インタビュー
2023年8月号掲載
夏休み特別企画
少しだけ、新潮社特装本の世界を覗いてみた!
聞き手・本誌編集長
――村上春樹さんの『街とその不確かな壁』の愛蔵版刊行が発表されました。黒田さんは新潮社の装幀部長であり、今回の愛蔵版を担当するブックデザイナーでもあります。こういう愛蔵版――いわゆる〈限定版の特装本〉を手がけられたことはありましたっけ?
黒田 私は初めてなんです。新潮社では特装本の伝統があって、私が入社した頃も武満徹さんの『時間の園丁』(1996年。以下、原著ではなく、特装本が刊行された年を示す)や丸谷才一さんの『新々百人一首』(1999年)などの特装本を作っていましたが、だんだん作られなくなってきましたね。ときどきは作っていないと、編集や装幀、外部の印刷その他のノウハウなどが廃れていってしまうのですが……。
――新潮社の特装本と言えば、非売品ですが、〈十万部を突破した時に作られる革装本〉が知られています。これは今も作られていますね。
黒田 なので、どんどん十万部を超える本を編集してください(笑)。十万部に届いた刷(すり)の本を使って、見返しはマーブル紙、本文ページは天金、表紙は革製。これを作れる職人さんが減って、十万部突破の重版があってから特装本が出来るまで半年以上かかることもあるようですね。
――「著者に二部差し上げて、あとはうちの社長室と資料室。この世に四部しかない」と聞かされてきたのですが、昔この革装をお願いしていた製本会社さんへ別件で伺ったら、会長室にずらりと飾られていました。つまり限定四部は伝説で、実は五部だった(笑)。
黒田 やっぱり、ああいう本作りができるのは製本会社さんにとっても誇りなんですよ。
――明治以来の特装本の歴史をフォローするには聞き手の知識がないので、今日は新潮社に限って伺います。
黒田 いや、私も作ったことがないんだって(笑)。詳しい方には物足りないことしか言えませんがご容赦下さい。
――新潮社が革装本を作るようになったのは三島由紀夫の『金閣寺(写真①)』(1956年)からだそうですね。これは十万部と関係なく、通常版と同時に二百部限定の特装版が出ました。通常版二八〇円に対して二五〇〇円です。
黒田 羊の革表紙を、往年の欧米の特装本さながら金箔で埋め尽くしています。現在の箔押しと違って、金版(かなばん)をエッチング(腐食)でなく手作業(彫金)で作っているので、凹凸があって、金が少し盛り上がっているのもいいんですよね。箔にいわばテクスチャーがあります。さらに天地小口三方金。賛否があるデザインかもしれませんが、三島さんは川端康成宛書簡で「豪華本『金閣寺』といふ成金趣味の金ピカ本」と嬉しそうに書いているので、お好みに合わせたのかも。これが通常版の九倍くらいの値段でできたというのは安いなあと思います。
――さっき仰ったように職人さんも減ってきましたからね。そういえば友人が住んでいる文京区のマンションは、元は某出版社の本の函を作る家族経営の工場だったそうです。僕も出版社勤めだと知ると、大家のおじいさんが嬉しそうに苦労話をしてくれた(笑)。
黒田 年々そういう町工場も資材も減ってきましたから、どうしても割高になってくる。戦後、本という商品はマス・プロダクツだったんですよ。大量生産する本作りの流れがあって、そこへ少部数の豪華な特装本をいわば割り込ませていたので、比較的安価に作れていたのでしょうね。
――ともあれ『金閣寺』がきっかけになって、十万部突破したら革装本を作ったり、限定版の特装本を作って販売したりするようにもなったわけです。新潮社の初代社長は校閲に力を注ぎ(昭和初期、大ベストセラーになった「世界文学全集」の月報に、読者からの「この箇所は誤植では?」という投稿に対して「これで間違いない。どれだけ校正に手間をかけているか知らないだろう。いい加減なことを言ってくるな」みたいな怒りの返事を載せていました)、三代目の社長はブックデザインを重視したそうですね。そうやって、今に至るまで校閲部と装幀部を大事にする社風ができてきた。
黒田 まあ、新潮社にも昔から美本の伝統はありましたよ。新潮文庫百周年の時に復刻された、創刊時(1914年)の新潮文庫の造本だって、芯無し背継ぎ表紙に箔押し、背はクロス張り、地がアンカットで見事なものです。装幀史などで語られるのは、美術品に近いような本がどうしても多いのですが、うちの場合はそんなに先鋭的ではなくて、あくまでも〈読むもの〉という形を逸脱しない本作りなんですね。
――戦前の新潮社で有名な特装本にポール・クローデルの『聖ジュヌヸエエヴ(写真②)』がありますね。1923年というから関東大震災の年に、外務省からの推薦で、駐日大使だったクローデルの仏文詩集を作った。桐の柾目(まさめ)板を表紙にした経本(きょうほん)仕立て、紙は別漉(べつす)きの奉書紙で、紺木綿の帙(ちつ)に入れる。裏面には冨田溪仙が肉筆で極彩色の日本風景を描くという豪華本です。
黒田 あれは限定千部で、日本で三百部、フランスで七百部売られたそうです。別に十二部だけ蒔絵(まきえ)板表紙の〈特装本の特装版〉が作られて、皇室とフランス大統領に二部ずつ贈られたのだとか。一冊くらい、会社に残っていませんかねえ。
――戦後の本で、やはり限定千部を謳ったのが石川淳のサイン入り『夷斎(いさい)筆談』(1952年)と『夷斎清言』(1954年)。これは通常版は存在せず、限定版しか出ていません。古本を安く買ったのですが、古本屋さん曰く「限定版といってもせめて五百部以下じゃないと希少価値が出ない」そうです。それはともかく、これは二つ折りの和紙(薄い和紙に活版の文字!)を和綴(わと)じにし(紙を折って袋になっていない方を綴じる)、夫婦(めおと)函入り。この装幀者は不明ですが、造本の匂いが少し似ている気がするのが、後年の内田百閒の遺作『日没閉門』(1971年。題名を金箔で押した 本体(ハードカバー)を夫婦函に収め、筒状の袋紙に入れる。見返しには内田家の家紋。コピーは袋紙に書かれている)や瀧井孝作の代表作『俳人仲間』(1973年。やはり題名を金箔で押した本体を布クロスの畳状(たとう)で包み、著者直筆の題名を白抜きで入れる。コピーを書いた袋紙入り)。これらの装幀は担当編集者で木版画家でもある山高登さんです。山高さんが石川淳の本も手掛けたかもしれません。違うかな。
黒田 このへんは江戸時代までの和装本の匂いをわざと残しているんでしょう。大切なものを何重にも包む、というのも日本っぽいですね。
――カバーや函は欧米より先に日本で発展したそうです。
黒田 アンカット仮綴じの本を、自分で製本屋さんに持って行って好きなように製本する、というのが向こうでは当り前でしたからね。
――百閒も瀧井も限定版ではなく、こんな凝った造本で何年も流通して版を重ねていたわけで、いい時代ですよね。話を特装本に戻しますが、1970~1980年代になると、さまざまな作家の名作や代表作が特装本になっていきます。これは全集ですが、『三島由紀夫全集』(1973~1976年)は通常版と同時に、総革装、天金、本文二色刷、A5変型の〈愛蔵限定版〉を刊行しています。全三十五巻補巻一、限定千部、各巻一万五千円です。
黒田 凄まじいですね。判型が違うから、通常版(こっちだってクロスに金箔押しで函入りの立派な造本です)の組版が使えない。つまり新たに本文を組んで、しかも本文二色刷! 函にも工夫があって、本体の丸背に合わせて函の小口の天地を丸くして、その天地左右に沿わせて革を折り込ませている。
――あの亡くなり方による影響というか、版元および読者の三島熱みたいなものを感じます。他にも綺羅星のように特装本が作られていき、例えば開高健『夏の闇』(1972年。本フランス装で二方アンカットになっている)、森茉莉『甘い蜜の部屋』(1975年)、遠藤周作『沈黙』(1979年)、吉行淳之介『夕暮まで』(1980年)、三浦哲郎『木馬の騎手』(1981年。木製の函入り)等、手のかかった美本揃いです。特装本のお約束は著者直筆でサインが入ることですが、『夏の闇』では開高さんが奥付の著者検印(新潮社では1961年頃から検印を順次廃止しました)の紙片に「Ken」と入れています。限定二五〇〇部のうち六〇部だけ、「私」と書いた検印があるのは有名ですね。
黒田 檀一雄さんの『火宅の人(写真③)』(1979年)も贅沢な作りです。限定一三六部で定価十六万円。司修さんの銅版画が綴込(とじこ)みで入り、夫婦函はベルベット、函の表には銅板のレリーフ作品が嵌め込まれていて、本体の革表紙には別の版画が刷られた上から司さん自ら手彩色(てさいしき)で一冊ずつ描き加えています。
――檀さんは1976年に亡くなられているのに、ちゃんと毛筆のサインが入っているのは生前に特装本の刊行が決まっていたのでしょうね。
黒田 武満徹さんの『時間の園丁』には直筆楽譜をエッチングにしたものが付されていますが、武満さんが急逝されたため、著作権継承者の浅香夫人が番号入れとサインをされました。
――小林秀雄『本居宣長(写真④)』の特装本(1979年。社史によると「小林秀雄の喜寿を祝う頌寿(しょうじゅ)版『本居宣長』」だそうです)も手が込んでいましたね。
黒田 『本居宣長』は通常版(1977年)だって、すごい造本なんですよ。見返しが奥村土牛の山桜の絵の描きおろし、著者検印のハンコは早川幾忠の作、表紙はこの本のために開発された〈葛巻紬(くずまきつむぎ)〉という布に金箔押し(この布は『沈黙』特装本の帙にも使われました)。当時で定価四千円の本です。特装本は五二六部、定価五万円。背に子羊の革を使った継ぎ表紙で、そのほか紙も夫婦函も本当にいい資材ばかり使っていますね。そして付録が、作品冒頭に出てくる本居宣長の遺言書を影印本にしたもの。和綴じで七丁(十四ページ)です。
――遺言書には宣長が一度書いた後で訂正した箇所があって、文字の上に紙を貼って消しているのですが、この付録はそれもそのまま再現しているんですよね。手作業で紙を貼っていて、しかも下の宣長の字が透けて見える。
黒田 エモ過ぎますよねえ。
――そんな特装本もだんだん作られなくなったわけですが……。
黒田 かろうじて特装本の豪奢な匂いが残っているのが全集ですよね。『安部公房全集』(1997~2009年)の造本は函の内側まで工夫され、素晴らしかったでしょう? 装幀は近藤一弥さん。
――黒田さんが装幀をした第五次『小林秀雄全集』(2001~2010年)も背表紙の革とか、真白い函に著者写真のフル帯を巻くとか、いろいろ凝っていましたね。黒田さんに「背の革を毎日触ってたら、手の脂でいい飴色になるから」と言われたのを覚えています。さて、発表によれば、『街とその不確かな壁』の愛蔵版は限定三百部、予価十万円(税・送料別)、菊判で簾目(すめ)入り本文紙、欧文タイトルと著者名、著者サインを刻印した無垢ウォルナット製の函入り、特製プレート付き布装で、著者直筆サインとシリアルナンバー入り、ということですね。楽しみです。
黒田 これまでの特装本や全集を参考にしつつデザインしていますが、資材等の手配や職人さんとの打合せなど、いま詰めている最中で……。読者にも著者にも満足してもらえるよう頑張ります、いや、もう頑張ってます(笑)。
(くろだ・たかし 新潮社装幀部長)