書評

2023年9月号掲載

瀬戸内の海に消えた若き画家の魂

村岡俊也『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』

最相葉月

対象書籍名:『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』
対象著者:村岡俊也
対象書籍ISBN:978-4-10-355291-8

 1989年に生まれ、二十五歳で急逝した画家、中園孔二(こうじ)の評伝である。評伝の対象とするにはあまりに若すぎ、没後八年での刊行もあまりに早すぎる。東京藝術大学在学中に、当時、都現代美術館のキュレーターだった長谷川祐子に買い上げられ、現代アートの目利きとして知られる小山登美夫のギャラリーに五九九点もの作品が保管されていると聞けば、夭折した画家を神格化する内容ではないかと訝しむ声があることは十分予想される。
 だが筆者の感想は違う。そうした危惧は杞憂であり、中園が自身の創作について願っていたように、本書もまた、生きづらさを抱える現代人、特に若い世代への希望の一書として読み継がれるのではないかと思っている。
 中園の絵は一見して怖い。グラデーションが乏しいストレートな色遣い、人とも幽霊ともつかぬ生命体がうごめき、暴力的であったり性的であったりする。目を凝らすと別の位相が現れ、ポップな顔が見る者を試すように微笑みかける。不気味さの中の稚気に当てられ、気付けば魅了されている。藝大時代の師、O JUN曰く「なかなか頼もしい混乱ぶり」が魅力で、「“壊れた機械”の季節は本来どの作家にも訪れるもので、彼もその季節の真只中だった」という評は本書が神格化を目指すものではないことを示している。
 画家・中園孔二の誕生は、一人の青年、本名・中園晃二(こうじ)の生い立ちと切り離すことはできない。両親と兄の四人家族に育ち、体育教師だった父親譲りの身体能力の高さから中高時代はバスケットボール部で活躍する一方、夜の山や森、海に出かけて死にかけたこともあった。幼なじみや同級生、ガールフレンドによれば、立ち入り禁止の崖に登るなど、ギリギリのところに身を置いて生と死の境目を楽しむようなところがあったという。
 こう書くと衝動的な印象を受けるが、そうではない。本人が遺したノートからは、全国の展覧会を回って技法や潮流を探り、自身の理論を構築しようともがく姿や、理解者や恋人の存在に勇気を得て、自由であってよいのだと解き放たれていく様子が浮かび上がる。
 本書がすでにこの世にいない人物を描きながら決して陰鬱でないのは、アートに生きる若者たちの青春群像が生き生きと描かれているためだ。友人たちの語る中園は軽やかで、とにかく「絵を描くのが楽しくてしょうがない人」。藝大では「中園シンドローム」のように、みんな中園っぽい絵を描くようになり、中園から離れたいと思いながらも引力が強すぎて意識せざるをえない、「あの天才と差別化しなくちゃいけないっていう防衛本能が働いていた」という。訃報に、「ああ、これでもうこれ以上離されないで済むんだ」とホッとしたとは、最高の賛辞ではないか。
 中園が創作にもっとも苦しんだのは、自分を理解してくれるソウルメイトと離れ、共同生活に息苦しさを覚えながら美術館の展覧会に向き合っていた頃のようだ。絵にサインもせず、今描きたいから描くという「圧倒的に現在」を生きた画家の葛藤について、小山ギャラリーのディレクター、長瀬夕子は「社会化されることとちょっと闘ったという感じでした」と指摘する。
 晩年の中園が到達した高みや「ある種の達観」について、著者の見解には異論があるかもしれない。突然断ち切られたからには、そこに意味を見出したくなるのは当然だろう。一方、「作品だけを大事にしている人だったら、海で溺れないですよ」という同期生の言葉を置くことによって、画壇の評価とは一線を引こうと抗う著者の姿勢が本書をフェアなものにしている。
 家族はあまり出てこないが、その控えめな筆致から、兄の存在が創造への大きな原動力となっていたことがうかがえる。中園は兄の絵を高く評価し、描くことを勧めていたという。読者としては想像するほかないが、著者が晃二と孔二の間にあるものを丁寧に描き出そうと心を砕いたことは明らかで、瀬戸内の海に消えた一人の青年の魂に触れる鎮魂の書であることは間違いない。


 (さいしょう・はづき ノンフィクションライター)

最新の書評

ページの先頭へ