書評
2023年7月号掲載
一枚の肖像画の、その先に
マギー・オファーレル『ルクレツィアの肖像』(新潮クレスト・ブックス)
対象書籍名:『ルクレツィアの肖像』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:マギー・オファーレル/小竹由美子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590189-9
美術館に行くのが好きだ。特に絵画に惹かれる。平面の上の、額縁の中に収められた、一つの世界。画家の目を、手を通して描き出されたその世界は、そこにしか存在しない。そして見る者をどこか違う場所へ連れていってくれる。知識は無いなりに少しは絵の魅力を知っているはずだが、これまであまり興味が向かなかったものがある。それが、肖像画だった。風景画、歴史画、静物画、風俗画とさまざまな絵画の種類がある中で、肖像画だけは描かれている対象に興味が湧かず、よっぽど有名な作品でない限り、足を止めることはなかった。
それが今回、こんなに一つの肖像画と向き合うことになろうとは。時間をかけて、深く、深く、そしてその先まで――。その作品が、本書のタイトルと表紙になっている、ルクレツィアの肖像だ。〈不安げで心細そうな表情が何かを語りたがっているように思え、ならば小説で語らせよう〉と、本書は一つの肖像画から生まれた壮大な物語だ。
ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ。今日のフィレンツェの景観を作り上げたとされる初代トスカーナ大公・コジモ一世の三女である。のちに、ロバート・ブラウニングの詩「先の公爵夫人」のモデルにもなるほどの人物。にも拘わらず、著者はその肖像画を見つけ出すのに苦労したという。彼女の両親やきょうだいの肖像画が展示されている美術館にはなく、他の美術館の小さな部屋に、消火器の陰に隠れるようにして壁の下の方に掛けてあったのだ。
謎めいているのは、彼女について残っている史実も同様。1545年に生まれ、1560年フェラーラ公アルフォンソ二世と結婚するも、一年経たずして、1561年に16歳で急死。死因は病気とされたが、夫に毒殺されたという噂もあった。
物語はこの1561年の場面から始まる。人里離れた砦での夫と二人きりの食卓、ルクレツィアは、夫に殺されるのだと予感を超えて確信している。夫を観察する。恐れおののきながらも〈上手におやりなさいね〉と妙な冷静さを持ち、二人の様子が細やかに描写される。3ページちょっとの短い場面だが、いきなり読者は緊張感と不穏な空気に震えることになる。
〈エレオノーラはこの先ずっと、五番目の子を身ごもったときのことをいたく悔やむこととなる〉。時代は1544年に移り、ルクレツィアの母の受胎にまつわる話から、ルクレツィアの人生を辿っていく。野生児のように誕生し、他のきょうだいと離れて育った幼少期。親から見向きもされず、きょうだいにも馴染めず、その中で類まれなる絵の才能が開花していく。やがて結婚が決まり、新しい生活が始まる――。
この随所随所に、ルクレツィアの運命を予感させるようなエッセンスが入ってくる。たとえば、古代学の授業の内容。ギリシャ船団が先へ進めるよう神々に追い風を吹いてもらうために、結婚するのだと娘を騙して生贄に差し出すというもの。亡くなった姉の代わりに結婚することになるルクレツィアの未来をも感じさせる。また、宮廷での結婚の祝宴の席で演じられた歴史劇が、妻を毒殺してしまう王の話。これまたルクレツィアの最期と重ねてしまう。
さらにそこに、例の1561年の場面が合間に短く差し込まれるのが、構成の妙。迫りくる死を背後で常に感じながら、読み進めていくことになる。だから、出会った頃のアルフォンソが紳士でユーモアもあり優しいことも、結婚して手に入れた、好きなときに出歩いて絵を描けるという自由な生活も、やけに不気味に感じられる。そしてついに、1561年のまさにその日に追いついたとき、ぞくりと背筋に寒気を感じた。
この物語で生きるルクレツィアは、鋭い感覚と豊かな感性を持っている。人々の表裏、さまざまなものを見てしまう。だが事実や本音は隠しておくことがすべて。檻に入れられた雌虎のように、彼女は窮屈な世界で心に持つ炎を隠して生きていく。その炎を下絵にして、その上からまた別の絵を描き重ねて誰の目にもつかないようにすることは、彼女にとって生き延びるための術だったのだろう。
やってのける。強い意志を持ち続けた彼女は、自らの力で一歩踏み出す。その物語の最後がこの上なく煌めいていて、涙が堪えられなかった。
本を閉じた時、あらゆる思いを持って表紙のルクレツィアを見つめることになる。もしかしたら、ルクレツィアの切実な願いに一つだけ応えられたのかもしれないと思うと、彼女が少しだけ微笑んだように見えた。
〈誰かに、特別で貴重な存在であるかのように見つめてもらいたい〉。
(みなみさわ・なお 女優)