書評
2023年7月号掲載
文字を通じて歩み寄る、「書く男」と「見る男」
三浦しをん『墨のゆらめき』
対象書籍名:『墨のゆらめき』
対象著者:三浦しをん
対象書籍ISBN:978-4-10-454108-9
あるパーティーの招待状が届いた時、宛名に「酒井川夏子様」と書いてあったことがある。はて? と思ったが、次の瞬間に理解した。パーティー主催者は、おそらく手書き・横書きで招待者リストを作成。その時、酒井順子の「順」の字の偏とつくりが離れていたため、リストを見た筆耕士は別の文字と判断し、かつ「頁」が「夏」と読めたので「酒井川夏子」となったのではないか、と。
いつも何気なく眺めていた招待状の筆耕文字だが、そこには文字を書いた生身の人がいる、ということを感じたのは、この時が初めてだった。酒井川夏子、何やら素敵な名前ではないか。どんな人が書いてくれたのか。……と想像が広がったのであり、三浦しをん著『墨のゆらめき』を読みながら、久しぶりにその時のことを思い出した。
物語は、老舗ホテルの従業員である続力(つづき・ちから)と、書道教室を営む書家の遠田薫の出会いから始まる。招待状の宛名書きなど、ホテルでは、筆耕の仕事を発注する機会が多い。遠田に依頼をすることになった続は、その自宅兼書道教室を訪れて、書の現場に初めて触れるのだ。
古く味わい深い一軒家に住む遠田は、ワイルドなイケメン。書道教室に通う子供達からも大人気である。真面目な続は、遠田の自由な言動にひやひやしつつ、気がつくと彼のペースに巻き込まれ、小学生から依頼された手紙の代筆を手伝うことになっていた。
その後も、二人の付き合いは続く。磊落(らいらく)だがどこか謎めいた遠田の雰囲気、そして「文字を書く」という行為の魅力に惹かれて、続は彼の家に通うようになっていった。
遠田が漢詩を書く姿を、続が初めて見るシーンは印象的である。遠田の筆運びは、「筆を通して画仙紙に伝った墨の最初の一滴が、自動的に文字の形のとおりに繊維のあいだに染み入り、黒い軌跡を浮かびあがらせているのではないかと思うほど」に、なめらか。続は完成した書から音色が聞こえてきたかのように思うのだ。
かつて書道を習っていたことがあるが、師が書く姿にはいつも、続のようにほれぼれしたものである。「書く」というよりは、筆から黒い線が「出てくる」かのような姿を見る快感を、本書を読みつつ私は久しぶりに味わうことができた。
文字は、書いた人の内面を如実に示す。書については素人の続だが、彼は書き手の心、そして文字の背景にある空気を、その書から読み取ることに、長けていた。そして遠田は人の心に敏感だからこそ、小学生の文字から唐代の書家の文字まで、その人になりきって書くことができる。
遠田はきっと、続の気質を見抜いていたのだろう。全く性格の異なる二人の距離は、次第に縮まっていく。……のだが、ある時から遠田は続と音信を断つ。果たして遠田は、何を思っていたのか。
今は、紙に手で文字を書く機会がめっきり減った時代である。ペーパーレス化も盛んに訴えられ、パソコンやスマートフォンのキーを「打つ」ことが、今は「書く」ことになっているのだ。
そんな中で三浦しをんは、「書く」という行為が本来はどのような意味を持っていたかを、軽快に進む物語の中で、浮かびあがらせようとしている。文字とは単に情報を伝えるための道具ではなく、書き手の精神をなまなましく伝える、肉体の一部のようなもの。太古の昔の人であっても、手書きの文字が残っていれば、その人がどのような人であるかが、伝わってくるのだ。
書家達は、いにしえの名筆家達の筆跡と同じように書くことによって、その精神に寄り添おうとしているのだろう。「まねぶ」ことはすなわち、学ぶことなのだ。
白い紙に、黒い墨で線を書く。書とはただそれだけのことなのに、墨の濃淡、線の太さ、かすれ具合ににじみ具合……と様々な要因によって、その人にしか書くことができない字が現れる。どんな人でも筆を持てば、職業も外見も過去も関係なく、その人だけの字を書くことができるという平等さ、自由さを、この小説は示すのだ。
ちなみに私、三浦しをんが書いたサインを見たことがあるが、不思議なクラシックさを湛えるその字の個性は唯一無二。文字って本当にその人を表すものであるよ、と思わされたことだった。
(さかい・じゅんこ エッセイスト)