書評

2023年5月号掲載

遭難者を発見する“だけじゃない”ドキュメント

中村富士美『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』

中江有里

対象書籍名:『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』
対象著者:中村富士美
対象書籍ISBN:978-4-10-355011-2

 十代の頃、映画撮影のため毎日のように山を登った時期がある。総勢五十人ほどのスタッフとともに登って下りる日々は体力的には厳しかったけど、充実感があった。山は楽しい、と心底思った。
 しかし、本書を読んで、山が怖くなった。
 山で遭難する人がいることは知っている。
 遭難し、誰にも発見されぬまま死んでいった人の孤独を想像したことがなかった。
 本書の著者は看護師。2018年、捜索団体「山岳遭難捜索チーム LiSS(リス)(Mountain Life Search and Support)」を立ち上げ、山で遭難した人々を捜索する活動を行っている。
 どうして看護師が? 山岳救助隊とどう違うの? 疑問が次々に浮かぶかもしれない。
 著者は山岳救助に携わる「山の師匠」に連れられて登った山で偶然、行方不明者の遺体を見つけたことがきっかけで、国際山岳看護師の資格を取り、民間の捜索団体を立ち上げた。
 山岳救助隊は主に警察の管轄。対して LiSSは民間の捜索チーム。山岳救助隊も捜索団体も捜索するのは同じだが、前者はなるべく早く、遭難者の命を救うのが前提にある。
 一方、LiSSへの捜索依頼の多くは、山岳救助隊の捜索後、あるいは打ち切られたあとに寄せられる。事故から日時が経ち、生存の可能性が著しく低くなった遭難者を探すのも著者たちの仕事だ。
 また遭難者の発見を待ちわびるご家族の心のケアも大事な役割となる。遺留品やご遺体が見つかったことで死を受けいれたご家族の、その後の生活の立て直しもサポートしていく。
 正直、こうした仕事があることを知らなかった。また遭難者の捜索法にも驚いた。
 依頼されて、まず行うのは遭難者のプロファイリングだという。
 ご家族から聞き取るのは遭難者の名前、年齢、山登りのキャリア、性格、職業、山登り以外の趣味……癖や山を登る前にした最後の会話など、主観を入れずにそのまま記す。そうすることで事前の登山計画には書かれていない、居場所のヒントがあらわれる。
 本書で紹介される事故は実際の遭難ケース。いずれもプロファイリングが遭難者の発見につながっている。
 たとえば六十代男性Mさん。ご家族から見せてもらった登山中の写真のMさんの両手には「ストック」が握られている。手を使って登るのではなく、難所の少ない一般登山道を登るタイプ、と推測した。
 Mさんが真面目な性格であることに加え、地元の方から山頂を示す看板が風でズレていた、という情報を得て、場所を絞り込んでいったところ、ご遺体が発見される。一枚の看板が引き起こした悲劇であった。
 六十代男性Kさんの場合、頻繁に登山するKさんが残した行動計画書を元に捜索。当初、警察の捜索では見つからずに打ち切りとなっていた。Kさんはテントに下着を干したまま、近くの沢で缶ビールを冷やしたまま、忽然と消えた。
 消えた、と書いたが、人間が跡形もなく消えはしない。
 ご家族からKさんのことを聞き取るうちに、だんだんと人物像が浮かび上がってくる。そして「遭難者の視点から山を見る」ことから、ご遺体の発見へとつながった。
 好きな山で命を落とした遭難者たちは、いずれも何らかの痕跡を残している。本書はミステリーではなく、実際に起きた事故だ。予定調和な痕跡とも違う。
 繰り返すが、誰にも発見されぬまま亡くなった遭難者の孤独は想像しがたい。そして生死不明の遭難者を待つご家族も辛い。何とかして見つけたい捜索隊の気持ちと、見つけられるのを待っている遭難者たちの気持ちは通じるのではないか……そう思う出来事がいくつも綴られる。
 山でなくても、人間は突発的に死ぬことがある。安楽死、自死を除けば、誰も自分の死をコントロールできない。
 自力で帰れなくなっても、待っていてくれる家族の元へ戻れる。この奇跡のような展開はきっと偶然ではない。
「よく帰って来たね」「おかえり」というぬくもりある声が、聞こえてくるような一冊だ。


 (なかえ・ゆり 女優/作家)

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