書評
2024年1月号掲載
読み継がれるべきカノン
トーン・テレヘン『いちばんの願い』
対象書籍名:『いちばんの願い』
対象著者:トーン・テレヘン/長山さき訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506994-0
全世界の老若男女に愛される物語。それがオランダの作家トーン・テレヘンが書き継いでいる「どうぶつの物語」シリーズだ。
みんなに遊びに来てもらおうと招待状を書いてみるものの、頭の中でシミュレートする訪問のやりとりがいつも失敗に終わるものだから、結局手紙は引き出しの中にしまってしまう、自分に自信がなくて臆病なハリネズミを主人公にした『ハリネズミの願い』。ブナの樹の上に暮らす心優しく忘れっぽいリスが、仲間のどうぶつたちといろんな疑問について語り合う『きげんのいいリス』。太陽と月と星以外はなんでもある店を営むキリギリスと客たちとのやりとりを描いた『キリギリスのしあわせ』。これまでに訳出された3作で、読者は大勢の個性的などうぶつと出会うことができる。
短気なカタツムリ(ツッコミ)と呑気なカメ(ボケ)の漫才コンビ。不機嫌で怒りっぽいヒキガエル。物知りだけど、思わせぶりなことしか言ってくれないアリ。ダンスが大好きなサイ。食いしん坊なクマ。不安定な場所でピルエットをしたがるゾウ。とにかくどこかに頭を突っ込みたいダチョウ。いろんな所にぶつかって破壊しがちなカバ。被害妄想が激しいカラス。自分が誰かを刺してしまうんじゃないかと心配が絶えないスズメバチ。気の合う親友同士のミミズとモグラ。涙が出るほど美しい声で歌うナイチンゲール。パーティーが大好きなクジラ。演説したがるネズミ。美しいけれど高慢なオナガキジ。自分の吠え声が怖くなってしまったライオン。太陽のような強い光に憧れるホタル。自分の容姿がヘンなんじゃないかと気に病むタコ。陰気になりがちなカブトムシ。
などなど大勢のどうぶつが登場し、「こんにちは、リス」「こんにちは、アリ」と礼儀正しく挨拶を交わす、平和でのどかな世界で展開する物語たちは、でも、いつも楽しいことばかり起こるとは限らない。楽観もあれば悲観もある。希望もあれば絶望もある。笑いもあれば涙もある。上機嫌もあれば不機嫌もある。許しもあれば怒りもある。トーン・テレヘンが生み出すこのシリーズに存在しないのは「死」のみだ。
だからこそ、読者はこれらの物語の中に自分を発見することができる。発見して、そのどうぶつにシンパシーを抱いたり、反対に似たものに向ける嫌悪を抱いたり、あるいは自分にない美点を備えたどうぶつに憧れたり、嫉妬を覚えたり、さまざまな感情を誘発されることになる。とはいえ、相手はどうぶつだから、生々しい感情に激しく揺さぶられるという現象は起きない。その絶妙なさじ加減が読んでいて心地いいシリーズなのだ。どうぶつたちがそれぞれの願いを明かしてくれる、最新訳の『いちばんの願い』もまた然り。
探検家になることを夢みるツチブタが、トゲだらけの灌木の茂みを痛みに耐えながら分け入って出くわしたコオロギの、あるひと言によってシラけてしまう冒頭の一篇から、気分の重さに襲われたハクチョウが、翌朝いつもどおりに戻っていることを祈りながら眠りにつく最後の一篇まで、登場するどうぶつの数は63。さまざまな読み心地をもたらしてくれる。
大好きなモグラの思いがけない訪問(ミミズ)。二度と自分を恥ずかしいと思わないこと(アブラムシ)。キリギリスみたいに自分の店をもちたい(ケナガイタチ)。ミツコブラクダになりたい(ヒトコブラクダ)。自分みたいに光るどうぶつがもっと増えてほしい(ツチボタル)。目立ってみたい(トカゲ)。空を刺して「いてっ!」と言わせたい(アブ)。ビューティーコンテストで優勝すること(ゴキブリ)。誰もが聞き惚れるほど大きくきれいな声で鳴くこと(カエル)。毎日が誕生日であってほしい(コオロギ)。世界でもっともありふれたどうぶつになりたい(マンモス)。いちばんの願いを見失ってしまった(テン)。みんなと同じでいたい(マーモット)。カタツムリが自分に優しくなること(カメ)。自分だけでなく全員が陰気であってほしい(カブトムシ)。
などなど、イノシシやケープハイラックスやフクロウみたいに願いを持ちたくないどうぶつもいるものの、この本にはたくさんの願いが詰め込まれている。読者はその中から自分のそれに近しいものを見つけることができるだろうし、見つけられなくても自分にとっての「いちばんの願い」について思いを馳せずにはいられなくなるはずだ。短いお話の中に、いろんな感情や気づきの種が植えられているトーン・テレヘンの「どうぶつの物語」シリーズは、祖敷大輔の素晴らしい絵の魅力もあいまって、時代を超えて読み継がれる正典(カノン)と思う。
(とよざき・ゆみ 書評家)