書評

2023年12月号掲載

『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』プレ刊行記念特集

私は見た…! 校閲の正体

石井光太、今村翔吾、芦花公園、飯間浩明、北村薫、尾崎世界観、酒井順子

新潮社校閲部をモデルにした漫画『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』の単行本化を記念して、
7名の著者たちが綴る校閲者との秘蔵エピソード集。

対象書籍名:『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』
対象著者:こいしゆうか
対象書籍ISBN:978-4-10-355391-5

「校閲」という名の20年の呪い

石井光太
ノンフィクション作家

 長らく僕の中には新潮社の校閲という生霊が取り憑いている。
 その生霊との邂逅は、僕がデビュー二作目となる海外ノンフィクション『神の棄てた裸体』を初めて新潮社で出した頃のことだ。初校ゲラの受け渡しの日、編集のAさんが封筒を出し、恐ろしいものを目にしたかのような表情で言った。
「校閲から戻ってきたのですが、信じられないくらいのエンピツ(校閲の指摘)です。こんなの初めてです」
 ゲラはほぼ全ページ、校閲からの指摘で余白がないほど真っ黒になっていた。こんなに誤字脱字が多いわけがない。よく見ると、エンピツは文体やリズムに関することにまで及んでいた。例えば次だ。
・石井〈所々かさぶたがまだ乾き切らず、じゅくじゅくと黒光りしていた。〉
・校閲〈かさぶたにはなっていたが、まだ乾き切っておらず、じゅくじゅくとところどころ黒光りしている。〉
 打ちのめされた。やっと二作目を出せると思ったら、校閲から「誤字脱字以前に、文章がなってない!」と一蹴されたのだ。僕は悔しく、二週間がむしゃらにゲラと格闘した。
 後日、Aさんが、飲み会にあのゲラを担当した校閲者Kさんを呼んでくれた。五十代の少し癖のある男性だった。彼は話した。
「文章に硬さを感じたんです。デビューして間もない今、自分の文章を疑って意識的に緩めたり、テンポを速めたりする経験をしておかないと、十年、二十年とつづけるのが難しくなる。だからここまでやったんです」
 今だからわかるが、あのままでは僕の文章は書くごとにカチカチになって広がりがなくなっていっただろう。Kさんがやってくれたのは、新人の二十年先を見据えた校閲だったのだ。
 以来、僕はKさんの生霊にずっと怯えながら本を書いてきた。おかげで二十年弱で七十冊くらい出版できたことを考えれば、彼は今、僕の守護天使(ちょっとおじさん臭のする)になっているのかもしれない。

 (いしい・こうた)



守(マモ)りの要(カナメ)

今村翔吾
歴史・時代小説作家

 げっ。校閲が入ったあとのゲラを見た時の私の第一声は、概してそのような牛蛙の呻きのようなものだ。よくぞ見つけてくると感心する。指摘がかなり多い。が、私にとってはそれがいい。
 校閲が筆を入れたもの全てが残されたまま、作家のもとに来ることは、実は珍しいらしい。作家に渡す前に、編集者がこれは残す、これは伝えなくてよいと、取捨選択する場合の方が多いのだ。しかし、私はこれを断っている。校閲の指摘全てを残すように指示しているのだ。その上で編集者の思うところがあれば、横に書き添えるようにして欲しいと。
 こうすることで校閲の意見A、編集者の意見Bがゲラ上に残ることになる。私はAを採用することもあれば、Bを取り入れることもある。しかし、私が新たにC案を書き入れることもまたある。これはAとBがあるからこそ、生まれることが多いと感じている。つまり、私は様々な意見に耳を傾けたい。紙の上で議論がしたい作家なのだ。
 私がC案を捻り出したのに、再校でやはりA案が良いのではと提案してくる校閲もいる。「小癪な」と呟きながらも、私の口元は綻んでいる。校閲もまた、作品に対して真摯に臨んでくれている証だから怒りはない。その結果、Aにすることも間々ある。こうして磨かれて、一つの作品に完成していくのだ。
 作家ばかりが注目されがちだが、出版というものはチーム戦だと思う。校閲はその中で守備の要であろう。作家や編集者が見落としていそうな齟齬を見つけて失点を防ぎ、時には反撃の機を作り出す。非常に重要な役目であるから、私はここぞという時には校閲者を指名することもある。今では随分と認知された校閲という仕事だが、さらに注目されても良いと思う。良き作品の陰には、良き校閲者がいるものだ。

 (いまむら・しょうご)



私ほど校閲さんに助けられている作家もいないと思う

芦花公園
作家

 作家にとって校閲さんはありがたい存在だ。特に私のような行き当たりばったりに作品を書く文章の下手な作家は、祈るような気持ちで原稿を送り出している。
 今回の新刊『食べると死ぬ花』においては興味深いご指摘を戴いた。作中で主婦が豚肉とレンコンの炒め物を朝食に出している描写をしたら、『朝食なのにOK?』と指摘が入ったのだ。横には代替案のメニューも挙げて下さっていた。私は自他ともに認める大食漢であり、どんな時間でも食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べる。どうやら、普通の人は朝からこのようなものは召し上がらないらしい。朝食に適した常識的な食事内容の指摘は大変ありがたかった。些細な部分かもしれないが、この主婦は姑にイビられている活力のない女性という設定なので、そのままだと、違和感を覚える人も多くなってしまったかもしれない(余談だがこの話はXでバズった)。
 ほぼ全ての指摘はこのように的を射ているのだが、たまに納得がいかないものもある。
 とある作品のゲラにおいて、作中の異常な人物が持論を展開しているシーンに、余白部分が見えなくなるくらいびっしりと、いかにこの考え方が差別的で間違っているのかが熱弁されていた。「作中人物のセリフ≠作者の思想」であることを読み手は全員分かっているものだと思っていたし、勝手に私がこんな異常思想の人間だと思われ説教されたことにもかなりムッとしてしまった。私は「異常者の異常思想です。ママで」と書いて送り返し、その後はその部分に指摘はなかったが、一体何があの時の校閲さんを勘違いさせる要因になったのかなど、今も何度も思い出す。
 しかし心のどこかでまたこういうちょっと的外れな指摘を貰えないものかと思っている自分もいる。ネタになるので。

(ろかこうえん)



著者を信用しないでください

飯間浩明
国語辞典編纂者

 すべての引用部分について、原文のコピーを送ってください、と言われて仰天したことがあります。著書の最終稿を送った後で、編集部から要請されたのです。転記ミスがないかどうか確認するため、とのことでした。
 私の書く文章は、おおむね「ことばとは」「日本語とは」を主題とし、多くの実例を引用しながら進めます。その著書でも、多くの参考文献からいろんな箇所を引用していました。引用の際は正確を期し、慎重に転記します。でも、それがすんだら、本は書棚に戻すじゃないですか。それをまた全部集めて、コピーして送るわけですか。
 お手数ですがお願いします、というのが編集部の返事でした。今までそういうことを求められた経験はないんだけど、と不満に思いつつ、すべてコピーして送りました。結局、訂正すべき箇所はありませんでした。
 尊敬するベテラン校正者の方に、「この話どう思いますか」と愚痴半分で尋ねてみました。その方は、私の著書の校正を担当してくださった時、私が文中でちょろっと触れた新聞広告まで、わざわざ国会図書館に足を運んで確認してくださったのです。
「私は、申し訳ないけれど、著者が引用の原文を示してくださっても信用しないんです。元の文章が版によって異なっていることもありますし」
 だから、校正している文章に引用部分があれば、必ず原典を探し出し、自分の目で確認するそうです。そうじゃないと満足できないんです、とにこやかに笑っていらっしゃった。
 すごい。鬼気迫るものがある。でも、そこまでやってくれるからこそ、著者は安心して本が出せるんだなあ、と感謝の念を新たにしました。
 そう、著者って信用ならないんです。引用箇所のコピーを用意しても、その文章自体、他の本の引用かもしれない。校正・校閲の方には、あらゆる点を疑ってくださるようお願いします。

 (いいま・ひろあき)



姫君

北村 薫
作家

『出版人の萬葉集』(日本エディタースクール出版部)中、「校正・出張校正」の章は二十ページにもおよびます。

 校正者の提言すべてしりぞけし著者校もどる風吹ける午後  相原法則
 校正に惑ひしからに品名を来て確かむる化粧品売場     筑波冬樹
 責了と記して惑ひ断たむとす遠白く照る夜の二条城     三国玲子

 本のあるべき形をめざす編集者たちの戦いが、胸をうちます。
 しかし、どれほど頑張ったところで、やるのは人間。完璧ということは難しい。
 中村正常といえば、新興芸術派の作家であり、独特の個性を持った人です。
 数ある文学全集中でもすぐれたもののひとつが、講談社の『日本現代文学全集』。その『現代名作選(一)』には中村の「アミコ・テミコ・チミコ」が収められています。念入りな校正がなされたことでしょう。ところが、この一節が「今日もまた僕の でのみ勝手に(以下略)」となっている。一字欠字なのです。出典は昭和五年刊行の『ボア吉の求婚』。何かのはずみに活字をはずし、そのままになってしまったのですね。当然、わたしは『ボア吉の求婚』を探し、この欠字が「方」であることを確認しました。「僕の方でのみ」だったのですね。
 誰もがそうするわけではない。労を惜しみ、元々欠字だったと思い、すましてしまう人もいるでしょう。見逃すはずのない単純ミスですが、それが後世に残ってしまう。これが出版のおそろしいところです。
 一方、見事だ――といいたくなる誤植もあります。自分にかかわる例をあげれば、わたしの著者紹介中、作品名が『六飲み屋の姫君』になっていたことがあります。正解は『六の宮の姫君』。微笑んでしまいました。会ってみたいなあ、飲み屋の姫君!

 (きたむら・かおる)



正しく間違える

尾崎世界観
ミュージシャン・作家

 校閲からの指摘。こう書くと「江戸からの刺客」みたいでちょっと怖いけれど、初めて小説を書いて以来、校閲者から何か指摘されるのが好きになった。書きながらズレていった自分を正しく整えてくれる。校閲者は、さしずめ書き手にとっての整体師だ。 「あー、ここずいぶん悪いですね」
 直に体に触れてもらいながらそう言われると、自分は頑張って生きてきたんだとどこか誇らしくなる。それと同じく、校閲者から指摘があると、自分は何かを間違えるほど書いたんだな、としみじみ思う(ただただ恥ずかしいミスも多々あるけれど)。
 だからいつもまとまった原稿を書き上げると、校閲者から次にどんな指摘があるか楽しみでしょうがない。提出した原稿が返ってくる。ドキドキしながらまずざっとゲラに目を通す。すると、ページのあちこちに手書きの文字が書き込まれている。そんな中、別の筆跡が……。担当編集者だ。何だよ、「校正」しかしてくれない癖に。いいからあなたは黙ってて。執筆中はあんなに頼り切りだった担当編集者に対して、なぜかこんなことを思ってしまう。さながらゲラの三角関係だ。
「今回はやや鉛筆多めですが、この校閲さんはかなり丁寧な方なのであまり気にしないでくださいね」
 まずは先入観なくその指摘を受け止めたいのに、またこんなことを言う。気にする。気になっちゃうよ。だってずっとこれを待っていたんだから。
 ゲラのやり取りを重ね、作品が完成に近づくにつれて、校閲からの指摘は減っていく。完成してから数年後、文庫化に際してのゲラにいくつか指摘があったりすると、昔の恋人と久しぶりに連絡を取り合ったような気分になる。何かが完成するというのはこんなにも寂しい。だからこそ、これからも正しく間違っていきたい。

 (おざき・せかいかん)



「べき」と「べし」

酒井順子
エッセイスト

 私は校閲の方々を、母親のように捉えているところがあります。高校生の頃までは、「行ってきます」と家を出る時、
「そのセーターとそのスカートは合わない」
「髪がボサボサ」
 などと様々な駄目出しを母からされたのですが、文章を世に出す時、同じように事実誤認や誤字脱字といった「駄目」を指摘して下さるのが、校閲の方々だから。
 そんな私は一度、校閲者に激しく反発したことがあるのでした。それは、『枕草子REMIX』の連載をしていた時。清少納言の心情を表すにあたり、「……すべき。」という表現を私は多用しておりました。それは「……すべき(だと彼女は思っていた)。」との意だったのですが、校閲の方は、「べき」は「べし」にすべき(もしやここも「べし」が文法的には正しいのかも?)と、何度も指摘。しかし清少納言の語尾が「べし」というのもなぁ、と思った私は「べき」で押し通したのです。
「べし」論争は、単行本化まで続きました。そのうち私は会ったこともない校閲の方を「べし氏」とお呼びし、「べし氏、まだ『べき』に赤字を入れるか……」と、最後まで赤字をうけ入れませんでした。
 べし氏の赤字は、今思えば「『べき』ではあなたが恥をかきますよ」という親心。対して私は「だって『べし』じゃダサいし」と、思春期の娘のように親に反抗したのです。
 今、その本を見る度に思い出すのは、べし氏のこと。一度謝りたいような、お礼を言いたいような、複雑な娘心なのでした。

 (さかい・じゅんこ)

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