書評
2023年8月号掲載
これぞ、令和の怪奇小説傑作集だ!
小田雅久仁『禍』
対象書籍名:『禍』
対象著者:小田雅久仁
対象書籍ISBN:978-4-10-319723-2
コンセプトは〈身体にまつわる怪奇〉、短篇集の総題は『禍(わざわい)』、かつてない怪奇小説集を創りましょう! と著者の小田さんと話し合って決めました。
……おおむね、そんなようなオファーだったかと、記憶する。
とても寡作な人なんだけれど、世に出た作品はどれも粒ぞろいの、凄いものを書く作家がいてね……現代日本における怪奇幻想文学の書き手として、小田雅久仁の名前を私がハッキリと意識したのは、そんなに古い話ではない。あの名作『よぎりの船』か、日本SF大賞ほかを受賞した『残月記』だったか。慌てて『増大派に告ぐ』『本にだって雄と雌があります』ほかの過去作を読み漁った。
一読、当節の作家には珍しい、堂々と腰の据わった書きぶりといい、それでいて、奇想天外というか破天荒というべきか、この作家の脳内は一体どうなっているのか、と本気で探求心に駆られるような、天馬空をゆく発想の妙といい、たちまちにして「いま気になる現代作家」の筆頭格に躍り出ることとなったのである。
そんな最中に飛び込んできた、この書評御依頼。しかも本書は「怪奇小説集」だというではないか! いいねえ、怪奇小説! いま流行りの「ホラー・ミステリー」みたいな鵺(ぬえ)的な名称ではなく。かれこれ半世紀近い昔、『怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)全五巻を、それこそ表紙が擦り切れるまで読み耽って、この分野に入門した私にとっては、思わず小躍りしたくなるくらい、嬉しい名称。しかも今どき「かつてない怪奇小説集」を創りたい、という著者と担当編集者の心意気たるや! 一も二もなく原稿執筆を、お引き受けした次第である。
(ちなみに『怪奇小説傑作集』のマイ・ベストは、第二巻収録のL・P・ハートリイ「ポドロ島」。ヴェネチアの沖合に浮かぶ小島に遊びに行った男女のグループが、猫の妖(あや)かしに脅かされる(らしい)話だ。世の中には、こんなにもワケの分からない小説があるのだ! と驚かされ一発で取り憑かれた作品である。これ即ち怪奇小説ならではの魅力……あ、こうしたワケの分からない魅力、本書『禍』の収録作品の奔放不羈(ふき)さにも、一脈通ずるかも!?)
さて、それでは、本書収録作七篇の魅力を、順に解説してみよう。
巻頭に置かれた「食書」は、書物を読む、のではなく「食う」ことに憑かれた作家の物語。全篇のプロローグ的な意味合いもある話で、こんな一節まで出てくる。
初めて出した怪奇小説集だったが、悪魔がずらりと雁首(がんくび)を並べたような、相当に出来のいい本だったと内心、自負している。
メタノベルさながら、読者をいきなり眩暈(めまい)へ誘おうとするかのような「悪魔がずらりと雁首を並べた」物語集の巻頭を飾るに相応しい話ではないか、これは!(ただし作中作のタイトルは『禍』ならぬ『ひきずり人間』である)
続く「耳もぐり」は聴覚、「喪色記」は視覚をテーマとする物語。とはいえ、いったい作者以外の誰が、聴覚をめぐって、他人の耳の中に自在に出入りする男の話(シャミッソーの名作古典『影をなくした男』に比肩しうる大傑作ではなかろうか?)を、視覚をめぐって、万物の色を奪う魔物の大群と対峙する少年少女の話(海からゾロゾロ上陸する異形の怪獣たちの鮮やかな魅力よ!)を、本気で描こうなどと考えるだろうか?
ある日突然、ふくよかな女性(婉曲表現)の魅力に目覚めた男の困惑が、とんでもない結末を迎える「柔らかなところへ帰る」は、本書きってのエロチック(?)巨編。
嗅覚というか「鼻」を繰り返し培養する謎の組織の施設を、いかにも作者らしい、乾いた筆致で活写した「農場」(かなり痛そう……)。
「髪は神に通ずる」という奇妙な(でも実際にありそうな……)新興宗教の「代がわり」の秘密儀式を描いて、これまた、とんでもない想定外の結末に到る「髪禍(はっか)」。
作者の魅力のひとつでもあるブラックかつエッチなユーモアのセンスが、これでもかとばかり横溢して、この上なく美しいラストシーンを迎える「裸婦と裸夫」。
以上七篇、どれを採っても、どこから読んでも、存分に愉しめる、怖ろしくハイレベルな、まさに「中毒不可避の悪魔的絶品集(フルコース)」! ぜひ、おためしあれ。
(ひがし・まさお アンソロジスト)