を操っていた人物たちを目撃したのだ。
彼女はその “三年前を観る” という特殊能力の存在を弓削と深澤に実証し、バイク事故の犯人の逮捕に向けて動き出す。そして、物語もどんどんと加速していくのだ。
だが、加速すれども暴走はしない。著者によって物語はしっかりと制御されているのだ。例えば、著者は冴子の特殊能力を万能の力には仕立てず、様々な制約を合理的に加えている。そうすることで、この特殊能力がいつのまにかリアルなものとして読者の心に根を下ろすのだ。そのうえで著者は、特殊能力と現実の融合を図る。特殊能力であるが故に冴子が獲得した情報(これがまた想像を超越して醜悪な情報だったりする)を証拠として活かせないなか、それを現実の警察捜査にどう反映するかに三人は知恵を絞るのだ。これが本書に警察小説としての新鮮さをもたらしてくれる。そう、きちんと制御されているのである。
こうした設定によって特殊能力と警察小説を一体化させたうえで、著者は三人に大きな事件をぶつける。一家四人惨殺事件だ。深澤は、未解決のまま三年が経過していたこの事件に、冴子の能力で突破口を見出そうとするのだ。そこから先――具体的には第二章から第五章、そしてエピローグまで――物語がどう進んでいくかは、是非とも本書でお愉しみ戴きたいので詳述は避けるが、まあ見事な出来映えだ。三人の個性が際立つとともに、それぞれの能力や性格が捜査を進めるうえで補完関係として機能している。悪役の造形もまた達者だ。ロジカルには説明しきれない不気味な悪意を、読者は確かに感じられるのである。また、文章表現も優れている。それ故に冴子が目撃する凄惨な殺人シーンはそのまま読者を直撃することになるし、戦闘シーンでは刃のスリルを体感することになる。覚悟されたい。
そしてなにより魅力的なのが、展開だ。バイク事故の調査から一家四人惨殺事件の捜査への流れが自然であり、その後、闇の奥に隠されていた更なる闇に迫っていく流れも、意外性と説得力を兼ね備えている。強引に意外な方向にハンドルを切るのではなく、それまでに読者に提示した情報を活かして、しかも読者の予想を超える方向へとエピソードを連ねていくのだ。人物造形と筆力と展開がいずれも優れている本作、夢中になって読み進むしかない。
さらに付け加えるならば、書くべきこととそうでないことの整理が行き届いている点も新人らしからぬ特長だ。例えば、弓削自身に係わる事件については、本筋を際立たせるべく、抑制のきいた描写となっている。なんとも “大人な” バランス感覚である――ちなみに著者は1958年生まれのグラフィックデザイナーだ。
さて、この『キツネ狩り』は、第9回新潮ミステリー大賞受賞作なのだが、そうした冠で訴求せずとも、この小説は読者の支持を強く集めるであろう。寺嶌曜という破格の新人の誕生を喜びたい。
(むらかみ・たかし 書評家)