書評

2023年11月号掲載

子どもたちに伝えたいこと

川内有緒『自由の丘に、小屋をつくる』

島田潤一郎

対象書籍名:『自由の丘に、小屋をつくる』
対象著者:川内有緒
対象書籍ISBN:978-4-10-355251-2

 ひところ、子どもたちをよく児童館へ連れていった。今日は近所の児童館、翌週は線路の向こうの児童館、翌々週は自転車で三〇分の距離にある児童館、というふうに。
 そのなかのひとつに、工作室が充実した児童館があり、子どもたちはその場所をとても気に入っていた。小学校二年生の息子も、幼稚園の年長の娘も、木の匂いでいっぱいのその部屋で、夢中になって金槌で釘を打ち、木片と木片を一所懸命つなぎ合わせた。
 できあがったものを見せられても、なにがなんだかわからなかった。息子は「武器」だといい、娘も真似をして「武器」だといった。彼らはその「武器」を大切にし、いまも机の上に飾っている。
 父はその「武器」を見ると、苦々しい気持ちになる。なぜか? 父は通知表の技術の成績が「一」であったくらいに、工作が苦手だからだ。その出鱈目な「武器」を見ると、子どもらしくてかわいいな、と思うのと同時に、彼らはぼくの遺伝ゆえにこんなにも工作が下手くそなのではないか? と思ってしまうからだ。
『自由の丘に、小屋をつくる』の川内有緒さんも、中学校の家庭科が「一」であったと書いている。
 ほんとう? と本書を読み終わったいまでも思う。
 でもどうやら、ほんとうらしい。
 そんな人がゼロから小屋をつくったらしい。
 というか、『自由の丘に、小屋をつくる』はその小屋をつくるまでの詳らかな記録だ。

 川内さんは四一歳で初めて妊娠し、生まれてきた娘を見てこんなふうに思う。
「ナナには田舎がないんだよ。自然の風景も田舎の生活も知らないで育つなんて、ちょっとかわいそうじゃない?」
 そして、「ふと思い出すだけで濃い自然の香りとそよ風を感じて、気分が良くなるような心の風景」を与えたいと考え、小屋づくりを思い立つ。
 もちろん、中学校の家庭科が「一」だから、きっかけがないと、そんなふうには思わない。
 はじめは、娘にプレゼントする机だった。「娘の柔らかな手」にふさわしい机をインターネットでさがし、ふと、「自分でつくってみるのはどうだろう?」と思いついて、実際に工房に通って机をつくる。
 その勢いで、実家の床のリノベーションを手掛け、ボロボロのソファの張り替えまでやってしまう。
 読者であるぼくは、このあたりからドキドキしてくる。
「ほらほら、あなたもきっとできるよ、技術の成績が『一』なんて関係ないよ」と終始誘われているような気分なのだ。
 著者は小屋を建てる場所を決め、「2×4工法」(ツーバイフォー工法)で、本格的に小屋を建て始める。この工法は「アメリカで素人が家を作るために生まれた工法」だそうで、家造りには絶対不可欠なように思われる「柱」や「梁」も構造上必要ないという。

「いつの頃からだろう、わたしは、効率とかコスパとか、そういう類の言葉に疑問を覚え、少し距離を置きたいと思うようになった。コンサルタントとして働いていた時代にそういった単語を酷使しすぎて、パワーポイント界の呪いにかかってしまったのかも。四〇代にもなったわたしは、むしろ世の中、そして自分のなかに蔓延する効率主義や能力主義的なものに抗っていきたいとすら思っていた」
 その「抗う方法として」の小屋づくり。おそらく著者にとっては、娘のためにビスを打ったり、コンクリートを練ったりすることと、文章を書くという行為はほとんど同じなのだと思う。
 どこかにある規範や、流行や、マーケティングや、便利なものとは離れて、自分の手と足をつかって、なにかをコツコツとつくる。わからないことがあったら身の回りの人に話を聞き、彼らに助けを求める。あるいは、立ち止まって、うんうんと考えたりする。それがつまり、「生きる」ということであり、著者はその「生きる」手応えのようなものを確認し、その喜びを再確認しようとしている。さらにいえば、その手応えを娘に直に伝えようとしている。
 家そのものだけでなく、窓をつくり、トイレもつくり、そのあいだには新型コロナウイルス感染症も流行し、いつの間にか娘のナナちゃんは六歳になっている。「かっこいいわけでもおしゃれなわけでもない」、「インスタに載せてもハートは一〇個もつかない」小屋を見て、著者は「生きている」と感じる。
 ぼくはとりあえず、息子が身体を洗っているときにしゃがみ込んで根本から折ってしまった、お風呂場の蛇口を修理しよう、と思う。
 我が家の蛇口は折れてから、もう一年以上もずっと放置されている。
 読んでいると、今すぐなにかをしたくなる、稀有な本だ。


 (しまだ・じゅんいちろう 編集者)

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