書評
2023年8月号掲載
何があってもまた呑もうよ
燃え殻『ブルー ハワイ』
対象書籍名:『ブルー ハワイ』
対象著者:燃え殻
対象書籍ISBN:978-4-10-351014-7
世界が窮屈に感じて何度目かのイヤイヤ期に突入しかけた去年の終わり頃、僕はいつものBARで残り少なくなったハイボールと一緒に燃え殻さんを待っていた。
燃え殻さんは僕が一番最初に好きになった作家さんで、本を読む楽しさや言葉の面白さを教えてくれた人だ。燃え殻さんの新刊『ブルー ハワイ』は僕のすべての感情に触れて、この感動を言葉でどう伝えようかすごく悩んだくらいだ。そんな燃え殻さんに、何度かご飯やら呑みにやら連れて行ってもらい、このBARは僕らの秘密基地の一つになった。
燃え殻さんは本の中だけでなく、会うたびに色んな感情や言葉に出逢わせてくれ、どこか僕の心の支えのようになっている。その夜も、どこかにある正解や何かを求めて僕から連絡していた。
「お待たせしました」と言いながら燃え殻さんはBARのドアを開け、入り口から一番近い席にいた僕に気づく。その流れでマスターに「すみません、ハイボール」と伝えた。
「調子はどうですか」と僕の隣りに座り、毎週火曜の深夜、J-WAVEで聴いている、あの声で聞いてくる。「まぁいい感じです」と僕は強がって答えた。短い言葉のラリーの後、ハイボールが到着して「お疲れ様でした」と乾杯した。数えきれないほど繰り返してきたこのやり取りを、二人の合言葉のように僕は感じ始めている。
近況報告をしあって、いい感じに酔いが回ってきた頃、僕はイヤイヤ期に突入しかけたことを報告した。誰かのやさしさを受け取れなくて孤独なこと、そのせいか世界を窮屈に感じて息がしづらいこと。その他にも自分の中にあるネガティブというネガティブな感情のすべてを燃え殻さんに吐き出していた。
そんな僕の話を「うん、うん」と静かに聞いて、心の膿(うみ)みたいなものを燃え殻さんは一つずつ丁寧に取り除いていく。そして心の傷口に絆創膏を貼るように「何があってもまた呑もうよ。俺が無職になっても、いつでも奢るから」と呟いて、ハイボールを呑み干した。
僕は本当にうれしかった。きっとこの先、この人はどんなことがあっても僕に寄り添ってくれると思え、ただただ本当にうれしかった。そんなうれしさとやさしさに包まれながら、僕はある人を思い出していた。
八年前の十六歳の時、僕はプロ野球選手という夢を諦め、アーティストを目指し始めていた。しかし、その新しい夢は僕の生きている世界から僕を孤立させた。今思えば、あれが初めて世界を窮屈に感じた時だったかもしれない。
どうしたら良いかわからない。そんなモヤモヤとした感情をポケットにぐちゃぐちゃに突っ込んで、夏休み、遠い親戚の爺ちゃんに会いに行った。五十歳以上離れているのに歳の差を感じさせないヤンチャぶりで、でも多くを語らない職人気質。会えば、元気をくれ、呼吸の仕方を思い出させてくれる。帰り際には「もう来んなよぉ~」と言うのがお決まりの爺ちゃんだった。
日々が過ぎて帰る前日の夜、横になる爺ちゃんの背中越しにテレビを見ていた。その大きい背中を見ていると、僕の夢が爺ちゃんにどう見えるのか気になって、思い切ってアーティストになりたいという夢を打ち明けてみた。
爺ちゃんは話を聞き終えたあと、僕のほうを向いて、「そうか。頑張れよ」と一言だけ言った。直後、またテレビの方を向いてこちらに大きな背中を向けていた。
この一言は、ポケットに突っ込んでいたぐちゃぐちゃの感情を包み込んで、僕の大事なお守りとなった。どんな時も勇気をくれ、僕はアーティストになることができたと心から思っている。爺ちゃんには何度も「ありがとう」と伝えたかったが、今では伝えることができない。
そんなことを思い出し、カウンターで隣りにいる燃え殻さんに「ありがとうございます」と精一杯の感謝を伝えていた。
『ブルー ハワイ』を読むと、過去と現在が繋がり、ページをめくるたびに、あの日の自分が鮮やかに甦る。隣りに燃え殻さんのいるBARや爺ちゃんと過ごした夏休みの一夜のように。
この文章を書きながら、「今夜、忙しいですか?」と僕は燃え殻さんにメッセージを送っていた。
(れお アーティスト・グループ BE:FIRST)