書評
2023年7月号掲載
『オルタネート』文庫化記念特集 私の好きな『オルタネート』
高校生にとっての養分
「SNS小説」としての『オルタネート』
対象書籍名:『オルタネート』(新潮文庫)
対象著者:加藤シゲアキ
対象書籍ISBN:978-4-10-104023-3
「オルタネート」とは作中に登場する高校生限定SNSだ。高校生に必要不可欠なサービスを全て含むアプリである。このアプリが台頭する世界で、高校生たちの生長が描かれるわけだが、SNSを扱った小説と考えたときに思い浮かぶような、炎上だとか晒しだとかユーザーの影の部分を描くのではない。『オルタネート』の物語の軸になる蓉(いるる)、凪津(なづ)、尚志(なおし)の三人のうち、ユーザーは凪津のみだ。蓉は「オルタネート」を使用していないし、尚志は高校を中退したためにログインできない。つまり本書は、三人の少年少女とSNSとの距離を描いている。
単行本の『オルタネート』を読んだ当時、私は高校三年生だったが、コロナ禍で、学校に通う青春の日々は失われていた。そんな中読む『オルタネート』からは、あの瑞々しくもわけがわからないままあたふた進む豊かな生活を全身で受け取った。ちなみに当時の私はSNSを一切使用していない珍しい高校生だった。では蓉に共感するのかと聞かれればもちろんするが、様々な場面で色々な人物にのめり込んでしまった。
前述の通り、SNS小説とは言っても全員が全員ユーザーではなく、「オルタネート」を使用していない人物にも焦点が当てられる。ただそういった人物にも「オルタネート」という存在は身近だ。彼らの生長に「オルタネート」は必要不可欠だ。高校生たちのSNSへの依存という意味ではない。本書の表現には光や海や植物など自然に関するものが多い。著者は日々変化していく十代の登場人物たちをも、植物の生長サイクルを観察するように描き出す。そしてさらに、彼らの生長にとってのSNSを、光や水のように生長に必要な養分として描くのだ。
SNSは自分を発信できる場であり、表に出せない自分を漂流させる場であり、自分を偽る場であり、そんな誰が何の目的で行っているかわからない不透明な中で画面越しに他人と関係を築く場である。だからこそ人と人との間に「オルタネート」というSNSの存在を介することでそれぞれの人間性が見えてくる。
蓉は恐怖心を抱いているが故に「オルタネート」を使用する選択肢を端から捨てている。「オルタネート」を使わない、という構造は、蓉の他の問題点に重なり象徴となっている。それは彼女の冒険しない性質であったり、狭い想像の範疇に物事を押し込めてしまったりすることだ。使わないということが現在の彼女の可能性を狭めてしまっている点に読者はきっとやきもきするが、「間引き」という言葉もまた蓉を象徴するモチーフになっている。彼女のSNSと人間関係の取捨選択にぜひ注目してほしい。
凪津は「オルタネート」信者だがSNS中毒とはまた違う。凪津は「オルタネート」のAIとビッグデータのみが、信用にたる相性を導き出すと思い、自分だけの「オルタネート」を育てている。合理的に数値を信頼し、パートナー探しも当然「オルタネート」を有効活用するが、そんな凪津の無意識下での行動は実のところ彼女の思う合理性からは大きく外れ、見た目を気にし、見えるところから相性を探ろうとしている。一見シニカルでロボットっぽくもある凪津の抱えるこの矛盾に気づいたとき、彼女は一気に幼く人間くさくなる。「オルタネート」の使用と、そのマッチングで出会う人物との関わりの中で彼女がいかに生長するのか。凪津と「オルタネート」を重ね合わせて読んでも面白い。
尚志は尚志でSNSを使いたいが使えない珍しい少年(高校中退だから)だ。SNSを使えない人の人間関係の情報網はたかが知れている(体験談)ので、パートナーを追い求める彼のフットワークは非常に軽い。情熱的だ。少し情熱的すぎるかもしれない。つまり自分のことに精一杯なのだ。けれどきっと、SNSでの関係に疲弊している人にとっては魅力的だろう。「オルタネート」が使えない尚志による彼なりの対面の関係構築はしかし幅広い。感覚的で繊細、自分で自分のことを何とか頑張ろうとする健気なところが好印象だ。
ユーザーではない私でもSNSを取り扱った『オルタネート』は読みやすかった。それは『オルタネート』がSNSを過度に賛美するでも批判するでもなく、高校生の周りにあるものとして描き、その環境下で高校生たちが自らどう考え行動していくかにフォーカスし、彼らの生長を息づかせているからだ。それぞれの考えと葛藤を持ち、立ち止まったり引き返したりしながらも確実に進んでいく彼らに、誰もが実感を持って没入し「あの頃」を懐かしむだろう。SNSの中の世界が並行してありながらもリアルに生きる彼らを私たちは応援し、共感し、大好きになるのだ。
(たまがわ・こおり 作家)