書評

2023年12月号掲載

「但し書き」の精神

高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)

中西寛

対象書籍名:『歴史としての二十世紀』(新潮選書)
対象著者:高坂正堯
対象書籍ISBN:978-4-10-603904-1

 本書の著者高坂正堯が1996年に亡くなってから27年になる。その著者の新刊が出るというのは出版界としても珍しいだろう。作家の未発見作品の出版といった場合でもなければ、まず起きないことではないか。それだけ高坂が日本人に敬愛され続けている証左と言えよう。
 本書は高坂が1990年1月から6月まで新潮社の主催で行った連続講演録である。高坂の同社との関係は長い。若くして訪れたタスマニアでの滞在後に刊行した『世界地図の中で考える』(1968)、高坂の著作の中でも最も著名となった『文明が衰亡するとき』(1981)という生前の二著に加えて、月刊誌「フォーサイト」の1991年から94年までの連載からなる『世界史の中から考える』(1996)、1979年から95年までの講演録や論考を集めた『現代史の中で考える』(1997)の二著が没後に出版されている。
 いずれも文明と歴史という高坂独特の視点が共通しており、本書もその系譜に属する。ただ、本書の特徴は1990年前半という比較的短い時期の高坂の思考を反映している点である。日本では89年末に株価が史上最高値をつけ、まだ「バブル崩壊」といった意識はなかった。世界的には89年11月にベルリンの壁が崩壊し、翌月にはマルタでブッシュ、ゴルバチョフの米ソ首脳が会談して冷戦の終焉が語られた。要はこの講演が行われたのは、長い緊張から解き放たれた一方で、新たな時代や課題がまだ見えていない時期だったのである。
 その状況は90年8月イラクのフセイン政権がクウェートに突如軍事侵攻して以降急速に変化し、世界では湾岸危機から湾岸戦争、そして91年末のソ連邦崩壊へと矢継ぎ早に事態が進行していく。慌ただしく「ポスト冷戦」や「世界新秩序」が時代のキーワードとなり、日本もバブル崩壊と湾岸戦争への対応を巡って「二重の敗戦」が意識されるようになった。本書は冷戦の終わりとポスト冷戦の開始の狭間の時期の講演録であり、第1回の冒頭で「一つの時代が終わりつつあることは誰しも感じているでしょう。しかし、社会を動かすような新しい思想が生まれたわけではありません」(19ページ)という高坂の言葉は的確にこの時期の性格を言い当てている。
 そしてこの端境期に高坂が語ったことは、30年以上を経た現在、改めて示唆に富む。今や世界では、アメリカ率いる西側が主導するリベラル国際秩序としてのポスト冷戦期が終わりつつある一方で、次の秩序のありようは見えていない新たな端境期を迎えているからである。
 高坂は端境期にあってできるのは過去を振り返ること、として戦争、恐慌、共産主義、繁栄、大衆、文明というテーマから20世紀を振り返る。時間の制約からか十分に扱えていないテーマもあるが(たとえば「戦争」では第一次世界大戦の話が大半を占めており、それ以外については軽くしか触れられていない)、その幅広い語り口には改めて驚嘆する他ない。政治、軍事、経済、社会、文化といった分野を横断して繰り出される多彩な話題について、読者は話を聞きながら高坂と散歩をするかのように楽しめる。その道行きで、読者は自らの知識や関心に応じてさまざまな洞察に気づくことができる。
 たとえば、評者が本書の校正刷りに目を通している最中にイスラエルとパレスチナ人組織ハマスの大規模な紛争が始まった。高坂は本書で、古代イスラエルのヘロデ派と頑固派の対立に触れた後に次のように述べている。「ユダヤ人は偉大な民族ですが、国をつくると狂信的でありすぎるのかもしれません。現在イスラエルが中東でやっていることを見ると、気が気ではありません」(206ページ)。時を超えて高坂のこの言葉は胸に迫る。
 また、共産主義の失敗と関連して、高坂は理念が人間の心に対してもつ支配力の恐ろしさについて述べている。「理念は社会を方向づけるために大事なものですが、それにより恐ろしいことも起こるわけです。……人間は常識や自分の利益にも反して理念によって動かされるところがある点を覚えておくべきでしょう」(114ページ)。この話は今日のアメリカの極端な分断を思い起こさせる。
 無礙自在の高坂の方法を敢えてまとめると、総合的な視点からの歴史哲学である。それは但し書きの精神と言ってもよいかも知れない。アダム・スミスが手放しの市場礼賛者ではなかったことに触れつつ、高坂は「独自の分野を切り拓いた思想家は、自分の頭で考え、辻褄の合わない矛盾点には但し書きをつけて話を進めます。ところが、後に続く学者たちは微妙なニュアンスを省き、無味乾燥な要約をします」(171ページ)と述べている。高坂の著作が魅力を失わないのは、高坂が自分の頭で考え、但し書きをつけることを厭わない思索家として希有な存在だったからだろう。


 (なかにし・ひろし 京都大学教授)

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