書評
2023年11月号掲載
天使の目を持つ画家を読み解く
安野光雅 森田真生ほか『はじめてであう安野光雅』(とんぼの本)
対象書籍名:『はじめてであう安野光雅』(とんぼの本)
対象著者:安野光雅/森田真生/ほか
対象書籍ISBN:978-4-10-602305-7
安野光雅は、双眼鏡をひっくり返しながら世界を見つめた画家だ。「天使の目」で人間が本来行けないような高い場所から、ささやかな日常を描いたのだ。言葉にしようとすると、あてはまる言葉が見つからない。生涯に150冊も解けない謎のような絵本を残したが、単に「絵本作家」「装丁家」とも呼べないところも実に興味深い。隠された数字と遊び心で、考えることを刺激する装置を世に送り出した発明家なのだと思う。
1926年、島根県の津和野町に生まれた安野光雅は、美術の教師を続けながら絵を描き続け、42歳の時、絵本『ふしぎなえ』でデビューした。とにかく線も色も美しく、優しさがあふれている。これは日本に残る数少ない桃源郷「津和野」という故郷が大きな影響を与えていると思う。山陰の小京都と呼ばれる島根県津和野は「飛び出す絵本」のような場所だ。時代劇のセットにも見える白壁が続き、城下町の面影を色濃く残している。用水路には絵の具で塗ったような色とりどりの巨大な鯉が2万匹も泳いでいる。非現実的な風景だが、まぎれもなく現実の町だ。朱色に輝く約1000本の鳥居が並ぶ太皷谷稲成(たいこだにいなり)神社は、エッシャーのだまし絵のようにどこまでも続いている。教会の畳には、ステンドグラスの光が抽象画のように差し込んでいた。また代々津和野藩の藩医だった森鴎外一家の存在も大きいだろう。文豪を育んだ町に生まれたことで自分も何かできると考えたのではないかと思う。ちなみに安野さんが通っていた津和野小学校から歩いて10分くらいのところに森鴎外の生家が残されている。実際に、童話作家アンデルセンの自伝的名作であり、森鴎外が訳した『即興詩人』は、安野さんにとって最も重要な作品のひとつになっている。のちに本人も口語訳や画文集を手がけ、「無人島に持っていくならこの一冊」だと語っているほどだ。とにかく、安野光雅とは津和野というふしぎな町で生まれたふしぎな天才なのだ。
そんな天才を本格的に読み解く本が、ついに登場した。とんぼの本『はじめてであう安野光雅』だ。なんとデビュー作から遺作まで、およそ290冊もの著作リストが付いている。安野光雅史上、初めて全体を俯瞰して関係者が語る日が来たのだと感慨深く読んだ。画家の人生を追いかけたドキュメンタリー映画を見ているようにも感じた。もちろん知っているようで知らないことがたくさん書かれていた。安野さんは「学校の教師を辞め、途方に暮れていた時、中央線の中でお告げのようなものを感じ、絵が描けるようになった」とか、「本を読んだ人と読んでいない人では顔つきが変わると信じている」といったエピソードも面白い。
美術教員時代より興味を持っていた「教科書づくり」の話や、実際に使われていた三鷹市立三鷹第五小学校の教育プランも掲載されている。色あつめ、抽象図案、ブックカバー制作、水彩絵具と色彩、図案のリズム、椅子のデッサン、染色などが、授業の計画に入っている。これは、まさに安野さんが尊敬していた画家クレーが1920年代にドイツの美術学校「バウハウス」で教えていたプログラムだ。クレーがカンディンスキーと共に考えた授業を、日本の美術教育に応用したかったのではないかと思う。安野さんは、ベルンでクレーの展覧会を見たときに、「決定的に打ちのめされ、立ち上がれないほどだった」と語っている。「画家の中で誰が一番好きか?」と聞かれたら、いつも「クレーだ」と答えているほどの熱狂的なファンなのだ。絵が上手く描けない時は、いつも彼の画集を目の前に置き、クレーの霊験にすがろうともしていたらしい。それくらい影響を受けている画家なのだ。
……と、こんな細かいことまで書いてある『はじめてであう安野光雅』は、よく知っている人にも、知らない人にも、もう一度「安野光雅にはじめてであう」手引書になるだろう。この本を地図のように片手に持って、天使になった安野光雅に会いに行けばよいのだ。
(なかむら・くにお 「6次元」主宰/美術家)