書評
2023年10月号掲載
人の再創造を目指した果てに
高丘哲次『最果ての泥徒』
対象書籍名:『最果ての泥徒』
対象著者:高丘哲次
対象書籍ISBN:978-4-10-353212-5
泥徒(ゴーレム)とは人の形をした、人の忠実な下僕である。泥で作られた体に「礎版(ポドスタベク)」を埋め込み、秘律文という言葉を刻むことで彼らは創造される。この際に用いる尖筆(リシク)という道具から、泥徒の創造者たちは尖筆師(リサシュ)と呼ばれていた。
高丘哲次『最果ての泥徒』は19世紀末、この泥徒製造により栄える東欧の都市国家・レンカフ自由都市を舞台に始まる。主人公、マヤ・カロニムスはわずか12歳での泥徒創造を成し遂げた才女だ。代々続く尖筆師の家系を継ぐのが彼女の夢だったが、ある晩、父・イグナツが内臓を抜き取られた死体で見つかる。同時に、父の三人の弟子が失踪。さらにはカロニムス家の秘伝、泥徒の根本原理を記した十個の『原初の礎版(ピェルボトニ・ポドスタベク)』のうち三つが失われていた。マヤは自身の創った泥徒・スタルィと共に父の死の謎、そして三人の弟子と三つの礎版を追い、世界を旅することになる。
高丘哲次は日本ファンタジーノベル大賞2019を受賞してデビューした。2020年刊行の受賞作『約束の果て 黒と紫の国』は存在しないはずの二つの国の名が書かれた青銅器が発掘されるところから始まる。偽書を手掛かりに二つの国の歴史をひもとく文学的冒険が、SF的とも言える壮大な奇想に結実する中華ファンタジーだった。それから三年半ぶりとなる受賞後第一作は、大きく趣向を変え、私たちの歴史に架空のファクターを導入することで、もうひとつの世界の有様を描き出す歴史改変ものである。
19世紀末に始まる歴史改変もの、人に似て人ならざるものを使役する技術、世界を巡る旅行記的な三部構成という内容は、伊藤計劃の絶筆となった遺作を、円城塔が書き継いだ『屍者の帝国』を連想する読者も多いだろう。だが、あちらが使役される屍体ばかりでなく、コナン・ドイルやドストエフスキーといった作家たちからの大量の引用をもって、既に変容してしまった歴史を読者に突きつけてくるのに対し、本作は約四半世紀の時間をかけて、泥徒というひとつの要素が徐々に世界を変えていく様を丁寧に追う。
泥徒というのは、言わばほぼ完全な人型ロボットだ。現代でさえ達成できていないオーバーテクノロジーが、なぜ遅々としか歴史を変えられないのか。本書はこれを経済性という観点から説明する。泥徒は一体一体が手作りの工芸品に近い存在だ。さらに本書の舞台は、世界大戦を目前に控えた人命が最も安い時代。人間という高度な判断力を備え、しかも自己増殖までする有機労働機械を使い捨てにできるなら、泥徒はコスト面で太刀打ちできないのである。この欠点を、失踪した弟子たちはいかに解決したか。そのおぞましくも魅力的な奇想が本書の読みどころのひとつだ。
一方、弟子たちが試行錯誤した四半世紀は、ひとりの少女が、ひとりの「人」を育てあげた四半世紀でもあった。弟子たちを追いながらも、マヤは、完全な人の創造、神の御業の再現という尖筆師本来の使命を追い求める。そして皮肉屋だが意外とポンコツなところもある人造人間スタルィの育成(改良?)を通じ、才能を鼻にかけるばかりだったマヤもまた、混迷する国際情勢の中で、己の責務を果たそうとする成熟した市民となっていくのである。人を育てることで、人はみずからも成長していく。それは、育てるのが人造人間であろうと変わらない。そんな普遍的な一代記というのが本書のもうひとつの側面だ。
物語は、この異なる道を歩んだ泥徒開発者の対立を軸とする。両者の道は、再現すべき人間の有用性≒本質を労働機械としての経済性に見出すか、それとも言語を操り他者と交流する人格に見出すかで分かたれている、と整理してもいいだろう。それは、人間を代替する安価な産業ロボットを開発しようとする側と、人工知能の開発を通じて、人間の知性の本質に迫ろうとする側と例えることもできる。しかしながら、あるいは、それゆえに、と言うべきか、その対決の結末はけして明快ではない。なぜなら、冒頭に明示されているように、その探究や達成の果て、尖筆師という職業自体が、結局は滅ぶ定めにあるからだ。
二派の尖筆師たちが四半世紀の果てに辿り着いた20世紀初頭の光景が、評者の目には、高度な携帯情報端末の普及によって、炎天下を自転車に乗った人間が汗だくでハンバーガーを運ぶ一方、AIが音楽を奏で、絵を描き、物語を紡ぎ始めた21世紀初頭の現在と重なって見えた。
ずいぶん長く待たされた第二作だが、その間の三年半という年月が、本書にはきちんと刻み込まれているように思う。デビュー作で優れたファンタジーの紡ぎ手であることを示した著者の、待望の新作は、その才能を19世紀末に投射することで今を浮かび上がらせた歴史改変SFである。
(まえじま・さとし ライター)