書評
2023年11月号掲載
なぜ本居宣長を頼んだか
苅部直『小林秀雄の謎を解く―『考へるヒント』の精神史―』(新潮選書)
対象書籍名:『小林秀雄の謎を解く―『考へるヒント』の精神史―』(新潮選書)
対象著者:苅部直
対象書籍ISBN:978-4-10-603902-7
証拠のひとつひとつはとても些細で、ヴァン・ダインの探偵小説のように衒学的に見えなくもない。ところがついには無駄がない。対象をやや遠くから、しかし確実に囲い込み、搦め手も押さえきって、ついに本丸へ。そうやって小林秀雄の謎が解かれるのだ。とりわけ『考へるヒント』をヒントに。
そもそも謎とは? ランボーや志賀直哉を相手にしていた小林がなぜ本居宣長に着地したのか。でも小林は日本の昔にだって早くから触れていただろう。戦後すぐの「モオツァルト」ではモーツァルトの音楽を『万葉集』と重ねていたっけ。天下御免、時空超越。旗本退屈男もびっくりだ。その自信はどこから来るか。本書はたとえば1941年の「歴史と文学」を引く。「『平家物語』は、末法思想とか往生思想とかいふ後世史家が手頃のものと見立ててかゝつた額縁の中になぞ、決しておとなしくをさまつてはゐない。躍り出して僕等の眼前にある。そして僕等の胸底にある永遠な歴史感情に呼びかけてゐるのだ」。小林は「永遠な歴史感情」の保有者。それさえあればどんな時代の誰しもが「僕等の眼前」で「躍り出」す。千里眼だ。ランボーの「見者」だ。だから小林の対象は古代でも近代でも宣長でも不思議はない。
むろんそんな謎解きなら著者が出張る必要はない。小林の自信は途中で覆ったのだ。内なる「歴史感情」や千里眼で押し通せなくなる。そこで批評家から思想史家に身を翻し、徳川思想史に向かう。著者の見立てだ。転回点はどこか。有名過ぎてかえって盲点。『考へるヒント』だという。なるほど。眼の付け方が名探偵。『文藝春秋』への1959年から足掛け六年の連載は伊藤仁斎に始まり荻生徂徠に終わる。全体のおよそ半分が徳川思想史系の文章。宣長への小林の興味もそのころ深まる。
すると転回はなぜ起きたか。著者の説明はまことに周到。中でも飛びぬけた匕首は、物理学に由来する小林の時代への不安を論ずるくだりだ。ハイゼンベルクは1958年に「自然界のすべての物理法則を説明できる方程式を構想していると明らかにした」。そうした動向が1960年前後の小林を追い詰めていった面があると著者は言う。確かに小林は近代合理主義の基礎を成す自然科学の動向を若き日からまめに追っていた。近代科学では説明しきれぬ余剰がふんだんにあればこそ「歴史感情」の振る舞う余地が確保される。「見者」の眼が活きる。そこが揺らぐ。でも「物理法則」が素粒子の動きにまで偶然を排し因果と必然で解明しきったとしても、社会科学や人文科学が同様になりうるか。そんなはずはない。しかし小林はあまりに深くマルクス主義を知っている。万能理論と信じられるものを人間は平気で全領域に応用するものだ。「統一場の理論」がもしも完成すれば、コンピュータの律する大衆社会が世界の隅々までを合理で割り切ろうとするかもしれぬ。何もかもが予測され制御され管理され、分節され明澄化する。それは小林にとって世界が色あせ無意味となり死することだ。まるで熱力学の言うエントロピーの増大だ。小林はその理屈が戦前から大好きだった。かくて小林は熱力学と「統一場の理論」をないまぜにして滅亡を幻視する。本書は『考へるヒント』の一篇を成す「歴史」から次の決定的一節を引く。「自然を構成する究極の単元の説明にかゝづらふ今日の核物理学は、あらゆる素粒子はエネルギイから作られるし、又、エネルギイとなつて消滅もする事を明らかにしてゐる。この自然の一元性に関する行くところまで行つた理論は、歴史について、私達に、何を明かすのだらうか。これは、もし歴史といふものを、出来る限り基本的に、客観的に規定しようとすれば、粒子の無秩序な状態即ちエントロピイ増大といふ決定的な時間の矢になる事を語つてゐる」
となれば、滅亡をもたらす「時間の矢」の進行をたとえ少しでも遅らせねばならない。小林は旗本退屈男よりも現代の孔子や仁斎や徂徠になろうとする。勝手気ままな批評家よりも、世に警告し、人々に考えるヒントを与え、新たな常識を提示して科学文明に対抗しようとする。そこで小林は「決定的な時間の矢」を食い止め押し戻す新たな常識のための原理として宣長の「もののあはれ」、つまり「事や物と共感するといふ働き」を発見する。合理主義という近代の悪魔に抗するには共感という戦略。本書は小林の謎をそのように解く。著者こそ真の「見者」であろう。
(かたやま・もりひで 慶應義塾大学教授、政治思想史)