書評

2023年8月号掲載

私の好きな新潮文庫

タイトルに惹かれる。

石川セリ

対象書籍名:『走れメロス』/『春琴抄』/『一汁一菜でよいという提案』
対象著者:太宰治/谷崎潤一郎/土井善晴
対象書籍ISBN:978-4-10-100606-2/978-4-10-100504-1/978-4-10-103381-5

(1)走れメロス 太宰治
(2)春琴抄 谷崎潤一郎
(3)一汁一菜でよいという提案 土井善晴

 文庫本のビジュアル――。
 手にとりたい出会いと、書体や文字の大きさ。そのビジュアルに空間とリズムがあるように思えて、惹かれます。
 これまで、たくさんの本に囲まれてきました。映画も、別世界に行かれる本も、別次元での人生を経験するかのように感じます。それは、音楽セラピーや香りセラピーと似たもののようで。たとえば、コーヒーの香りだけでも、横隔膜は広がるものですから。
 今回は、好きな新潮文庫三冊ということでお話がありました。

走れメロス  まず、太宰治の『走れメロス』。
 これは、哲学ですね。ずっと私の心のなかにある本です。中学時代から「なぜ」をくりかえしてきました。
 親友を助けること――自分の身がわりになった親友のために走る、時間のリミットとその信義とがそこには描かれます。
 この短編集にある「駈込み訴え」という小説では、イエス・キリストの弟子の気持ちサイドからの「なぜ」を。弟子として一番イエスに仕えてきたと自負するユダにたいして当のイエスからは愛の言葉もないと、彼が怒りをあらわにする。
 その当時の私にとって、心うばわれるがごとくで、痛快でもありました。面白いまでのシニカルさ、で。

春琴抄  谷崎潤一郎の『春琴抄』の文庫本は、祖母の想い出。
 なぜか十九歳の私に祖母から唐突に手渡された数冊の中の一冊でした。なんとか読破したかったわけですが、読みはじめると暗くて、ただただ悲恋のようで、じつは辛くなっていきました。
 それでも、まず西村孝次さんの「解説」文を読むことで、物語の時代背景を理解しましたし、作者である谷崎潤一郎の生いたちもまた、理解できました。日本橋に生をうけ、東京帝国大学国文科に籍を置いていた、という。
 気をとり直して、ふたたび『春琴抄』の世界に分け入っていくと、描かれている当たり前の格差に気づかされます。ご主人様と使用人も同じ人ではないのか、という具合にですが。培われた伝統と教育と厳しい決めごとが、生きていくことのすべてであり、尊厳である、この世界では。
 美しくも残忍な盲目の三味線師匠春琴と、奉公人佐助は、こう呼び合います――「こいさん」、「佐助」と。
 盲目の「こいさん」の手を引く係の佐助。九歳の時に盲目になってしまった春琴。どんな事情だったのか、彼女は聡明で美しく妬まれての事故だろうと。
 若い佐助は、彼女のしもべとなります。相性もよかったのだと思います。それは、こと細かな描写からわかります。お風呂にしろ、下の世話にしろ、すべてのお世話に、慈しみが必要なのですから。
 女主ならば、それぞれに専用の係も分かれましょうが、春琴の意向である二人だけの世界。ストイックに格差の壁を築きながらも、断ちがたい二人の絆……。

一汁一菜でよいという提案  最近では、健康維持や、いかに健やかに日々を過ごせるかといった書物が好きになっているわけです。人には酸素が重要。ですから、毎日笑顔が必要。笑うことで酸素がとり入れられるわけですから。環境づくりも重要ですけれどね。良い環境は求められるべきですし。
 健康と食は切り離せないものですよね。そして、どれだけ心強いでしょうか、土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』という本は。
 料理には、しかも家庭料理を作るということには、私も難儀して、ずいぶんと悩んだものでした。
 日本には、とにかくさまざまな世界の料理が入ってきていますからね。とはいえ、豪華料理は特別なレストランでいただけばいいのです。
 私もずっと、一汁一菜と思っていました。昔の日本食であります。お米とお漬物と、具だくさんのお味噌汁なんかですよね。力が湧いてきます。
 テレビでお見かけする土井さんの笑顔と、食材に対する慈しみを、この本から感じます。
 手のぬくもりとお話、会話の優しさには、お人柄と今までの人生の道のりで確かな選択をしてきたことが、おのずとうかがわれます。お父様も偉大な料理研究家でいらっしゃるとのこと。恵まれた、豊かな環境で育まれた食文化を身につけていらしたのでしょう。
 文庫本を手にとる――。
 ビジュアル要素も大きいけれど、「走れ」、「春琴抄」、「一汁一菜」というふうに、印象深い言葉ですね。それを入れこんだタイトルというのに、惹かれることがわかります。


 (いしかわ・せり シンガー)

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