書評

2024年1月号掲載

絵師のまなざしに潜り、溺れる

山田章博 芸術新潮編集部編『「十二国記」絵師 山田章博の世界』

辻村深月

対象書籍名:『「十二国記」絵師 山田章博の世界』
対象著者:山田章博/芸術新潮編集部編
対象書籍ISBN:978-4-10-335933-3

 その絵の剣は天を指し、剣を構える少女の瞳は刃の向こうの空を仰いでいる。背後には龍を象(かたど)ったような美しい装飾が画面をはみ出すように続き、少女の剣を持たない左手と膝をむきだしにした足が、青銅と思しき質感のその装飾の文様に重なる。

 作家・小野不由美の大人気小説、「十二国記」の本編第一作『月の影 影の海』上巻の装画である。この絵について著者の小野氏は「いただいた絵は衝撃的でした。涼やかに剣を掲げ、凜とした表情で空を仰ぐ陽子は『天』のようでした。仏像で言う天部像のよう」と語り、担当編集者の鈴木真弓氏は「傷だらけでぼろぼろの制服をまといながら、これほど気高い少女の姿はほかにないと感じた」と当時を振り返る。
 私もまた、この装画を目にして、「十二国記」の世界に飛び込んだ一人だ。高校生の時だった。装画の持つファンタジーの雰囲気に心惹かれ、読み進め――、今も覚えているのは、読む途中で、ふとまた装画を見た時の衝撃だ。一枚の絵としての美しさに目を奪われていたが、この装画の少女が身に着けているのは私もよく知る現代日本のセーラー服であり、こちらに向けられた足裏は擦り切れたローファーの靴底なのだ、と唐突に理解した。それほどまでに装画の陽子の纏う空気は特別感があり、ぼろぼろの制服は硬質な素材の鎧のように、その時まで私には見えていた。物語を理解したからこそ見える世界がこれまでとまったく違っていた。陽子の掲げた剣が、天に向けた左手が、むきだしの足の膝が、より強く鋭く、瞳と心に焼きついた。
 今思えば、これこそが「装画」の魅力と凄さ、そのものだ。一枚の絵で世界観を象徴し、ファンタジー小説であること、少女の物語であることを伝えて読者を小説内部に引き込み――読者がその小説を深く知ると、今度は絵の中に潜むテーマや企みにさらに気づいて、絵により大きな奥行きが宿る。異世界だと思っていた世界が、陽子の制服とローファーの色と質感を通じて、まさに「私の物語」になった瞬間だった。
 この絵を描いた絵師の名は山田章博。本書は、その山田さんの魅力に迫る一冊である。タイトルに『「十二国記」絵師』とあるように、漫画やアニメ、ゲームなど活躍の場が多岐にわたる山田さんの仕事の中でもとりわけ物語の「装画」「挿絵」の歴史と軌跡を追う。
 見どころがたくさんあって、どこから紹介するか困ってしまう。でもたとえば、「十二国記」の講談社版と新潮社版の装画の違い。「十二国記」は当初、講談社の少女向けレーベルで刊行され、二十年の時を経て、一般読者向けに新潮文庫の完全版が刊行されたという歴史があり、その両方の装画をともに山田さんが描かれている。同じ物語、同じ絵師の装画がその二つでどう変わったか。
 また、本書は『芸術新潮』での特集記事がもとになっており、表紙の陽子の横顔の絵が完成するまでに密着している。これがもう、なんとも圧巻。彼女の髪が何で塗られ、背景がどのように完成し、その過程を山田さんがどんな言葉で語るのか――見てほしい。驚くから。感動するから。
 そう、ファンとしては驚き、戦慄することがいっぱいなのだ。『風の海 迷宮の岸』の下巻の、あの美しく愛らしすぎる泰麒(たいき)がまさかそんな状況で描かれていたなんて嘘でしょ!?と慄(おのの)き、また、選りすぐって掲載された作中の挿絵の数々に改めて目を留めて、画面を切り取る角度と視点の奇抜さに驚嘆する。山田さんが描かれたからこそ自分の中であんなにも彼らが今ある姿で「生きている」のだと気づき、実感し、感謝を覚える。
 そして、思い出した。ずっと待ちわびた戴(たい)国の物語、『白銀(しろがね)の墟(おか) 玄(くろ)の月』一巻の装画が発表された時の、泣きたくなるような胸の高鳴りと痛みを。その瞳と姿それだけで、彼がこれまでの泰麒と違うのだということが伝わり、この先を読むことへの覚悟を問われた思いがした。同時に、「十二国記」を愛し追いかけ続けてきたことの幸福が胸に迫った。
 なぜ一枚の絵で、読者の心がそうなるのか。物語の「装画」は、おそらく絵師の物語への理解とまなざし、思想そのものだ。そしてそれは技術だけでは計れない、極めて選ばれた人にしか持てない才能でもある。
 実は私も、山田さんに自分の小説の絵をお願いしたことがある。長くファンだった身の分不相応な望みと理解しつつ、ダメでもともとという気持ちでした依頼に対し、返ってきた言葉に心が震えた。山田さんのご承諾を得て、ここに一部を引かせていただく。
「先生には折りにふれて『十二国記』を挙げて頂き、一挿絵画家が著者側に立って申し上げるべきではありませんが、感謝申し上げております。甚だ役者不足ではありますが、山田で問題ないようでしたら是非一点描かせて頂きたいと存じます」
 作品への真摯で誠実な姿勢と愛情。大きな物語の歴史を著者とともに作り上げてきた稀代の絵師のまなざしは、こんなやり取りにも宿るのだと言葉もない。同時代に生きる天才の仕事を今、ぜひ多くの方に見てほしい。


 (つじむら・みづき 作家)

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