書評

2023年7月号掲載

見事に噛み合う正信の知と忠勝の勇

早見俊『ふたりの本多―家康を支えた忠勝と正信―』

末國善己

対象書籍名:『ふたりの本多―家康を支えた忠勝と正信―』(新潮文庫)
対象著者:早見俊
対象書籍ISBN:978-4-10-138983-7

 早見俊は〈居眠り同心 影御用〉〈大江戸人情見立て帖〉など文庫書き下ろし時代小説の人気シリーズを幾つも手掛けているが、織田信長を主人公にした『常世の勇者 信長の十一日間』『うつけ世に立つ 岐阜信長譜』、主君を変えながら乱世を生き抜いた水野勝成の人生を追う『放浪大名 水野勝成 信長、秀吉、家康に仕えた男』など歴史小説の傑作も少なくない。その新作となる『ふたりの本多 家康を支えた忠勝と正信』は、猛将の本多忠勝、謀将の本多正信という対照的な家臣の視点で徳川家康が天下を取るまでを描いている。
 家康は、2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公に選ばれ話題を集めている。本書には、家康の家臣団を二分した三河一向一揆、武田信玄に攻められ苦境に立たされた三方ヶ原の合戦など大河ドラマでも取り上げられたエピソードもあるが、著者は最新の歴史研究と独自の視点を使って斬新な展開を作っているので、大河ドラマのファンはもちろん、家康ものの歴史小説は読み飽きたと考えている読者も満足できるのではないか。
 本多氏は平安中期の関白太政大臣・藤原兼通を祖としているが、忠勝は本家、正信は分家だった。だが秩序が乱れ実力があれば出世ができる乱世ゆえに、正信の弟で武辺者の正重は、桶狭間の合戦で初陣を飾った忠勝に露骨な敵愾心を抱いていた。桶狭間の合戦で今川義元が討たれ、今川家の人質になっていた元康は岡崎城に戻って独立を果たすが(この時、名を家康に改める)、配下の菅沼定顕が領主の権力が及ばない不入権を破って一向宗(浄土真宗)の寺から籾米を持ち出したことで対立が起き、それに家康の三河統一に反対する勢力も加わり泥沼の争いに発展する。
 一向宗の門徒で中国の兵法書を愛読していた正信は一揆勢の参謀役になり、忠勝は家康家臣団として戦った。知略はあっても実戦は苦手な正信は、戦場で出会った忠勝に「腰抜け!」と罵られ、それが心の傷になる。勉強でも仕事でも、あまりに実力差がある相手が近くにいるとコンプレックスに絡め取られ萎縮することがあるので、正信の葛藤が生々しく感じられる読者も少なくないはずだ。やがて一向宗は家康と和議を結び、一揆に加わった家臣の帰参も許されたが、正信は一向宗への弾圧と戦うため出奔する。
 家康のもとを去った後の正信の動向には、加賀の一向一揆に加わって織田信長と戦ったなど諸説ある。著者は歴史の空白を利用して、正信が一向宗のために凄まじい謀略戦を仕掛けたとしており、スケールの大きさに驚かされるだろう。正信が参謀、軍師として歴史の裏で暗躍したとするなら、現代に伝わり天下三名槍の一つに数えられる蜻蛉切を愛用する忠勝は、姉川の合戦では猛将・真柄十郎左衛門を破り、三方ヶ原の戦いでは圧倒的に劣勢のなか浜松城に生還するなど表の世界で華々しい武勲をあげていた。
 別々の道を歩いていた正信と忠勝の人生は、本能寺の変で再び交わる。信長を討った明智光秀は、信長の同盟者・家康の命も狙うかもしれないが、僅かな手勢で堺に滞在中の家康には抗うすべがない。切腹を覚悟した家康の前に現れた正信は、三河へ帰る脱出ルートを提案する。いつ落ち武者狩りに襲われるか分からない山中を進む家康一行が、正信の知力と忠勝の武力で危機を切り抜ける場面は、大軍がぶつかる合戦シーンとは異なる緊迫感に満ちている。
 中国大返しで逆賊の光秀を討った羽柴秀吉は、織田家臣団の重鎮だった柴田勝家も破り、信長の後継者になった。信長の息子の信雄は家を奪われたと考え家康に助力を求め、秀吉と雌雄を決する小牧・長久手の戦いが始まった。
 知略が認められた正信は、側近くに呼ばれ家康の相談に乗る機会が増えていく。得意分野を磨き、働く意義を見つけた正信が、忠勝に罵られた心の傷を克服する展開は、コンプレックスを乗り越える方法を教えてくれるのである。
 一方、忠勝は、貧相な身体と侮っていた秀吉が、敵を調略したり、大軍を動かすため兵站の輸送に目を配ったりする才能を秘めていた事実を知り、最前線で槍働きをする自分にはできない新しい合戦の形を突き付けられてしまう。
 若い頃は相手の欠点ばかりが目についていた正信と忠勝だが、年を重ね経験を積むに従って変わってくる。忠勝は知略に優れ地味な業務を的確にこなす正信に一目置き、正信も卓越した猛将で武闘派が尊ばれる時代にあって武将たちの支持を集める忠勝のカリスマ性を認めるようになる。
 同じ組織に仕事のやり方や価値観が違う人間がいると反発が起こることもあるが、同じタイプばかり集めると発想が似てきて硬直化を招き、イノベーションが起こらなくなる危険がある。正信の知と忠勝の勇が見事に噛み合って家康を天下人に押し上げる終盤は、現場にいる人は相手の短所よりも長所を見つけ、互いの欠点を補うようにすれば、管理職は異なる個性の部下を適材適所に配すれば、困難なプロジェクトも成功に導けると気付かせてくれるのである。


 (すえくに・よしみ 文芸評論家)

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