インタビュー

2023年8月号掲載

特別編 著者インタビュー

「芥川賞候補!!」はもう味のしないガムになった

尾崎世界観『母影(おもかげ)』

尾崎世界観

対象書籍名:『母影』(新潮文庫)
対象著者:尾崎世界観
対象書籍ISBN:978-4-10-104452-1

――『母影』は2019年11月頃から書き始め、2020年12月号の「新潮」に掲載。芥川賞候補になり、2021年1月に単行本が刊行されました。今読み返してみて、いかがでしょうか。

 自分が書いたという気がしないです。また、一回しかできない書き方だとも感じました。隙だらけなのがわざとでも実力不足からでもあり、普段文庫化の際はかなり直すものの、これは手を入れられなかったです。崩れかけのジェンガのようで、少しも触れない。逆に言えば、当時そういうところまで書き上げることができていてよかったです。

――本作の執筆の前後で変化を感じますか。

『母影』で変化したのではなく、コロナ禍という「変化」があったからこそ書けた作品だと感じています。あの日々だけが別物で、あれほど小説に向き合える時間は今後ないかもしれません。そんなおかしな時期、等しく全員にあったイレギュラーな瞬間を、小説として形に残せたのは自分にとって大きいことでした。だから『母影』は、自分の名刺のような存在になりました。

――芥川賞候補作としても話題になり、多くの方に読まれました。かけられた言葉で印象に残っているものはありますか。

「何でわざわざこんな話を」と言われることもあって、悔しい気持ちは大きかったですね。音楽活動の方でも、人が歌わないような感情をずっと形にしてきたのですが、音楽は音に反応し、伝えたいと思ったものをそのまま出せば成立します。小説は、“良いと思ったもの”同士の間に途方もない距離があって、そこを言葉で埋めなくてはならない。その筋力がまだなかったために苦労しました。それでも自分自身が「何でこんな」と思う物語に救われてきたので、それを『母影』でできたことは自信になりました。

――小学校低学年の女の子が主人公です。自分から離れた存在を書いたことで、何か手応えはありましたか。

 小学生の女の子を大人の男が書いているという、そのズレを、意外とみんな気にするということがわかりました。自分にとって、創作は基本的に何かになりきるもので、音楽でも自分の話を正面からは歌いません。「これ以上やると過剰に反応される」という題材は、だからこそやりがいもあります。ただ、何を書いても結局は自分のことになるもの。その上で、どこまで離れられるかだと思っています。思えば、子供の頃から「これ以上遠くにいったらはぐれるかな」とか、かくれんぼで「見つけてもらえないかもしれないな」とか、いつもぎりぎりを探りたい感覚がありました。

――子供は尾崎さんにとってどんな存在でしょうか。

 怖いです。彼らは素直に感情を出してくるので、一番傷つけられる可能性が高い。自分も子供の頃、大人に対して色んな感情を持っていたので、そう思うんでしょうね。大人は知識も言葉もあり、また、自分の感覚で何となくわかってしまうけれど、子供は言葉がそこまでないから、「内側」は宇宙。その分書きがいがあるし、ちょっと悪く書きたくもなります。

――『母影』では、そんな子供と母親をつなぐ存在として、「手」が象徴的な役割を果たしています。

 コロナ禍ということもあったかもしれません。手洗いに消毒、みんな「手」を意識していましたよね。手がすべてを握っていて、逆にここさえ綺麗にしておけば大丈夫というイメージは、書きながらずっとありました。舞台にしたマッサージ店も、手に結びつきます。

――雑誌「スピン」で連載中の「すべる愛」の舞台もグレーゾーンな性風俗、メンズエステで、「手」の接触がありますね。

『母影』は親と子という近い存在でしたが、「すべる愛」では、知らない人と体が接触する異様さを書きたいと思いました。いま世間でも、体を奪われることに以前より敏感になっていると感じます。それは、男女問わず自分が体を他者に「貸す、預ける」という意識があるからじゃないかと思うんです。性行為も労働も妊娠出産も、その時間は誰かに渡していて、体の全部が自分のものになっていない。それを成り立たせるには気持ちかお金か、それぞれあるのかもしれないけれど、「肉体として奪われた」と感じた時に人は怒るのだと思いました。

――コロナ禍に書いた『母影』が、少しずつ日常を取り戻し始めた今年文庫化することと、今後についてお聞かせください。

 単行本より小さく、身構えずに物語が入ってくる文庫で、主人公とどう向き合って頂けるかが気になります。寄藤文平さん(文平銀座)デザインの新カバー、又吉直樹さんの解説もすばらしいです。そして、「芥川賞候補になりました」という連絡があった日のことは忘れられませんが、もうすっかり味のしないガムになりました(笑)。コロナ禍のような時間はきっともうないので、自力で小説を書き上げて、『母影』に続く名刺を増やしたいと思っています。


 (おざき・せかいかん ミュージシャン/作家)

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