書評
2024年3月号掲載
著者にしか書けない老人性の炸裂
高橋源一郎『DJヒロヒト』
対象書籍名:『DJヒロヒト』
対象著者:高橋源一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-450803-7
全648頁なので失われた時を求めてとかユリシーズとか聊斎志異とかいう量じゃないし重力の虹だって確か1日で一気に読んだしこういうのは休み休み読んでたらグルーヴなくなっちゃうよなと思い気負って一気読みすべく20時から読み始めたら36時間かかってしまった。著者には大変申し訳ないのだけれどもプロローグとエピローグに挟まれたたった4章のうち本当に引き込まれて読めたのは何と2章の途中までで後は文体も内容も素晴らしいのはわかるのだけれども(難しい漢字/カタカナ/ひらがなの実に細やかな使い分け)つまり大昔のフランス料理のように食材もグランクリュで手が込んでいて旨いのはわかるのだけれどもコースの途中から重く辛く登場する人物の悲痛すぎる人生より今読んでるオレのがよっぽど辛いわと思うほど辛くなってしまいちょっとした拷問の終わりのような読後感だったとはいえ作品の質としてあたかも「毎日読みたいだけ読んで何日もかけて読めばいいですよ」「何ならどこからでも読み始められますよ」的な(かなり古いけれども)ゲームブックみたいな顔つきもちょっとはあるのだが実際のところ本書はやはり絶対一気に読まなくてはいけないように書かれていて要するに7時間の映画を映画館で見る(休憩なし)ような話だから何せ物量/時間的なマッシヴと鑑賞者の戦いというのは昔からあらゆる芸術形態にあるけれども文学者たるものX世代(元Twitterのことです。こういう時困るあの改称)に向けてまだまだ老境に入って丸く柔らかくなんかなるか新しい読書体験を食らわせてやるという著者の問題意識というか滅多に露わにしない闘争意識とバランスする奇妙な諦念も漂わせる一方で子供の頃居眠りしながら見たオズの魔法使いとか思春期に一日中ラジオをつけっぱなしにしている時間感覚とか奇妙な退行感がイタズラにミックスされるのではない圧倒的な近代日本史のアマルガムと入り混じっている。4章には「ミュージカル」の名が冠されているがあらゆる意味でミュージカル的とはいえず一番辛い7合目あたりで「あ、絶望から救われるのかも(プイグの「蜘蛛女のキス」的な)」という開放感への飢餓感を拒絶する気骨は素晴らしい。書名はミスリードでかなりの数の人がラストは玉音放送のポップ版で終わるんだろうなあと思うと違う。その大仕掛けはとても素晴らしく「教育(皇太子へのそれと読者全員へのそれ)」と「ラジオ放送(録音/放送/再生)」という両極的なオブセッションが近代日本における天皇制の文学化という最終テーマともいうべき全体像を支えており敢えての演舞に決まっているのだがアルツハイマー的な感覚もしっかり入れ込んであり(途中で一瞬出てくる一人称が据わらないまま放置されていたり)流石のポストモダニストぶりは突如の時空を超えたサブカルのサンプリング(セックス・ピストルズ/風の谷のナウシカ/ソフィーの選択/ラップへの言及etc.)とかよりもむしろ「博覧強記」と流されてしまいかねない膨大な知識量(資料性)がWikipediaのコピペ(やってる訳ないが)にシミュラクラを起こす3D効果も感じ(どの程度意識的かはわからないけど地道に強烈)文学作品ではないが蓮實重彦の近作(特に対談)にあるような臨死的なノスタルジア混濁をあけすけなミュージカル愛(オール・ザット・ジャズ的な)で支えているという現状や昔日の筒井康隆〈中南米マジックリアリズム期〉の「虚航船団」における拷問的な「世界史のパロディ」の自由闊達な〈読難性/読苦性〉も視野に入っているかも知れない不器用にさえ見えかねない骨太さは驚嘆に値し「21世紀の最新老人ポップ文学」という側面が一番強いかも知れない(そんなものは恐らく本邦には無いので)。差し出された餌に食い付くような事を敢えて書くなら同じDJとして選曲のセンスはやや硬直的で貧弱に思えそれこそが「DJヒロヒト」のヒロヒトたる所以でもあるのかも知れず21世紀の20年代がとうに失ってしまった香しい老人の匂いに咽せかえり誰もがアンチエイジングの病に取り憑かれている現在に突きつける「国文学ルネサンス」としての重厚な問題作。
(きくち・なるよし 音楽家/文筆家/元ラジオDJ)