書評

2023年6月号掲載

事実と「沈黙」が生み出す劇的な展開

前川裕『完黙の女』

池上冬樹

対象書籍名:『完黙の女』
対象著者:前川裕
対象書籍ISBN:978-4-10-335195-5

 いやあ、すごくわくわくする物語である。いったいどう展開して、どう決着をつけるのかと期待が高まっていく。特に中盤からは意外な事実が見えてきて、え? どういうこと? となるのだ。それも一つではないから、なお昂奮する。
 物語は、東京の私立大学で教鞭をとりながら、作家としていくつかの長篇小説を発表している私=前田裕司が、福岡にとび、元県警の刑事をつとめた棚橋に取材する場面から始まる。完全黙秘の女、通称「完黙の女」とよばれた容疑者が関与した事件の調査であった。“私”は事件に基づくノンフィクション・ノヴェルを書くことになっていた。
 事件は、1984年1月10日に起きた。福岡の総合病院につとめる医師の篠山重治の自宅に午前十時に電話がかかってきて、当時小学四年生だった次男の照幸が出た。照幸は「はい、はい」と繰り返すだけなので、母親が「お母さんに代わりなさい」と口をはさんでも電話を離さず、「タナカさんのお母さんに貸していた物を返してもらうから、出かけてくる」といって家を出た。様子が普通ではないので照幸の兄、信次に照幸の後を尾行させたが、途中で見失ってしまう。夜になっても照幸は帰宅せず、警察は誘拐という重大事件の線も考えたが、身代金を要求する電話も脅迫状もなかった。最後に照幸と会ったのは、タナカさんの家のありかを聞くために訪ねたアパートの住人、三藤響子だったが、当時は重大な疑惑の対象ではなかった。
 1987年12月30日の午前三時ごろに、静岡県浜松市で火災が発生し、織物問屋「遠州織物ハナムラ」の跡取り、花村喜美夫が焼け死んだ。妻と娘は逃げて無事だったが、隣家に火災を知らせに来たとき、妻と娘はまるで旅行にでもいく恰好をしていた。喜美夫の親族たちは、妻に浪費癖があり、夫婦なのに肉体関係を断り続けていると聞き、いつか保険金目当てで殺されると考えていた。事件が動いたのは、翌年6月のことで、親族たちが焼け残った納屋の中から、人骨を見つける。警察が調べると子どもの人骨であることがわかる。渦中の妻は、四年前に福岡で起きた児童行方不明事件の関係者、三藤響子であった。だが、放火の物証もなく、人骨が篠山照幸であるかも当時のDNA鑑定では完全に実証できなかった。しかしDNA鑑定の精度が著しくあがったことを理由に、十年後の1998年11月15日、篠山君事件の時効まであと五十六日のタイミングで響子を殺人罪で逮捕する。だが響子は「お答えすることはありません」という言葉を繰り返すのみだった。
「この作品は、1984年1月10日に北海道の札幌市内で発生した小学生誘拐事件、および1991年10月27日に千葉県の千葉市内で発生した少女誘拐事件にヒントを得たもので、事実関係については、かなりの細部において実際の事件と一致している箇所が多数あります」と作者は後書きで述べている。実際、資料として当時の新聞記事のコピー、さらに作者が大きな影響を受けたというドキュメント(上條昌史「黒いホステス」)もあわせて読んでみたが、事件発生の場所を変えてはいるものの、ひじょうに臨場感に満ちてリアルで面白い。
 本書の“私”は作家であると同時に比較文学者なので、トルーマン・カポーティのノンフィクション・ノヴェル『冷血』を引き合いに出して、「事実を再構成して、小説風に書く」のであって、「事実を素材にして、小説を書く」のではないと力説する。「カポーティが描き出した殺人者たちの不可解な犯行動機」と似た、篠山君事件の未だに不明な犯行動機を探り、響子が「何故否認ではなく、沈黙を選んだのか」などを推測する方向にいくのだが、それまでがいろいろ手がこんでいるからたまらない。というのも、「事実を再構成して、小説風に書く」という狙いなのに、新たな謎や事件や、または事件関係者の「僕」の視点なども導入されて、事件がいちだんと混沌としてくるからだ。
 本書を読みながら、辻原登の中篇「黒髪」(講談社文庫『百合の心・黒髪 その他の短編』所収)を思い出した。1994年に実際に起きた福岡美容師バラバラ殺人事件を、売文業の“私”が新聞記事や死体検案書を引用して「黒髪殺人事件」というドキュメントに仕立てる話と、友人の遺稿(日本文学における黒髪の歴史という研究論文)を重ねることで、何とも不思議な文学空間を作り上げていた。
 作者の前川裕は、比較文学・アメリカ文学を専門とする文学者であるが、同時に優れたミステリ作家でもあり、辻原登のような純文学志向を目指さず、事件解明に重きを置き、ひたすら「完黙の女」に迫っていく。たとえば一体なぜ物証となる骨を持ち続けたのか。“私”は完黙の女が罪の意識を抱いていたからではないかと思うのだが、その答はなかなか出てこない。「完黙の女」がまさに何も語らずにいるからだが、全く何も語らなかったわけではないこともわかってきて、思わせぶりな言葉が、あらたな解明のステージへとつながり、劇的な展開をたどる。いやはや実によく出来ている。作者の新たな代表作ではないかと思う。


 (いけがみ・ふゆき 文芸評論家)

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