対談・鼎談

2024年1月号掲載

『わたし、定時で帰ります。3―仁義なき賃上げ闘争編―』刊行記念対談

「社長、賃上げってぶっちゃけどう思いますか?」

朱野帰子(作家) × 青野慶久(サイボウズ代表取締役社長)

『わた定』の舞台・ネットヒーローズの社長に似ていると噂(?)のサイボウズ青野社長と著者が「賃上げ」について語ります。

対象書籍名:『わたし、定時で帰ります。3―仁義なき賃上げ闘争編―』(新潮文庫)
対象著者:朱野帰子
対象書籍ISBN:978-4-10-100463-1

『わた定』社長にそっくりでした

朱野 サイボウズさんを知ったのは『わたし、定時で帰ります。』(以下『わた定』)一作目を書いた後だったのですが、物語の舞台となる架空の会社・ネットヒーローズの歴史――黎明期にみんなが過重労働も顧みず働いて、結果、数年経って離職率が上がり、会社の危機に陥ってしまう。そこから一転してどこよりも働き方改革を進める……という歴史が、現実の会社であるサイボウズさんとそっくりで驚きました。それと、社長の青野さんの雰囲気が、私が作品の中で「社長」としてイメージしていた姿に似ていて。

青野 『わた定』を読んで、ドキュメンタリーなんじゃないかと思うぐらい身近でリアルに感じましたが、朱野さんにとっては僕がそうでしたか。

朱野 執筆時、すでに存じ上げていたら書けなかったと思います。
 三作目を考える中で「残業しないと生活ができない」という意見を耳にしました。「働き方改革はいいもの」という圧力の中で隠された「給料が減る」ことへの不満に今作では焦点を当てています。難しいテーマでしたが、青野さんに以前お会いした際、「給料は働き方改革の本丸です」と言われたことにも勇気づけられて書きました。
 2018年にサイボウズのエンジニアの方が給与交渉をされたというネットの記事が出ましたよね。しかもSNSという公開の場で。当時、青野さんは経営者としてどういう心境でしたか。

青野 すごくいいことだと思いました。僕たちの会社が大切にしているのは「一人一人が自分の欲しいものを主張できること」です。「給料は減ってもいいから働き方は自由にさせてほしい」「自分はめちゃくちゃ働くから給料もいっぱいほしい」、どちらの考え方もありだと思う。「残業したくない」と同じように「私はこれだけ給料がほしい」というのも並列で語られてほしい。だから、社内で話が出たときは「やったー!」とすら思いました。主張してくれれば、それを叶えることも協力することもできますから、みんなどんどんやればいい。

朱野 でも「給料を上げてくれ」と言うのは、心理的ハードルが高いですよね、特に日本人は。

青野 そうなんですよ。実際に日本人で給与交渉してくる人って、年間数名とか、その程度で。アメリカの子会社ではもっとガンガン来ます。

朱野 日本人だらけの環境だとどうして言いづらいのでしょう。

青野 幼少期からの教育に原因があると思います。決められた道をきちんと走れる子が「いい子」で、そこに異論を唱える子は異質として扱われる。だから自己主張する機会が全然ない。

朱野 とはいえ、日本でも戦後からバブルぐらいまでは労働組合が強くて、労使交渉や賃金交渉も盛んに行われていましたよね。時には血みどろの戦いまでして。なのに今、給料を上げてほしいと「言えない気持ち」があるのはなぜなのかと。

青野 「上がらないのが当たり前」「我慢するのが大事」という感覚に慣らされすぎたのかもしれないですね。

朱野 私は雇用不安に苛まれた「氷河期世代」ですが、耐えることに慣れすぎたというか、お金があったとしても使えない感覚が体に染みついています。幸せを求めてはいけない心理というか、「給料を上げてくれ」なんて言ったら、お前なんかがと嗤(わら)われそうで。

青野 そういうマインドが「失われた30年」の中で蔓延してしまった。

給料ってどう決める?

朱野 サイボウズさんは給料の決め方の三つの軸として「①自分が希望する給料」「②自分の市場価値」「③チームへの貢献」というのを上げられていますが、そのどれとも向き合うのはきついのではと感じます。

青野 自分の市場価値に向き合うのは勇気がいりますよね。資本主義で考えると、給与とはシンプルに「人の価値」ですが、これが市場で決まってしまう。うちで給与交渉した人は、まず転職サイトで他社だとこれぐらいの給料がもらえますよ、と主張してくれた。すると、こちらは給料を適正な市場価格に近づけることができる。でもその結果、現状よりも低い給料を突きつけられる可能性もあります。

朱野 話がずれるかもしれませんが、出版業界では「本を定価で買わないのは、あなたの本に『価値がない』と突きつけることだから、中古で買ったとか図書館で読んだとか作家に言っちゃいけない」なんて言説があります。良かれと思って言っているのはわかるのですが、資本主義的価値観に囚われすぎだと私は感じます。そのような言説を聞き続けていると、市場価値がつかなければ自分は無価値だと過剰に捉えるようになるのではないかと。

青野 そんな結果を見ると、誰だって動揺します。でも、それは単純に、そういう価値をつけた人がいた、っていうだけの話でしかないんです。

朱野 人によって簡単に変わってしまうような評価を自分自身の価値だと捉えない方がいいということでしょうか。

青野 そうですね。自分の幸福が失われてしまうことの方が非常にもったいない。少し冷めた目で「なるほどね」と受け止めるぐらいのメンタルの強さがこれからの時代には必要になってくると思います。これだけ社会の多様化が進んでいくと、残念ながらみんなの給料が何もせず上がっていくなんてことはない。平均もよくわからないから、結局自分の価値は自分の中で決めないといけない。

朱野 「③チームへの貢献」について、本当にチームの役に立てているのかって、これも自分で決められるものなのでしょうか。

青野 きちんと計るのは難しいように思えますが、最終的に得てほしいのは「その職場で楽しく働けている」という実感です。自分が貢献できているという実感を自分で持てることが重要で、そこに向き合うことで人の心が鍛えられて思考が自立できると思います。

朱野 会社で役に立っているのか、何のためにここにいるのか。そういうことを本人がつかむきっかけとして、給与交渉があると考えられるわけですね。

経営者の市場価値とは

朱野 突っ込んだ質問になりますが、経営者同士でいわゆる「市場価値」みたいなものを考えたり比べ合ったりするんでしょうか。

青野 実は僕、自分の市場価値を知りたくなって、転職エージェントに依頼して「僕が転職するとしたら、給料はいくら?」って聞いたことがあるんです。

朱野 そうなんですか!

青野 結論から言うと、ピンキリでした。会社が潰れそうで誰も経営したくないような所の給料は高かった。サイボウズみたいに誰がやっても成長していくだろう、みたいな会社の経営はみんなやりたがるので安くなります、と言われて「あ、やばい、自分の給料下げなあかん!」と。

朱野 感覚的には逆に思えますよね。

青野 儲かっている会社の方が給料は高い気がするけれど、需給で考えると逆だというのは気づきでしたが、結局答えはよくわかりませんでした。
 経営者たちがみんな思考の転換を迫られているのは確かです。昔と違って今は新卒が3年で3割辞めていく。「あの会社は給与交渉もできるし、副業もできるみたいだ。転職しよう」となってみんなサイボウズに来てしまうと、会社が成り立たない(笑)。だから経営者はマインドチェンジを迫られる。
 長時間労働で稼ぐ時代が終わるわけですから、短時間でアイデアを生かして儲けるような形への「ビジネスモデルの転換」が必要です。日本の産業構造の転換が強いられるわけです。

朱野 円安になっている今、自分たちの認識以上に日本は「安い」国になっていますよね。海外から見たら物の値段も安いが、給与も安い。私の子供たちも、もしかしたら海外に出稼ぎに行くんじゃないかという予感があります。

青野 あと数十年間で日本が全体的に沈没していくのはまず間違いない。でも、その過程でも新しいチャンスをものにできる人が21世紀後半のリーダーになっていくんでしょうね。経営者も社員も、新しいことを学ばないと古い人間になってしまう。「最終学歴」にこだわる日本人、多いですけれど、「最新学習歴」に変えてしまいたい。「あなたは何を最近学びましたか?」と聞かれて答えられる人間、そうやって学び続けられる人間がこれからの価値の高い人間だと思います。

朱野 楽な時代とはとてもいえないですし、新しいことを今から学ぶのも正直つらいですが、未知の世界にあえて自分を置いて、再び成長していく楽しさってありますよね。

青野 それがわかっている人は素敵な人だと思います。働き方改革、賃上げと来て、『わた定4』のテーマは「学びの変化」だったりして。


 (あけの・かえるこ 作家/あおの・よしひさ サイボウズ代表取締役社長)

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