書評
2023年4月号掲載
開かれるのを待つ100の扉
石原千秋編著『新潮ことばの扉 教科書で出会った名作小説一〇〇』
対象書籍名:『新潮ことばの扉 教科書で出会った名作小説一〇〇』(新潮文庫)
対象著者:石原千秋編著
対象書籍ISBN:978-4-10-127454-6
およそ五十年も前の話、高校へ入学して、新しい教室で新しい「現代国語」の教科書を開いた時の喜びは今でも覚えている。まずはインクの匂い。そして選ばれた文学作品の佳什(かじゅう)たち。最初に登場するのは堀田善衞(ほったよしえ)「インドで考えたこと」であった。アクロバティックな言語表現の多彩さに魅せられた。「国語」の教科書はそうして、詩、小説、随筆、評論など、若き日に触れるべきアンソロジーであり、その後、多読の季節への水先案内人ともなった。私は「国語」の教科書が大好きだった。
二〇一八年の新学習指導要領の告示は話題となり、私も大いに驚いた。「現代文」を含む従来の「国語総合」が実用的文章を扱う「現代の国語」と近代以降の文学と古典を扱う「言語文化」に再編成された。社会に役立つ国語力を養うため、というが企画書や契約書の書き方を教える「現代の国語」など、私には冗談のように思えたのである。文科省の言い分から透けて見えるのは文学の軽視にほかならない。国語教師として七年、教壇に立った私の実感で言えば、高校時代に文学に触れなければ、その後ほとんど彼、彼女たちは小説や詩を読まずに一生を終えてしまう。「走れメロス」が友情を扱い、「永訣(えいけつ)の朝」が妹の死に慟哭(どうこく)し、「こころ」が異様に暗い話だと知っているのは、教科書で多少なりとも一度は触れて、何かを感じたからだろう。
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名作小説一〇〇』は、文学軽視の風潮におくと、花畑のように見える。顔を近づけると、いい匂いさえしそうだ。「一九五〇年代から二〇一〇年代までの、小学校、中学校、高等学校の国語教科書に収録された小説の中から一〇〇作品」を選び、教科書採択度を★五段階で分類し順に掲載している。たとえば五つ星を飾るのは中島敦「山月記」、芥川龍之介「羅生門」、夏目漱石「こころ」、森鷗外「舞姫」、太宰治「走れメロス」等々。たしかにこれらと接しないまま小・中・高を潜り抜けた人はいないはず。国語教師側から言えば、これら定番の名作は幾度となく教えることから教材研究の手間が省ける。しかも授業内容の密度は増し、進化していくのだ。梶井基次郎は星四つから二つまでに「檸檬」を始め、「闇の絵巻」「城のある町にて」と三作を採録。私も教科書の「檸檬」が入口で、全集を買うまでになった。上林暁「花の精」は星一つだが、近年のセンター入試で試験問題となったからあなどれない。目移りするラインナップである。
また、全作の抜粋について、石原千秋が「読みのポイント」を付す。これが読解を手助けするとともに、現代に生きる作品として読み直しを図っている点が素晴らしい。自尊心のやり場を失い孤独の末に虎となった李徴のことが「自分には大きすぎる自尊心をもてあました生徒たち」には「『わかる』のだろう」とコメントする。この若さのカタルシスを、文学以外の文章表現(企画書や契約書)で伝えようとしたら大変なことになる。「走れメロス」を教訓に回収せず、「この小説を文学として楽しむなら、メロスを深く疑うことが求められる。だから、結末が美しい」という「読み」も深い所まで錘(おもり)が降りている。
現行の教育制度ではありえないだろうが、私が国語教師時代、教科書に載っていようがいまいが、必ず柳田國男の「清光館哀史(せいこうかんあいし)」を教材に取り上げる同僚の先輩がいた。朗読しながら「どうや、美しいやろ」と言って涙ぐむのであった。素晴らしい授業であるし、教わった生徒たちは訳がわからぬままに心に残っただろうと思う。なお、筑摩書房の「現代文」には「清光館哀史」が採択されていた。
くり返し、教材とする定番もあれば、★五つの定番でありながら、「一九八六年を境に国語教科書から一斉に姿を消した曰く付きの教材」があるという。ちょっとミステリめいているが、「読みのポイント」を読んで納得。そういう事情が隠されているとは気づきもしなかった。「そういう」の中身は読んでのお楽しみとしたい。
個人的には、短篇の名手だった三浦哲郎の「とんかつ」が★二つながら名を連ねているのがうれしい。北陸の城下町の宿に、和装の中年女性と少年が予約なしで二夜の宿泊を依頼してくる。近くに自殺の名所があるので、宿の人は気を揉むが……という話。読者も心配するなか、物語は一挙に微笑ましい母子の愛情へと清らかな水が流れるように動いていく。「読みのポイント」では「適度な省略の美学があってこその短篇なのである」と要所をきっちりと攻める。私に言わせれば、これは読後、どうしても「とんかつ」が食べたくなる作品だ、ということ。言葉の力は人の心や舌までを動かす。引用されるのはわずか一ページ分ながら、どの「ことばの扉」も読者が開けてその先へ進むのを待っている。
(おかざき・たけし 書評家)