対談・鼎談

2023年5月号掲載

『木挽町のあだ討ち』特別対談 前篇

人生に脇役はいない

神田伯山 × 永井紗耶子

不思議な縁があるふたりが、話題のベストセラー時代小説『木挽町のあだ討ち』について縦横に語り合って――。

対象書籍名:『木挽町のあだ討ち』
対象著者:永井紗耶子
対象書籍ISBN:978-4-10-352023-8

落語から学んだ「江戸」

永井 『木挽町のあだ討ち』の帯に推薦のお言葉をよせてくださって、ありがとうございました。

伯山 本当におもしろかったです。一気に読ませていただきました。永井さんには昔から妻がお世話になっているそうで。

永井 伯山さんとご結婚される前に、奥様とは雑誌の仕事でご一緒していました。今回、版元の皆さんが、ぜひ伯山さんに帯をお願いしたいと言い出した時も、友人の旦那さんとは気づかないまま、「そんな有名な講談師さんに読んでいただけるんでしょうか」なんて言っていたんです。それが帯をめぐってやり取りしているうちに、伯山さんと友人の関係に気づいて、びっくりしました。実は、奥様のおかげで江戸時代を書けるようになったんです。

伯山 それはまたどういうことですか。

永井 デビュー前は、鎌倉時代や戦国時代の小説を書いていたのですが、デビュー作で初めて江戸時代に挑戦したんです。歌舞伎などはよく見ていたのですが、さて二作目に取り掛かろうと思ったところで、江戸時代の知識が足りないと気づきまして……。それがちょうど奥様が寄席演芸興行の事務所「いたちや」を創業された頃で、主催の落語会に私も通うようになりました。

伯山 五街道雲助師匠の会にも通っていらっしゃったとか。

永井 ええ、直接お話もうかがえて、「江戸時代の商人の所作は肩をおとして、肘をはらないんだよ」など、いろいろと教えていただいたのは貴重な体験です。

伯山 談志師匠も「雲助の落語には江戸の風が吹いている」と言っていたほどの方ですからね。

永井 ほんとうに。雲助師匠が表現なさる江戸の世界にどっぷり浸かることで、私の中の「江戸」の輪郭がはっきりしてきた気がします。そうして二作目『福を届けよ 日本橋紙問屋商い心得』が書けました。今日までやって来られたのは、奥様のおかげです。

伯山 おもしろいご縁ですね。デビュー作からこれまで何作書かれたのですか。

永井 七作くらいでしょうか。短篇をどう数えるかにもよりますが。

伯山 永井さんが一番思い入れのあるのは、どの作品ですか。

永井 いつでも、「今書いている小説」ですね。現在、産経新聞で「きらん風月」という江戸時代の戯作者・栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)について連載しているのですが、やはり取り組んでいる最中の作品に気持ちが向いているかな……と。

伯山 そうか、一月に刊行された『木挽町のあだ討ち』は、「前の作品」になるわけですね。

永井 三月に江戸の呉服屋の人々を描く『とわの文様』を刊行しましたので、「前の前の作品」になるんです。

伯山 そうなると、もう『木挽町のあだ討ち』に以前ほどの熱がないのに、こういった対談をするのも大変じゃないですか。

永井 いえいえ、本当にありがたいことです。小説の感想をうかがえるのは、いつだって楽しいですし。おもしろかったと言っていただけると、「旅立った子が愛されているんだな。うれしいな」と、書いていた当時の思いが蘇り、喜んでいます。

伯山 『木挽町のあだ討ち』、のめり込んで読みました。うわー、かみさん、すごい友達がいるな、って思いましたよ(笑)。
 舞台になっている芝居小屋は、講談師には馴染の世界で、『木挽町のあだ討ち』の主たる登場人物である裏方さん、職人さんたちは、いわば私の「同僚」です。でも、だから親しみやすかったのではなくて、やはり永井さんの腕に乗せられたのだと思います。全六話、それぞれ異なる語り手が、ある仇討ちについて語っていくのですが、臨場感ある口調に最初からぐっと引き込まれました。
 第一幕の語り手、一八(いっぱち)は、木戸芸者という天職を見つける前は、宴席を盛り上げるのが仕事の幇間(ほうかん)でした。幇間は太鼓持ちとも呼ばれますが、私は実際に太鼓持ちをしている知り合いがたくさんいます。ですから、いろんな知り合いをあてはめながら読みました。

永井 幇間を直に知っている方は、なかなかいないですよね。

神田伯山

伯山 幇間は、いかに宴席でお客さんを気持ち良くさせるか、というのが仕事ですが、持ち上げすぎてもいけないし、はしゃぎすぎてもいけない。何を求めているのかは本当にひとそれぞれ。なかなか骨の折れる仕事です。作中にも、「騒々しいのが好きな人もいれば、年増の芸者の爪弾く三味線の音(ね)が好きだという人もいる」と、その難しさを書かれていましたね。実際、一度だけ前座時代にお会いした幇間の方は、打ち上げのときは部屋の片隅でめちゃくちゃ濃い水割りをひとりで飲んでいましたね。あの方は例外中の例外の気はします(笑)。

永井 打ち上げが盛り上がろうが盛り下がろうが、関係ないと(笑)。

伯山 一八のほか、元武士で立師(たてし)になった与三郎、女形のほたる、小道具係の奥さんのお与根(よね)、今でいう脚本家の金治など、それぞれ厄介な過去のある、ひと癖もふた癖もある登場人物が出てきます。彼らが語り、やがて明かされる真相にまたグッときます。
 大正時代を舞台に、江戸っ子の芸人や遊女の人間模様を描いた川口松太郎の『人情馬鹿物語』が大好きで何度も読んでいるのですが、余韻のある読後感が似ていると思いました。

永井 そんなにほめていただくと、もうここで成仏しそうです(笑)。

脳内で行ってみる

伯山 『木挽町のあだ討ち』を読むと、こんなにおもしろい時代小説があるんだよ、と若い人にも知ってもらいたくなります。でも、彼らにどうしたら届くのか。ツイッターを見ると「俺たち、現代に生きているのに江戸時代の話なんてわかるわけないだろう」なんて意見を稀に目にしますが、永井さんはどう思われますか。

永井 「江戸もおもしろいよ。脳内で行ってみれば」と。

伯山 まったく同じ思いです。こういう意見に対しては「まだそこにいるのかよ」と思いますね。江戸時代であろうと、現代であろうと、人間の本質は変わらないですからね。

永井 若い人でも見たら楽しめると思うんです。伯山さんの講談も、張扇(はりおうぎ)の音とリズミカルな口調、声……いつの間にか引き込まれました。歌舞伎も能も落語も狂言も、古典芸能の中にある「人」の描かれ方が、私は好きなのかもしれません。

伯山 今思い出しましたが、私も学生時代は歌舞伎役者のドキュメンタリーとか観ると、「つらい」とか言いながら稽古しているのが鼻につきましたね。血筋での継承もわかるんですが、やりたいからやる商売だろと。ならシステムを変えればいいじゃないかと(笑)。でも、いざ古典芸能の世界に入ると、ジャンルは違えど大変な世界だなと気づきます。落語家の某師匠も、「落語家の二世、三世で幸せそうな人を見たことがない」と仰っていました。

主役よりも脇役?

永井 二世の方は、「やらされている」というお気持ちもどこかにあるのでしょうか。あるいは、自分から望んでやるにしてもすごく責任の重さを感じるとか。

伯山 両方ではないでしょうか。一人芸だと、はっきりと先代と比べられますしね。私は三十九歳ですが、この歳になって、二世、三世の御家を背負う大変さに想いを馳せられるようになりました。年齢によっていろんなことがわかるようになりますね。

『木挽町のあだ討ち』に話を戻すと、いわば脇役たちの物語でもありますよね。彼らが主役の菊之助を守(も)り立てていく。先日、八十歳になる私の師匠、人間国宝の神田松鯉(しょうり)が「主役というより、脇役が頑張らないと芝居だって何だって成り立たないよ」と言ったのを思い出します。

永井紗耶子

永井 怖い言葉ですね。寄席で見習いの方が挨拶に来ても、座布団をはずしてご挨拶されるという、大変な人格者のお師匠様ですね。松之丞時代の伯山さんのご本『絶滅危惧職、講談師を生きる』(聞き手・杉江松恋)でそのエピソードを拝読しました。

伯山 松鯉はそういう人ですから、「主役というより」の裏には色々なお考えがあるとは思うんです。2020年に神田伯山を襲名して以来、私も主役のような扱いを受ける局面が多くなりました。でも、神輿を担がれるのはイヤですし、早くこの神輿から降りたいなと思っていました。担ぐ人の方がいいなぁと。松鯉のこの言葉にはゾクッときましたね。
 脇役がしっかりしていればいい、というのは、濃いキャラの人々が活躍して主役の菊之助を守り立ててラストへ向かっていく『木挽町のあだ討ち』にも通じるものがあるなと思いました。

永井 確かに、菊之助も優等生タイプで、人生経験豊富な他の登場人物より「キャラ薄」かもしれません。でも作者としては、脇役は作らない、各話の語り手六人全員が主役だ、という気持ちで書きました。日頃から、どんな無名の市井の人であっても、それぞれの人生の主役はその人しかいない、と考えています。

伯山 だから、六人全員の印象がこれほど強いのですね。登場人物の挫折や悲しい過去などのさまざまなディテールは、「よく思いつくなあ」と感心しました。どこからパクってきたのですか(笑)。

永井 ライター時代に取材させていただいた人、小説に限らず読んだ本、新聞、観た映画、ドラマなどで、「出会った人すべて」ですよ(笑)。

「忠臣蔵」は何の物語か

伯山 本書では、父親を殺した下男の首を主人公・菊之助が打ち取り、仇討ちがみごと成し遂げられます。日本で一番有名な仇討ちといえば「忠臣蔵」ですね。講談では「赤穂義士伝」と言います。

永井 伯山さんは最初から、忠臣蔵という物語を受け入れられましたか。

伯山 私が小学生だった1980年代や1990年代には、年末年始、毎年のようにドラマ化されていました。テレビ東京が「大忠臣蔵」を、ぶっとおし六部連続、十二時間もやっていたり。あれで忠臣蔵にアレルギーを起こしたタイプです(笑)。子どもだった私にとっては「古くさくて、うーん厳しいな」と。

永井 私は伯山さんより年上ですが、同じです!

伯山 永井さんのインタビューを拝見したのですが、「忠臣蔵の良さは『忠義』にある」という歌舞伎役者さんに対して、永井さんは「ついていけないと思った」と仰っていた。正直な方だなあ、と感心したんです。神田愛山先生に教わったのが、「赤穂義士伝」は「人と人との別れの物語だ」ということです。私が講談の監修をしている漫画『ひらばのひと』の作者・久世番子さんは「人と人のすれちがいを描いている」と。そういうふうに視点を変えると、現代人でも理解しやすくなりますね。もっとも、だんだんと忠義の面もグッとくるんですがね。

永井 私もドラマで苦手感をもって以来、忠臣蔵に近寄らないようにしていましたが、あるとき、親戚が「腰を痛めて行けないから」と歌舞伎座の忠臣蔵のチケットをくれました。上演時間が長いので、最後まで我慢できるかなあと思いながら、しぶしぶ行ってみたら、とてもおもしろかったんですね。「別れの物語」の描き方、エピソードをどんどん加えていく盛り上げ力といったエンタメとしての完成度に心打たれてしまいまして、アレルギーが治りました(笑)。確かに、「忠義の物語」と言いすぎない方がいいのかもしれませんね。

伯山 現代の仇討ちといえば、米国同時多発テロです。あの時、私は高校生でした。ビルに飛行機が突っ込んでいく映像を目の当たりにしたとき、お互いが憎しみ合うという現実をまったく受け入れられませんでした。一緒にすべき案件ではないかもしれませんが。ですから、私もあくまでエンタメのなかでの「仇討ちの良さ」でいいと思っています。

永井 「倍返し」という言葉を流行らせたドラマ「半沢直樹」も大人気ですし、エンタメで復讐ものを見るのはスカッとするところが確かにあります。でも、本当は復讐した側もダメージを受けると思いますから、現実にはそうそう気が晴れるものにはならないのではないでしょうか。

伯山 その想いが込められているのが、『木挽町のあだ討ち』の「あだ」がひらがなになっているところですね。

永井 そうなんです。講談も同じかもしれませんが、史実をどこまでいじって、エンタメ小説を作っていくのかは、見きわめが難しいところがあります。「ウソであってもおもしろい方が勝ち」というのは一理あると思いますが、史実だからこそのおもしろさもあり……日々葛藤です。

史実とフィクションの関係

伯山 中央義士会という赤穂義士の研究会があります。そこには四十七士の子孫の方も稀にいらっしゃったりして、史実を重んじるのですね。赤穂義士銘々伝の「勝田新左衛門」を読んだあとに、ある高齢の男性がすっと立ち上がって、「勝田の子孫です。とても良かったです」と挨拶してくださいました。嬉しかったですね。

永井 フィクションだからといいながら、どうしても史実にこだわるところは自分のなかにもありますね。

伯山 でも、史実だけではなく、フィクションの要素を入れることで、確実におもしろくはなりますよね。「難しそう、と思っていたものが実はおもしろい」というのがお客様が一番喜ぶパターンです。
 糸井重里さんがブログで「講談とか芝居、今なら漫画とかが、おもしろおかしくかみくだいて伝えてくれるから、皆が興味を持てる。おもしろくかみくだいて伝えるって大事だよね」というようなことを書いていらっしゃるのを見つけたことがあります。講談師としても嬉しい言葉でしたが、まさに『木挽町のあだ討ち』も「入口」になる作品ですよね。
 この作品をきっかけに、ほかの時代小説も読んでみようとか、歌舞伎を見てみようというように古典芸能に興味をもつ人も出てくるのではないでしょうか。「入口」とか「入門編」は簡単だとバカにされがちですが、実はこれほど尊い存在はないんです。

永井 ありがとうございます。今度こそ、本当に成仏しそうです……。

伯山 成仏されると困るので、永井さんが聞きたくないようなことをひとつだけいいましょうか(笑)。

永井 はい、お願いします。

伯山 各話の語り手が仇討ちの状況がどうだったかの詳細を語ったあとで、「いいよ、俺の人生の話なんて」と拒んでみせながら、わりとすぐ「そんなに聞きたいんだったら仕方ないね」みたいに身の上話を始めますね。講談でも枕から本題にうつるタイミングは難しいので、「つなぎ」が大変なのは承知のうえですが、あそこが毎回ちょっと強引だな、って思っちゃいました。あれは「お約束」で、好きなんですけどね(笑)。

永井 あそこは、落語家さんの「羽織を脱ぐ」みたいなかんじです。これから本編が始まるよ、という合図ですね。ラジオ「問わず語りの神田伯山」さながらの辛口コメントが聞けてうれしいです(笑)。

後篇は波 2023年6月号に掲載)


 (かんだ・はくざん 講談師)
 (ながい・さやこ 小説家)

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