書評

2023年6月号掲載

フェア新刊 書評

真の人間的な連帯を問う「沈黙の勇者たち」

岡典子『沈黙の勇者たち―ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い―』

芝健介

対象書籍名:『沈黙の勇者たち―ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い―』
対象著者:岡典子
対象書籍ISBN:978-4-10-603899-0

「新しい戦前」という言葉が今年に入って盛んに聞かれるようになった。再び戦争が自明のものとなりつつあるかのように危機の空気が充満する現在を表現しているのであろうが、筆者のような戦後生まれの「団塊世代」には「反戦」ないし「非戦」を公言することが許されなくなったかつての日本を間違いなく連想させる言葉でもある。
 1933年のヒトラーの政権掌握から90年を迎えたドイツでは、いま「沈黙の勇者たち」という言葉が、市民の間で広がりつつある。この言葉に初めて接する方は、反ナチ抵抗運動参加者、特に反逆の汚名を着せられ処刑された犠牲者たちのことをおそらく想像するのではなかろうか。1944年夏のシュタウフェンベルク大佐ら国防軍将校たちによる反ヒトラー・クーデター(7月20日事件)や、1943年2月に壊滅させられた、ミュンヒェン大学のショル兄妹を中心にした抵抗グループ「白バラ」は、今日では世界中に知られるようになってきた。表題の「沈黙の勇者たち」は、身命を賭して戦ったこれら抵抗闘士たちと比較すれば、戦後今まで殆ど忘れられた存在であり、それこそ「物言わぬ」、否むしろ語られてこなかったといわなければならない人びとである。ここで具体的に含意されているのは、ナチ総力戦体制下、潜伏する以外にサバイバルの道を断たれた国内のユダヤ人を秘かに援助した無名の一般ドイツ人救援者たちのことであり、ようやく新しい歴史用語としても定着しつつあるといえよう。
 ヨーロッパ・ユダヤ人のほぼ六〇〇万人を大量虐殺したナチ体制によるホロコースト犯罪に関して、免責されたいドイツ人の多くは、「外地占領地でおこなわれていた戦争犯罪についてわれわれは何も知らなかった」と戦後、弁明を重ねてきた。行動選択の幅を問う若者に対しても、ナチ独裁下の生活は、絶対服従・完全同調か死を覚悟した抵抗かの二者択一しかなく、「何も反対できなかった」と弁解を繰り返すのが常で、いつの間にか眼前から消えたかつての国内ユダヤ人の運命がどうなったかについても、ユダヤ人救援に関わった同胞市民がいたという事実についても関心らしい関心を寄せてこなかったといわざるをえない。
 国家に対する「裏切者」の烙印をおされていた反ナチ抵抗運動復権の試みは1960年代末以降、ナチ体制打倒をめざした軍民社会エリートの活動を対象にようやく本格化する。その重要な契機となったのは、首都ベルリンの中心部、旧国内軍総司令部(参謀長シュタウフェンベルクが軍の反乱を最後まで指揮した)跡での国市共立反ナチ抵抗運動記念館設置・常設展示開始である。折しもベトナム反戦運動が世界的に酣(たけなわ)の1967~1968年のころであった。
 1990年代以降になると、反ナチ抵抗運動をヒトラー暗殺計画やクーデター未遂といった衝撃的な事件だけでなく、人びとが日常生活の中で示したささやかな反ナチの意思や行動にまで広げて捉えようとする考え方が徐々にドイツ社会で認められるようになってきた、との重要な指摘が本書冒頭にある。変化のきざしは、反権威主義のベビーブーマー世代(ベトナム反戦世代)が学校で社会史教育を推進担当するようになり、ナチ時代の市民の態度についても、抵抗と完全同調(ないし積極的抑圧迫害)の両極の間のグレーゾーンには抗議・反抗・不参加・非同調・不作為・消極的協力・順応等、多様な選択肢がありえた点を注視していったところに滲み出ていた。2013年1月27日、アウシュヴィッツ解放六八周年の連邦議会招待記念講話で、ベルリンの“地下”潜行生存者一五〇〇名の一人インゲ・ドイチュクローン(当時90歳)は、国民の集合的記憶からは除外されたままの「沈黙の勇者たち」をまさに今度は忘却の淵から救い出し、深い感謝と敬意を表したのだった。2018年には、「沈黙の勇者たち」のフロアが抵抗運動記念館に新設されたのも象徴的であった。
 一方、世代のことなるユダヤ人の間では、ホロコーストへと追い詰められていった当時のユダヤ人の対処について、ワルシャワゲットー蜂起やパルチザンに参加したごく一部のユダヤ抵抗組織を除けば、おしなべておそろしく従順で絶滅収容所への強制移送にも全く無抵抗だったとする解釈をベースに、ユダヤ人の一人ひとりの決断や行動そのものの具体的な実相は長らく無視されてきた。
 本書では、生き残るための闘いを続けて戦後を迎えられた潜伏ドイツ・ユダヤ人が全国で五〇〇〇人いたと見積もられ、かれらのために隠れ場所を提供し、食物や衣服を与え、IDカードを偽造し、考えうる限りの非合法手段を講じて匿った、あらゆる階層から成る救援者はドイツ全土で二万人をこえると著者は指摘している。八方塞がりのユダヤ人に対面し見て見ぬふりができなかった市民たちは、「つかまったら最後」という、恐怖の強制収容所システムと監視密告社会に定礎された民族共同体のリスクを大なり小なり直接背負うことになったのである。私たちに真の人間的な連帯とは何かを問いかける「沈黙の勇者たち」の歴史がこのような形でまとめられた意義は限りなく大きい。


 (しば・けんすけ 歴史学者)

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