書評

2023年6月号掲載

フェア新刊 書評

良き先達による愛情深い案内書

中村真一郎『源氏物語の世界』

酒井順子

対象書籍名:『源氏物語の世界』
対象著者:中村真一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603898-3

 源氏物語の世界は広大であり、読み方は人それぞれである。現代語訳であれマンガであれ、どこから入ってもめくるめく道程が待っているわけだが、「先達はあらまほしきことなり」と兼好法師も書いていた。良き案内者がいれば、山頂はまだ先なのにもう着いたものと勘違いして引き返す、といった事態は避けることができよう。
 中村真一郎『源氏物語の世界』は、源氏物語を読んで、中途半端に「知っている」という気持ちを抱く私のような者にとって、「その先がある」ということを示す先達のような書である。
 たとえば源氏物語をはじめとした平安の女性達が書いた作品群ばかり読んでいると、平安時代とは極めて女性的で貴族的な時代であったと思いがち。しかし本書では男性の世界を描いた『大鏡』、庶民の生活を描いた『今昔物語』と対比することによって、源氏物語の位置を明示する。読者は、一歩引いたところから源氏物語を見る機会を与えられるのだ。
 また著者は、プルースト『失われた時を求めて』等の世界文学と源氏物語とを並べて、その共通点を指摘。時代と国境を超越する源氏物語の普遍性を明らかにする。
 性別、時代、国境といった様々な境目を超えて物語を論じる一方で、著者は登場人物一人一人の表情をつぶさに眺めるという、自在な視線のズームをも披露している。たとえば女三宮についての、
「彼女は駄目な女というより、世代の異なる女だった」
 という記述に、私はどきりとさせられた。
 光源氏が中年になって後、先帝である兄のたっての頼みで結婚した女三宮。年若い彼女はなにかにつけ未熟であり、源氏にとっては魅力に乏しい存在だった。
 突然現れて紫の上を悲しませる女三宮を、紫の上贔屓の読者もまた「つまらない女」と思いたがっている。しかし光源氏にとっての女三宮は「世代の異なる女」なのだとの指摘によって、私は自分がいつの間にか、光源氏の視点で女三宮を見ていたことに気づかされたのだ。
 源氏物語をよく読めば、女三宮は決して魅力の薄い女ではない。若い世代の柏木は、結果的に命を落としてしまうほど女三宮に恋い焦がれるのであり、彼の愛情の強さは、女三宮の魅力を表していよう。潔い出家の仕方もまた見事だというのに、多くの読者は彼女の人間性を見ようとしないのだ。
 登場人物一人一人に対する著者の平等な視線は、広く深い教養と、源氏物語に対する愛情から来るものであろう。そんな著者と源氏物語のなれそめについても、本書には記されている。
 学生時代、夏には長編小説を読むことにしていた著者がある年に選んだのが、源氏物語。まだわずかしか読まないうちから、心を奪われている自分に気づく。
 さらに読み進めるうちに、紫式部が「物語」というものについて抱く感慨が書かれた文章に出会い、著者は衝撃を受けるのだった。
「驚くべきことには、この王朝の宮廷女性は現代の小説家たちと、全然、同じ小説観の所持者だった」
 と。
 この経験によって著者は、小説を書く仕事に人生を捧げる自信を得る。彼にとって紫式部は、「職業的守り神」となったのだ。
 著者のように人生を変えるほどの衝撃ではないにせよ、王朝文学を読んでいる時に、人はしばしば強い共感や驚きを覚える。千年前の人と、なぜこれほど心が通じ合うのか。千年前にも、このようなことがあったとは、と。その共感や驚きは、千年前の書き手や文学に対し、恋愛や信仰に近い感覚を呼び起こすのだ。
 源氏物語には「人生いかに生くべきか」などということは全く書かれていないし、枕草子に深い思想を見ることはできないと、本書にはある。古典には立派なことが書いてあるはず、という感覚が強すぎるあまり大きな声では語られないが、それは厳然たる事実。
 だというのに日本人がこれらの文学に千年もの間、恋愛や信仰にも似た感覚を抱き続けてきたのは、なぜなのか。著者の心の動きは、その謎を解き明かすヒントを与えてくれると同時に、決して変わらない日本人の文学的好みのようなものを指し示している気がしてならない。


 (さかい・じゅんこ エッセイスト)

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