書評
2023年9月号掲載
インドネシアの神話的な混沌の海
篠田節子『ドゥルガーの島』
対象書籍名:『ドゥルガーの島』
対象著者:篠田節子
対象書籍ISBN:978-4-10-313366-7
海底に眠る古代遺跡のヴィジョンは、なぜ私たちを強く惹きつけるのだろう? 誰もが自分の思っている以上に、歴史という壮大なパズルの欠けたピースや、あるいは失われた文明への関心を、心ひそかに抱いているからなのだろうか。
そうかもしれないが、別の見方もできる。たとえば『UNDER the SEA:MASAKI 水没ジオラマ作品集』(大日本絵画)という本があり、これは関真生(MASAKI)氏が手がけた、海に沈んだ現代都市の残骸を表現した精緻なジオラマの写真集なのだが、そのページをめくれば、前述の問いの答えも自然とわかるような気がしてくる。つまり海底に沈んでしまった都市というのは、ただそれだけで、はてしなく美しいのである。
人間の消え去った文明の名残り、崩れゆく建築物が海の青のなかで無限の静寂に包まれ、その周囲を海洋動物が優雅に泳ぎまわる――。〈沈黙〉という言葉には〈沈〉の一字が入っているが、海に沈んだ都市の眺めには、まさしく沈黙の本質が示されているように思える。それは無言のうちに、見る者の心を深く、大きく揺さぶってくる。
そんな眺めがジオラマでなく現実として眼前に現れ、しかもそこにまだ誰も気づいていない古代文明の可能性があったとしたら、発見者の受ける衝撃は計り知れないものになるだろう。
本書『ドゥルガーの島』の主人公、加茂川一正(かもがわ・かずまさ)がインドネシアの海中で謎の遺跡と出会い、調査のために大手建設会社を早期退職し、報酬こそ少ないが自由の利く大学の非常勤講師に身を転じてしまったのもうなずける。人生一度きり、五十間近の彼は組織で生きるよりも、古代のロマンを追い求めた。
とはいえ、大企業を辞めるのはたやすい決断ではない。その決断を後押しした背景には、学生時代にジャワ島中部のボロブドゥール遺跡公園の整備事業に参加、加えてゼネコンの一員として、地震後のジャワ島で遺跡そのものの修復事業に関わったという経歴があった。学者でこそないが、彼はことあるごとにボロブドゥールとの関わりを吹聴する人物だ。企業の出世競争から事実上脱落した加茂川一正にとって、世界的な仏教遺跡の保全に携わった実績は、みずからのアイデンティティと化している。
得体の知れない海底遺跡の非公式調査に向かうのは、そんな主人公と、大学の准教授で水中考古学者の藤井(ふじい)、そして特任教授として共生文明学を教えている人見淳子(ひとみ・じゅんこ)の三人である。共生文明学とは耳慣れない学問だが、作中での彼女の説明によれば「ジャンルからすると昔で言う文化人類学」だそうだ。
元ゼネコン社員の非常勤講師、水中考古学者、広義の文化人類学者、役者はそろった。これからハリウッド顔負けの冒険がはじまるのか――そう思って、つまり私は本書を伝統的な〈冒険小説〉として読みはじめたのだが、ページをめくるにつれ、その予測は浅はかだったことに気づかされた。もちろん冒険小説の要素であるスリルや神秘もたっぷりふくまれているのだが、それにもまして本書は、目も眩(くら)むような〈フィールドワーク小説〉なのだ。
フィールドワークすなわち現地調査。『ドゥルガーの島』を読みながら、私は友人の危険地帯ジャーナリスト、丸山ゴンザレス氏の言葉を思いだす。ゴンザレス氏はかつて考古学者の道を志し、修士号まで取得しているが、氏の著書『MASTER ゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)によれば、考古学とは「ロマンチックが止まってしまう」学問だという。人間の抱く古代への幻想を冷徹なまなざしで排除し、厳密な学問的事実のみを記録する。どんな学問にも似たような側面はあれど、こと考古学に関してはそれが顕著だ。ゆえにロマンを追って会社を飛びだし、インドネシアの海に飛びこんだ『ドゥルガーの島』の主人公も、フィールドワークの過程で突きつけられる事実や、専門家の非情な忠告の前に、胸に抱いたロマンを何度も打ち砕かれそうになる。
本書の読者は、まばゆいロマンとそれを打ち消そうとするリアリティの反復を追体験しつつ、考古学、さらには文化人類学的なフィールドワークの大変さについても理解するはずだ。そしていつのまにか、インドネシアの神話的な混沌の海へと、まるでダイバーのように深く潜っている自分自身に気づくだろう。その先に、思いがけない未来が待ち受けている。
(さとう・きわむ 作家)