対談・鼎談

2024年1月号掲載

『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』刊行記念対談

校閲者を漫画にしたら

こいしゆうか(漫画家) × 矢彦孝彦(元新潮社校閲部長)

作家と校閲者、普段交わることのない二者――。
生ける伝説の門外不出の逸話が今明らかに!

対象書籍名:『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』
対象著者:こいしゆうか
対象書籍ISBN:978-4-10-355391-5

矢彦 すみません、これ(ペットボトルのお茶)ちょっと開けてもらえませんか? いや~握力が落ちまして、最近できないんだこれが。来年で77歳、喜寿になるもので。

こいし それでまだ校閲のお仕事されているのはすごいです!

矢彦 いや、もう終わり。このあいだ、塩野(七生)さんの『ギリシア人の物語』の最終巻をやって、おしまい。……って言ってたんだけど、すぐに校閲部の人から「今度出るこの作品、お願いできませんか?」って(笑)。さすがにお断りしましたけど。

こいし 前にこの漫画の取材でお会いした時、ご病気された後だったのでお酒は控えていると言いつつ割と飲んでいたのが印象的でした(笑)。

矢彦 それでも酒量はやっぱり減りましたよ。昔はひどかったですから。でも、我が校閲部は飲みに行くような人がいなかった。仕事終わるとささっと帰るんだよ。いつも飲んでるオレみたいなやつがいなくてね。でね、部長の時に雑誌とかのインタビューで「どうすれば良い校正者になれますか?」とよく聞かれるから、「毎晩酒を飲みに行くんだよ」って言ったらウケちゃって。良い校正の秘訣は酒場に行くことだって新潮社の校閲部長が言ってるって広まっちゃってね、ははは。

こいし キャッチーで良いです! 実際、私もそのお話をお聞きした時に面白いと思い、ストーリーの中に組み込みました。ただ飲みに行くだけじゃなくて、校閲者の信念みたいな深い理由があるのが素敵で、それを描きたかったんです。レジェンド校閲者として矢彦さんをまさに居酒屋のシーンで登場させたら、描きたいことが膨らみ前後編にまでなったのですが、ネーム(漫画を描く前のラフのことで、絵コンテのようなもの)がほぼ一発で編集者を通ったのはあの回が唯一でした。

矢彦 それはうれしいね。僕の話を聞きたいと編集者を通して最初に言われたとき、どうやって校閲者の世界を漫画にするんだろうと思って。全くイメージが湧かなかったから渋ってたんだけど(笑)。そもそも、どうしてこいしさんは新潮社校閲部をモデルにした漫画を描こうと思ったの?

こいし 編集の方から提案を受けたのがきっかけではあるんですけど、実は私自身、校閲とか校正のことをあまり理解していなかったんです。でも、私たち描く側の人間とは馴染みがない距離にいながら、本を作る上では必要な人たちということに興味がありました。出版社の知り合いからは、社内に校閲部を持つ会社は数少ないと聞きましたし、中でも新潮社さんは文芸出版社としての歴史が長く、校閲に力を入れていて他社とも全然違うと知って、その世界を物語として描いてみたいと思ったんです。

矢彦 うんうん。新潮社の歴史は創立者の佐藤義亮が印刷所で校正をしたことから始まっているからね。だからこそ校正に重きを置く伝統があるし、独自の技術とか経験、ゲラ(試し刷りのこと)を通しての作者とのエピソードには事欠かない。フィクションの形を取ってるけど、それが漫画で読めるというのは面白い。でも、これは使えるって話を聞いても、文芸だと作者との関係性もあるから描けない話も多いんじゃない?(笑)

こいし それはあります(笑)。そういう時は、似たような別の話に置き換えるとか、作者さんが特定されないような描き方をするとか工夫しています。ストーリー自体はフィクションですし。ただ、最初は校閲者の世界が本当にわからなさ過ぎて……。校閲者の方に取材を重ねるうちに、個性とか人間性はわかるようになって来るんですよ。でも、いざ漫画を描こうと思った時に、ゲラにどんな鉛筆を入れる(疑問を書き込むこと)のかとか、どういう時に葛藤するのかとか具体例が必要で、でもなかなかそこまで細かいことを覚えている方って少ないんです。それに普段、人とあまりコミュニケーションを取らなくても成立するお仕事ですよね。そういう方々からお話を聞き出すのって難しいんだなって思いました。

矢彦 これは漫画になんかできないって思わなかった?

こいし 思いました。未知数だし、無理だなって(笑)。

矢彦 そうすると、どの段階でやれそうだと腑に落ちたんです?

こいし いや~いまだにちゃんとわかってないような……(笑)。「小説新潮」での連載は続いていますが、毎回毎回、試行錯誤していますね。

矢彦 それはそうでしょう。誰かに説明するのも難しい世界。それに、動きがあるような仕事じゃない。それなのによくここまでのものをお描きになっているなと、拝読して感心しました。おかしいと感じるところも全くありませんし。

書き手への想像力

こいし 矢彦さんはご自分のことを異端児だったとおっしゃいますが、そういう変わった校閲者の方って他にもいましたか?

矢彦 酒ばっかり飲んでるやつってこと?(笑) いないんだよな~。記憶にないよね。例えば、僕が入社した時にいた上の人たちはなんにもしゃべらなかった。黙って来て、黙ってやって、黙って帰る。怖い人はいなかったけど、面白くはないよね。僕が何かしゃべったら、「しーっ!」って怒られるんだもん。それはおかしいと思って、部長になった時にしゃべれしゃべれってみんなに言ってた。人間だからしゃべってこそ通じるんだと。自分が読んで鉛筆を入れたゲラをただ編集者に渡して終わるんじゃなくて、気になったところは「ここちょっとどうだろう?」って話をした方が面白いと思うんだよね。作家さんとはそれはできないけど、編集者とはできるんだから。

こいし 矢彦さん流の校閲の仕方についてもお聞きしたいんですけど、例えば先ほどの塩野七生さんの作品はかなり細かく見ていらっしゃるんですか?

矢彦 年表と登場人物の表はしっかり作りますが、それぐらいですよ。「聞こえる」が何回出てきて、「聞える」は何回だから統一した方が良いとか言う校正者も中にはいたけど、そんなのいいんだよ。当時、僕に話を持ってきた塩野さんの担当編集者もそれは全く望んでいなかった。

こいし そうなんですね。編集の方は以前から矢彦さんの腕を知っていたのでしょうか?

矢彦 一度印象深い仕事をしたことがあってね。僕が若い頃の話だけど、その人が担当する有名作家の作品のゲラで矛盾があることに気づいた。だけど、作家が編集者に「あとは任せる」って海外に行っちゃってたんだよ。「書下ろし新潮劇場」って戯曲のシリーズなんだけど、これはまずいと。そこで編集と僕でここを変えよう、あっちを直そうって膝突き合わせてやって、何とか辻褄合うようにできた。あとで作家さんからは助かったって感謝されたと編集者から聞いてね。

こいし さすが矢彦さん! それでその後、塩野さんの校閲を任されることにつながるのですね。

矢彦 そうだね。『ローマ人の物語』のように長編シリーズになると、途中で代わるのも簡単じゃない。引き継いだ校閲者がいきなり不要な疑問を出して、作者に不愉快な思いをさせたらまずいでしょう? 辞書に載っていないからといってその言葉に線を引っ張って「ヨロシイでしょうか」なんて安易に書く人もいるけど、作者はその言葉にこだわっているかもしれない。その作者にまたウチで作品を書いてもらうために、疑問の出し方一つにも注意が必要なんです。校閲者はゲラの上でしか言葉を伝えられないからこそ、顔も知らない作者に対して最大限想像力を働かせなければいけない。そんな僕の姿勢を、当時担当だった編集者は知ってたということだね。

こいし そっか、作者に思いを馳せることが良い校閲につながるんですね。ところでさっきのお話にあった、作品の中での矛盾に気づくというのは結構あることなんでしょうか?

矢彦 そうだなぁ、例えばさる人気作家みたいに矛盾してたっていいっていう方もいてね。ちゃんと校正したら、「そんなのやめてちょうだい!」って言われて全部そのままにしたって話を聞いたな。書いた本人が気にしないなら、直さなくても良いんじゃないかと思ったけど。だって、読者はその作家さんの作品を喜んで読んでいるんだから。ちゃんと校正をしたから本が売れるってわけでもないからね。

こいし 校閲者としてどこにこだわるかという話につながりそうですね。

今だから明かせる秘話

矢彦 そう言えば、僕が江藤淳さんの『漱石とその時代』を担当した時の話を漫画で描いてくれてるじゃないですか。

こいし はい、矢彦さんが古本屋を回って古地図を探した話ですね。

矢彦 そう。それで思い出した話が二つあって。一つは、ケン・フォレットの翻訳本、『大聖堂』(上・中・下巻)を担当した時のこと。『針の眼』のように緻密なミステリーを書くのが売りのケン・フォレットが、中世ヨーロッパを舞台に書いた大長編小説が『大聖堂』。その物語の最初の方で、ある人を埋葬するために森の中にお墓を作る場面が出てきた。そこからず~~っと話が進んだ後で、その墓地を探しに行く話が出てくるんだけど、場所を特定されないようにしていたので見つけるのが大変だったという記述があった。だけど、おかしいなと思ったんだ。最初の方では、目印になるようなものを作ったと書かれていたのを思い出してね。その矛盾を伝えたら、翻訳者の矢野浩三郎さんがびっくり仰天して。翻訳の間違いではなくて、原文がそうなっているのだとわかった。

こいし え、それでどうしたんです!?

矢彦 矢野さんが現地の人を通じて確かめてくれてわかったのは、元々ケン・フォレットは目印を作ったという設定で書いていた。だけど、作中の時代に、領主とか身分のある人の埋葬場所をわかるようにするのは御法度で、絶対わからないようにしていたと学者か誰かから聞いたらしい。それで、後ろの方は直したんだけど、初めの方は忘れてそのままになっちゃった。

こいし うわー! 誰も気づかなかったんですね。

矢彦 そう。それで矢野さんがわざわざ新潮社に来てね。「ケン・フォレットさんがびっくりしてたよ」っていうのを直接僕に伝えてくれた。イギリスで生まれたベストセラー小説が、遥か海を渡った極東の地・日本で、いち校正者の気づきにより改良されるのは何と不思議な話であろう……って感謝されましたね。

こいし そんなのどうして気づいたんですか? メモってたんですか?

矢彦 もちろんメモりますよ。ただ、これに関してはメモというより記憶だね。確か墓場はわかるようにしたって書いてたよなって思って、最初の方に戻って読んでみたら当たりだった。

こいしゆうか

こいし 最初にその場面を読んでから、後で出て来る場面を読むまでにどのくらいの時間が空いてたんでしょう?

矢彦 文庫3巻分あるからね。そんなすぐじゃなくて、一ヶ月とか、もっと空いてたかもしれない。同じような話がもう一つあってね。これも有名作家で、ジェフリー・アーチャーの『ロシア皇帝の密約』という作品があります。イギリスの元軍人とソ連のスパイの攻防を書いた非常に面白い内容で、細かい時の経過が重要な、これも緻密な小説。この翻訳のゲラで、途中で丸一日飛んでいるというか抜けている日があることに気づいたんです。

こいし えぇ~なくても読めてしまうけど気づいたってことですよね。それはどうやってわかったんですか?

矢彦 読みながら何月何日に何が起こって、次の日は……ってメモして行きますからね。それで翻訳者の永井淳さんに知らせたら、これは大変だってことになって。それで、こちらでうまく直して、ジェフリー・アーチャーには後で報告する形が良いということになり、僕も案を出して永井さんも一緒に考えて、何とか一日誤魔化せた。

こいし それってもう校閲の仕事超えてますよね!? 日にちをいじって何とかなったのがすごいですね。つまり、『ロシア皇帝の密約』は日本語版が完全版ってこと!?

矢彦 そういうことでしょうね(笑)。まぁ、そのままだったとしても、普通に読めてしまうので誰にも気づかれなかったかもしれないですけどね。ただ、もし時系列に従って内容をメモして読むような人がいたら、おかしいじゃないかと思うわけで、そこはやっぱり正すべきだと思いましたね。この二つは僕も楽しかったし、校正者をやってて良かったとつくづく思いましたね。

「校(くら)べて、閲(けみ)する」とは

こいし やっぱりレジェンドのお話はすごい! 改めてお聞きしたいんですけど、私が矢彦さんをそのまま描いたのを見てどうでしたか? 怖くて感想を聞いていなかったのですが……。

矢彦 すごいジジィに見えるなって……(笑)。

こいし デフォルメしてますので!

矢彦 真面目に言うと読んでいて楽しかったですね。有名作家さんにゲラを赤字だらけにされた話とか、「ゲラで戦う」って言葉が出てくる場面とかね。

こいし 矢彦さんは、校閲とはこうだ! とはっきり言葉にされるので、すごく衝撃的だったんです。矢彦さんにお会いするまでは正直、校閲者ってなんだろうと迷いながら描いているところもあったのですが、矢彦さんの言葉を聞いて道が見えたという感覚がありました。描いていて一番楽しかったのもこの回ですし。

矢彦 うんうん。ね、言葉って大事でしょ?

こいし 確かに!

矢彦 その回の最後が、また時々こうやって飲みましょうよって終わるじゃない。それがいいよね(笑)。それだけじゃなく、この作品にはメッセージがあるよ。

こいし 本とか文字を読むのが苦手な人でも、漫画なら読むっていう人がいます。一冊の本にどれだけの人たちが関わっていて、どんな思いが込められているのかをこの漫画で知ってもらい、本に興味を持って読んでくれる人が少しでも増えたらうれしいなって思うんです。そこから、校閲者にも興味を持ってくれたらもっといいなと思って描いています。

矢彦 いいねぇぇぇ!

こいし あと私自身、言葉について考えるのが楽しくなっています。この漫画を描いていると、昔あったのに今は消えた言葉を知ることができたり、逆に新しく生まれた言葉について考えたり、言葉の移り変わりって面白いなと気づきました。

矢彦 言葉の変遷というのは面白いし、難しい。校閲とか校正が生まれたのも、ある意味そこからですからね。昔の古い書物を新しく書き写した時に、まさに「くらべて、けみして」ということをやったわけで。

こいし おおぉ……タイトルが……!

やひこたかひこ

矢彦 昔は紙に書かれた書物を筆写して複製していた。それをまた別の人が筆写していくと、間違った字を書いてしまう可能性が出てくる。だから元になった本と、新しく筆写されたものをくらべて、けみする(確かめる)。それが校閲という言葉の元々の意味ですよ。

こいし 印刷より前の時代からの話だったとは! ちゃんと伝えるというのが原点だったんだ!

矢彦 例えば書き写す人が下手で、場合によっては1枚飛ばして書いちゃうこともあるって本居宣長が随筆で嘆いてるんですよ。

こいし へぇ~~~~~。

矢彦 だから、くらべてけみする人がちゃんとしないと、古い文献が正しく残っていかない。本居宣長のような国学者たちは、ちゃんと後世に伝わることを念願していた。そのために校正が大事なんです。

こいし “直す人”ではなく、“伝える人”ってことですよね。今、お話を聞きながら感動しています。

矢彦 それがこの漫画のタイトルが持つ歴史的な意味ですから。昔の書物には、最後に「校」とか「挍」と記されて、そこに名前が書かれてあるんですよ。誰が校正したかというのが書かれてあった。校正者が一番大事だったわけです、その頃は。そんなお話を描いてみても面白いかもしれませんね。

こいし この漫画の中で物語として描きたいです。その時は、矢彦さんがくらべて、けみしてください!


 (こいし・ゆうか 漫画家/やひこ・たかひこ 元新潮社校閲部長)

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