書評
2024年2月号掲載
読者に丸鶏を買わせ、料理人にする料理本
キャスリーン・フリン『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』
対象書籍名:『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(新潮文庫)
対象著者:キャスリーン・フリン/村井理子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240421-8
『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』は、料理家で作家のキャスリーン・フリンが、シアトル郊外にある巨大スーパーマーケットで、とある女性と偶然出会ったところから物語が始まる。幼い娘を連れた彼女は、次々と、大量のインスタント食品でカートを満たしていく。新鮮な食材の溢れる高級スーパーマーケットで、なぜこの女性はインスタント食品ばかりを購入するのだろうと疑問に感じたキャスリーンは、勇気を振り絞って彼女に話しかける。彼女がインスタント食品ばかりを購入する理由は、至ってシンプルだった。生の食材の調理の仕方がわからない、ただそれだけのことだったのだ。そうであれば、三十六歳でリストラされ、一念発起パリに渡り、世界屈指の名門料理学校ル・コルドン・ブルーを卒業した自分が彼女の食卓を変えることが出来る。かわいい娘さんに、新鮮な野菜と肉を使った美味しい料理を、インスタント料理の半分以下の値段で食べさせてあげることができる。そう考えたキャスリーンは、彼女と一緒にショッピングをしながら、食材の選び方を丁寧に説明することに成功する。彼女のカートからひとつずつインスタント食品を棚に戻し、代わりに、同じ献立を作ることが出来る肉と新鮮な野菜をカートに入れ、その調理法まで伝えることが出来たのだ。
このできごとは、長くキャスリーンの心に残り続けた。この出会いが自分の人生を変えると予感したキャスリーンは、やがて素晴らしいプロジェクトを思いつく。料理が嫌いで、苦手と考えている女性を十人集め、彼女らの自宅を訪ねて、冷蔵庫の中身を見せてもらう。実際に調理をしてもらい、それぞれの苦手を明らかにしていく。そして十人全員を、とある調理場に集め、料理や買い物の基礎を教える料理教室を開くのだ。この女性たちの挑戦の日々がまとめられたのが、本書である。
キャスリーンはまず、手の洗い方、包丁の使い方といった料理の基本から、生徒となった女性たちに教えていく。料理は本来とてもシンプルな作業で、基本を守ることで、知らず知らずのうちに技術は上がっていくものだと生徒たちを励まし続ける。知人であるトップシェフや、肉の専門家などを招き、プロの仕事を見せることで生徒たちを刺激することも忘れない。質の良い食材とスパイスを使えば、まるでシェフが作ったような美味しい一皿が簡単に出来上がることを徐々に理解していく生徒たちは、それぞれが得意な一皿を見つけることに成功する。様々な背景を持つ、幅広い年齢層の生徒たちが、互いに励まし合い、時には涙し、大笑いもしながら、料理に向き合い、同時に自分の人生の問題にも向き合っていく。その姿は時に健気で、力強い。様々な食材のテイスティングをすることで、本当に体に良い食材とはどのようなものであるかを教えられた生徒たちは、それまで自分のキッチンにあった調味料を処分し、高いけれども質の良い商品を選ぶようにもなっていく。調理の方法だけではなく、買い物の仕方にまで変化は現れる。本書の大きな特徴は生き生きとした女性たちの描写のみならず、とてもシンプルで美味しそうなレシピの数々だ。単行本出版の際に大きな話題になったのは、「こねないパン」のレシピだった。パンを焼くという、料理好きであっても躊躇するような難しい作業も、キャスリーンが生徒に教えた「こねないレシピ」を参考にすれば、失敗することなくパリパリとした皮のパンが焼き上がるはずだ。パンを添える一皿のレシピにも事欠かない。クリスマス前になるとスーパーマーケットの陳列棚に並ぶ丸鶏に「誰が買うの?」という疑問を抱いていた人たちも、本書を読めば「私でも捌けるかもしれない」と思うのではないだろうか。そして実際に、丸鶏をショッピングカートに入れてしまうかもしれない(私は入れてしまったことがある)。白ワイン、生クリーム、マスタード、ハーブを追加して、レジに急ぐだろう。その日のディナーは、鶏肉のクリーム煮、マスタード添えだ。もちろん、焼きたての「こねないパン」を添えたい。このようにして、読む人をあっという間に料理人に変えてしまうのが、本書の力だと思う。高品質な食材を、本当に必要なだけ買うこと、自炊すればするほど体重は減りやすくなること、ベストな買い物は二日程度で消費できる食材を上手に購入することなど、目から鱗のアドバイスが随所にちりばめられているのも楽しい。
著者キャスリーン・フリンの優しさに溢れる言葉の数々も本書の特徴だ。「焦がしても、落としても、煮過ぎても、生焼けでも、味気なくても、食事のしたくに失敗したって、それでもいいじゃない。たかが1回の食事なんだもの。明日になったらまた作ればいい」。こんな言葉に生徒たちが励まされたように、私たちもまた励まされる。本書を読めば、それまで通っていたスーパーマーケットの景色ががらりと変わるに違いない。
(むらい・りこ 翻訳家)