書評

2023年7月号掲載

「明日」のために「今」読まれたい物語

新川帆立『縁切り上等!―離婚弁護士 松岡紬の事件ファイル―』

藤田香織

対象書籍名:『縁切り上等!―離婚弁護士 松岡紬の事件ファイル―』
対象著者:新川帆立
対象書籍ISBN:978-4-10-355131-7

「離婚」の二文字は重い。
 経験して四半世紀が経つけれど、未だにそう感じる。婚姻歴を訊かれれば(今どきそんな不躾な人はそうそういないようでわりといる)、「バツイチです」と答えることに何の屈託もないが、身の回りで「離婚」という言葉を見聞きすると、ずん、と気持ちが重くなる。
 本書の主人公・松岡紬(つむぎ)は、その離婚を専門とする弁護士だ。北鎌倉で七百年以上続く、縁切寺の一画という離婚事件を扱うにはうってつけの好立地に「松岡法律事務所」を構え、依頼人を待ち受けている。
「バツイチ」が既に結果になっている状態を表す言葉なのに対して、「離婚」には現在進行形の難題、という印象が強くある。離婚を考えてる。離婚したい。離婚しよう。離婚する。離婚したくない。離婚できない。いずれにしても道は険しく、気力も体力も削られる。紬はそうした依頼者各々の離婚に関する相談にのり、婚姻歴や子供の有無、資産や収入、希望条件を聞き、難題の最適解を導き出す。
 とはいえ、齢三十を過ぎた紬自身は一度も結婚したことがない。相手がいないわけではない。紬は西洋人形のような、息をのむほどの美人で童顔。顔は整っているが部屋の整理整頓は苦手という弱点はあるものの、ふんわりした雰囲気で、なんならモテ飽きているほどだ。縁切寺として名高い東衛寺の住職を五年前に引退した父の玄太郎は、娘がいずれ身寄りのない寂しい老後を迎えることになったら不憫だとの親心からあれこれ口を出すが、本人に、まったくその気がないのだ。
 夫から追われている窮地を救った女性から、「結婚したことのない人に、離婚したい人の気持ちが分かるんですか?」と、僻みとマウント込みの意地悪い質問をされても、「分かりますよ」と即答し、紬はこう続ける。「私ね、結婚って意味不明だと思う。だから結婚をやめる人の手伝いなら、進んでやるのよ。みんな結婚、やめちゃえーって思ってるから」。結婚はしていない。今後もする予定はない。そこに迷いも揺るぎもないのである。
 五話が収められた物語は、そんな紬だけでなく、「松岡法律事務所」のメンバーの視点からも綴られていく。第一話の依頼人で後に事務員として働き始める小山田聡美。実家が東衛寺の近所で紬の幼馴染でもある事務所専属の探偵・出雲啓介。娘の紬には甘々で、口も手も金も出すものの十数年前に離婚した傷が今も癒えずにいる松岡玄太郎。依頼者たちの最適解を導き出す過程で浮かび上がるちょっとした違和感を、啓介の調査と紬の閃きで明らかにしていく謎解きの要素も痛快だが、もちろん「離婚」問題の知識も深まる。難題の傾向と対策を学べるのは心強い。
 第四話で「離婚したいんです」と紬に切り出すのは、精子提供を受けて産んだ十一歳の娘がいる女性だ。同性婚で法律上は入籍できていないため、一般的な「離婚」とは、諸条件が異なるという現実に、そうだったのか、と多くの読者が唸るだろう。最終話では、聡美の元夫・亮介の問題が再び持ちあがり、養育費に関する生々しくシビアな数字が提示される。良質なお仕事小説ならではの「知る喜びと楽しさ」もたっぷり味わえることは確約だ。
 加えてそうしたノウハウやデータ情報以上に、心にぶっ刺さる描写や台詞が随所にあるからたまらない。家事や育児の手伝いを頼むと、「じゃあお前は、俺の仕事を手伝ってくれるわけ?」と言う聡美の夫。その亮介が、「ねえ、スプーン」と口にする場面の〈亮介は、落としたスプーンを拾えと言っている。新しいスプーンを用意しろと言っている。それも聡美の仕事だと〉と続く描写。女性弁護士である紬のもとへ離婚相談に訪れるのは圧倒的に女性が多い理由を〈女性を「先生」として敬い、その「先生」から指図されるのも居心地が悪い。相手が若い女性ならなおさらだ〉と多くの男は感じるからだという啓介の考察。駆け落ちし家を出て行った元妻の時希子(ときこ)が、現在飼っているという金魚の画像を紬から見せられて、どんな感慨を抱けばいいのか困惑しながら玄太郎が口にする「ひらひらしてるな」という言葉。
 依頼人にも紬にも、啓介にも玄太郎にも、過去があり傷がある。婚姻関係だけでなく、様々な関係性についても考えずにはいられなくなるし、たとえ離婚とは無縁だと思っていても、思わぬところで自分と重なり、頭を掻きむしりたくなることもありそうだ。絡み合う縁を都合よく断ち切る難しさは、大人になれば、たぶん誰もが知っている。
 でも、それでも。「離婚」の重さはきっと少しだけ軽くなる。「明日」のために、「今」読まれたい物語だ。


 (ふじた・かをり 書評家)

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