書評

2023年10月号掲載

新境地の地獄巡りエンターテインメント

武田綾乃『可哀想な蠅』

吉田大助

対象書籍名:『可哀想な蠅』
対象著者:武田綾乃
対象書籍ISBN:978-4-10-353352-8

 代表作「響け! ユーフォニアム」シリーズや第四二回吉川英治文学新人賞を受賞した『愛されなくても別に』など、武田綾乃はさまざまな「女二人」の関係を描き出してきた人だ。その関係の中には時折りビターさが入り込むこともあったが、基本的にはシビアな現実を生き抜くための、友愛の空気で満ちていた。しかし、四組の「女二人」をフィーチャーした独立短編集『可哀想な蠅』は様子が違う。完全に、地獄の釜の蓋を開けにいっている。古今東西、地獄巡りがエンターテインメントで無かったことはない。
 表題作に当たる第一編の主人公は、大学生の芽衣子(めいこ)。世の中が改元で賑わっていた頃、最寄り駅の近くで猫の入った段ボールを蹴っているおじさんと遭遇し、スマホで撮影した動画をツイッターに投稿したところバズりにバズった。〈信じられない。ひどい。可哀想。誰かが誰かに怒って、憤慨して、満足する。人間って実は怒りたがりなのかもしれない、と通知欄を眺めていると思う〉。一方で、投稿者である芽衣子に粘着的に絡んでくるアカウントも現れた。親友の里依紗(りいさ)は「ブロックしなよ」と助言するが、芽衣子は放置する。よく吠える動物を「飼う」という感覚で、当該アカウントをウォッチングするためだ。そこに介在するのは、意地悪な気持ちだけではない。〈もし私が拒絶したせいで、彼が絶望したら?〉。社会正義に基づく、慈悲深さによるものでもあったのだ。ところが、作家は主人公に対して大きな試練を与える。それは芽衣子と里依紗という「女二人」の関係に、決定的な亀裂が入る出来事だった。
 第二編「まりこさん」は、転勤により三十歳を前にして故郷で働くことになった会社員・由美(ゆみ)が、小学生の一時期だけ仲が良かった三十歳年上のまりこさんのことを思い出す。〈大人はいつも私を子ども扱いするけれど、まりこさんは私を一人の人間として見てくれる〉。幼い頃の由美はそう思っていたが、母は異なる評価を下した。〈大人と大人だと、あの人と関わるのは難しいの〉。久しぶりに彼女の家を訪れると当時に輪をかけた猫屋敷となっており、二十年ぶりに交流を再開させると……。
 第三編「重ね着」は、本書収録作で唯一ホッとできるテイストだ。京都の実家で暮らす独身の姉の元に、結婚を控えた妹が突然東京からやって来て一言、「伏見稲荷(ふしみいなり)、一緒に登ろう」。道中で交わされる二人の会話には、それぞれの価値観の違いが反映されている。その違いは何によって表されているのか? 怒るきっかけや、怒りの燃料となるものの違いだ。
「キレるに根拠なし、怒るに根拠あり」とはどこからか流れてきたインターネットミームだが、おおいに頷ける。感情的な反応としての「キレる」は、抑えようとしても抑えきれない、あるいはこちらに向けられても対処のしようがないが、「怒る」には論理的な理由がある。つまり、言語化が可能である。それゆえに対話も可能となり、新たな意見を受け入れ再点検することで、自己の(他者の)論理を変化させることもできる。端的に言えばその論理とは、個々人が意識的・無意識的に持つ「正しさ」(「正しくなさ」)に関わる。古今東西、「正しさ」を巡る葛藤がエンターテインメントで無かったことはない。
 それまでの三編でも垣間見えていた「怒り=正しさ」の真理を徹底的に可視化してみせたのが、最終第四編「呪縛」だ。青春時代を、認知症の父を介護するヤングケアラーとして過ごした麻希(まき)は、自他共に認める「いい子」だ。父を看取った後で休学していた大学を卒業し、東京のIT企業に就職して新生活をスタート。初めての恋人もできたが、一番身近な存在である彼に対しても「ありのままの自分」をさらけ出すようなことはできなかった。そんな折り、同期の男性から同棲中の恋人・詩乃(しの)を紹介される。詩乃は女友達がいないため、友達になってほしいのだと言う。気配り上手な詩乃とのコミュニケーションに心地良さを覚えた麻希は、あっという間に仲を深める。「私ね、良くない人と付き合っちゃうことが多いんだ」。初対面で詩乃が放った言葉が時の経過とともに現実化し、麻希は彼女を庇護することを決めて――〈友情を基盤とした寄り添いには、恋愛にはない無垢な安心感がある〉。そして、地獄の釜の蓋が開く。そこでぐつぐつと煮込まれていた「怒り=正しさ」は、恋愛関係や肉体関係への傾斜がない「女二人」の関係だったからこそ、より破壊力を増すこととなった。ラスト三ページの描写は、言語芸術として高い達成を誇る。この体内時間の感覚は、小説でしか表現し得ないものだ。
 人間の内面を細密に描くことができる小説という表現ジャンルは、登場人物への感情移入を通して、読み手の心を落ち着けたり、癒やしたりすることができる。これまで武田綾乃が書いてきた「女二人」の物語がそうだった。しかし、全く同じ手続きで、読み手の内なるネガティブな感情や思考のありかを探り当て、心の膿みを出すという機能も小説にはあるのだ。その経験は、痛い。しかし、それは経験した方がいい痛みなのだと本書は教えてくれた。


 (よしだ・だいすけ ライター)

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