対談・鼎談
2024年3月号掲載
特別企画対談
不謹慎であればあるほどいい
小川 哲 × 筒井康隆
小川氏がパーソナリティをつとめるFM番組に、筒井氏がスペシャル・ゲストとして登場。作家の覚悟をめぐる対話を誌面採録!
対象書籍名:『カーテンコール』/『君が手にするはずだった黄金について』
対象著者:筒井康隆/小川 哲
対象書籍ISBN:978-4-10-314536-3/978-4-10-355311-3
小川 筒井さんが「これがおそらくわが最後の作品集になるだろう」と宣言した『カーテンコール』が刊行されました。2020年から2023年にかけて発表された二十五篇の掌篇小説が収められていますが、この本はどういう経緯で作ろうと思われたのでしょうか。
筒井 昔は、短篇集や掌篇小説集を作る時、いろんな作品をごちゃ混ぜにしていたんです。このところ書いた作品を集めたらちょうどいい枚数になるからと、純文学もSFもエンタメも一緒くたにして一冊にまとめていた。でも、この年齢になると、それではよくないのではないかと思うようになってね。やはり〈老人の美学〉を見せないといけないのではないか(笑)。『カーテンコール』の前の短篇集『ジャックポット』(2021年)はわりとハードな前衛的作品ばかりを集めたものでした。あれも途中から「前衛的なものだけを集めて一冊にしよう」と決めたんです。で、『ジャックポット』の次の作品集は、逆にエンターテインメントに寄せたものだけでまとめよう、と。
小川 着想の段階から「これは最後の作品集になるかもしれない」と思ってらっしゃった?
筒井 もちろんです。最後の作品集だから売れてもらわないと困るので、十枚前後の短いエンタメものをたくさん集めた本にしてやれ、それなら売れるだろう(笑)。そこはもう心得ていますから、意識的にやりましたね。
小川 二十五篇の内容については、みなさんにぜひお読み頂きたいのですが、「エンターテインメントに寄せた」と言っても、前衛っぽいものもあれば、SFもあり、ユーモアで押していくものもあります。これまでの作家筒井康隆のエッセンスが一冊に詰まっているのですが、中でも、これまでの筒井さんの代表作、『時をかける少女』(1967年)や『文学部唯野教授』(1990年)や『富豪刑事』(1978年)等々の主人公や、星新一さんや小松左京さんなど往年のSF作家仲間が出てくる「プレイバック」にはとりわけ感動させられました。また、亡くなられた息子さんのことを書かれた「川のほとり」にももちろん胸を打たれたのですが、しかし、僕は少年時代に筒井作品を読み始めた頃から、「感動作を書く時の筒井康隆には気をつけろ」と思ってもきました。素直に感動してしまうと、作者に裏で笑われているのではないかと疑心暗鬼になるんです。
筒井 それはその通りですよ。読者から「泣きました」なんて言われると、こっちは「しめしめ、狙い通りだ」とほくそ笑むわけです。
小川 やっぱり(笑)。なので、僕が『カーテンコール』の中で好きな作品だと不安なく言えるのは、大蛇が大好きな美少女が出てくる「白蛇姫」とか、人魚に恋をする「横恋慕」とか、ファンタジックで、かつ愛の残酷さが出た小説ですね。それと「波」の書評にも書いたのですが、「お時さん」に森が出てきたのには大笑いしました。大江健三郎さんも晩年は繰り返し四国の森を描いていましたし、筒井さんがお好きなハイデガーも晩年は森に籠っていた。「お時さん」の主人公も森の中を散歩しますね。散歩というのも僕は文学の大きなテーマだと思っているんです。筒井さんの「最後の作品集」と銘打った本に、森の中の散歩が出てきたので、僕は何だか感激しました。
筒井 「お時さん」に出てくる森は、大江さんの森と違って、都会の中の森です。言ってみれば、代々木公園みたいなところですよ。「お時さん」の発想の元は、エノケンの「兵六夢物語」なんです。あの映画に霧立のぼるがやっている小料理屋が出てきましてね、ああいう店が実際にあればいいなあという願望で書きました。
小川 『カーテンコール』に収められた作品はコロナ禍が起きてから書かれたと思いますが、まさに「コロナ追分」と題された作品があったりして、完全にコロナをおちょくっていますね。
筒井 コロナを作品に利用したわけです。「夜は更けゆく」なんて兄妹の危ない話は、コロナ禍だからああいうシチュエーションになるわけですからね。いろいろ利用させて頂きました(笑)。
小川 コロナに限らず、これまでも筒井さんは社会情勢を巧みに利用してこられました。今、ロシアとウクライナとの戦争が長引いていますし、パレスチナとイスラエルの戦闘も始まりました。筒井さんは「最後の作品集」の後もなお、そんな世界の情勢などを利用して書いてやろうという気持ちはおありでしょうか。
筒井 僕はベトナム戦争が過熱している最中に「ベトナム観光公社」を書いて、「世の中には茶化していいことと悪いことがある」と批判されましたが、昔から僕は基本的に「何を書いてもいい」という立場です。だから、いいアイディアさえ思いつけば、やっぱり書いてしまうでしょうね。次の作品集を出すほどの分量は書けないだろうけれども、筆を折るわけじゃないですから。
小川 面白ければ不謹慎でもいいだろう、あるいは、そもそも不謹慎なんてないんだ、というお立場でしょうか。
筒井 いや、僕の場合はむしろ「不謹慎な方がいい」という考えですね(笑)。小説というものは、積極的に不謹慎でないといけないんじゃないか。
小川 確かに。
何を書いても許される作家に
小川 今日は筒井さんに――僕はファンなので知っていることも多いのですが、ラジオを聴いている人のためにも――いろんなことをお尋ねしたいと思います。作家としてのキャリアは、もう何年くらいになりますか?
筒井 大学時代にも何かしら書いていましたが、卒業後に乃村工藝社へ入ってから、同人誌(「NULL」)を出して、何とか認められてプロになりました。〈ハヤカワ・ファンタジイ〉というポケットブックのシリーズが出て、その後「SFマガジン」も創刊されて、僕はSFを知ったんですよ。それで自分でも本格的に書きたくなって、会社帰りの電車の中で「同人誌を作ろう」と思いついた。弟たちも文才があるようだったから、家族で同人誌を出せば話題になるだろう、と。
小川 狙い通りになって、そこからやがて商業出版に移られた。
筒井 「NULL」創刊号に書いた「お助け」が、すぐ乱歩さんの推薦で「宝石」(1960年8月号)に転載されましてね。でも、同人誌を出したのが二十五歳で、「どうやら作家として生活していけるな」と結婚して上京するのが三十歳ですから、ずいぶん長くかかりました。
小川 上京して専業作家になられて、最初に出した単行本が短篇集『東海道戦争』(1965年)ですね。僕の父が筒井さんの大ファンで、家に筒井さんの本がたくさんあったんです。あまり本を薦めることのない父が珍しく薦めてきたのが『東海道戦争』。でも、僕が最初に読んだ筒井作品は『農協月へ行く』(1973年)で、小説を読んで初めて腹を抱えて笑うという体験をしました。実は父親の田舎が農家で……。
筒井 それは申し訳ない(笑)。
小川 あの農家の感じとか人びとの雰囲気とか、僕はよく分かりました(笑)。僕がハヤカワSFコンテストでデビューしたのは2015年ですが、筒井さんは1960年代からSFを書いてきた。もう六十年くらい経つわけですが、いまだに『カーテンコール』にもSF的な作品が入っています。その一方で、キャリアの途中から、実験的な純文学も書くようになられた。どんな考え方の変化があったのでしょうか?
筒井 ひとつには前衛的なものへの憧れがあったのでしょうね。『脱走と追跡のサンバ』(1971年)という実験的な長篇小説を「SFマガジン」に連載したけど、誰も評価してくれなかった。そこへ塙嘉彦という「海」の編集長が現われて「もっと前衛的なものを書いてくれ」と言われたので「しめた!」と。でも僕がいちばんに考えていたのは、読者をもっと広げたい、ということですよ。
小川 それで『虚人たち』(1981年)や『虚航船団』(1984年)などから、「最後の長篇小説」と謳われた『モナドの領域』(2015年)や『ジャックポット』に至る、SFと実験的な純文学がクロスオーバーする作品をずっと書かれてきました。いま仰ったように、筒井さんが作家として大切に考えることは、読者を増やす、ということになるのでしょうか。
筒井 単に読者の数が多いというのではなくて、「何を書いても筒井康隆ならば許す」、別の言い方をすれば「おれならば何を書いてもいいんだぞ」(笑)、そういう作家になりたいと思っていますね。今でもね。
小川 とっくに、そうなってらっしゃると思います(笑)。そんな存在は筒井さんしかいないとも思いますが、自覚的にそういう作家になろうとされたんですね。
筒井 よく言われることだけれども、僕は「ビックリおじさん」で、人をビックリさせるのが好きなんだね。だから、純文学の小難しいものを書いても、それはそれで読者が驚いてくれる。そこが僕の喜びなんですよ。
小川 それは筒井さんが長年かけて作り上げた読者との信頼関係があるからこそ、ですよね。「純文学の小難しいもの」の一方で、『時をかける少女』のような、何度も映像化される、どストレートで親しみやすいSF作品も書かれています。あれはどんな構想で書かれたのでしょう?
筒井 上京してすぐの時期だったと思いますが、SFというジャンルが注目され始めて、中学三年生向けの学習誌に連載を頼まれたんですよ。「SFを書け」という注文だったけど、学習誌だからドタバタは書けないわ、〆切は迫ってくるわで本当に困って、それこそ代々木公園をぐるぐる歩いて構想を考えたことをおぼえています。
小川 ああ、筒井さんも困った時は散歩して構想を練るんですね。
筒井 いや、もうあの時だけです。蓮實重彦さんはあの作品ばかり褒めてくれるから弱っちゃうんだよね(笑)。まあ僕とすれば、本が売れてくれたら、それでいいんですけどね。
小川 どこかで『時をかける少女』のことを、たくさん稼いでくれる親孝行娘だとお書きでしたね(笑)。実験作の方は本当に枚挙にいとまがなくて、パソコン通信時代には、電子会議室の意見をもとに執筆を進めた新聞連載小説『朝のガスパール』(1992年)もありました。
筒井 あれは十八世紀のイギリスにサミュエル・リチャードソンという作家がいまして、自分で新聞を発行していたのかな。そこに載せる小説は読者の意見を参考にして次の展開を決めていたのだそうです。それを知って、せっかくパソコン通信時代に新聞連載をするのだからと、読者参加型にしたんです。
小川 もうひとつ、最近またベストセラーになった『残像に口紅を』(1989年)は、世界から言葉がだんだんなくなっていく、という実験作です。あれはどういう発想だったのですか?
筒井 当時、初めてワードプロセッサーを買ったんですよ。あれ、違ったかな? 『残像に口紅を』を書くためにワープロを買ったのか、ワープロを買ったからあんな作品を思いついたのか、思い出せない(笑)。ワープロで最初に書いたのが『残像に口紅を』であることは確かです。
小川 使える字がどんどん減っていくので、執筆はとても大変だったと思いますが、どういうふうに書いていったのでしょう? 詳細なメモとかおありでしたか?
筒井 メモは取ってなかったですね。消えた文字のキーボードを打てないように画鋲を貼ったとか言っていましたが、実際、使えなくなった文字の上に赤い紙を貼っていきましたよ。あれはたいへんだった。
小川 これは『ガスパール』や『残像』よりも前の作品ですが、『大いなる助走』(1979年)という長篇もありました。僕も大笑いしながら読みましたが、これは直廾賞という架空の文学賞に落選した作家が選考委員をどんどん殺していく小説です。実際に筒井さんは何度か直木賞の候補になっては落とされるという経験がおありですが、直木賞選考委員に対する恨みなどではなく、こういう小説を書いたら面白いぞと思って書かれたのだろうなと感じます。
筒井 そう仰って頂ければありがたいです。
小川 僕は小説家だからわかりますが、本当に直木賞が欲しかったら、あんな小説は書きませんよね。書いたら、絶対に直木賞をもらえない(笑)。一方、読者は「筒井は直木賞を欲しすぎて、おかしくなっちゃってる」と的外れに思うかもしれない。そんな可能性まで含めて、面白がってやろうという感じでしたか?
筒井 そこまでは考えなかったですね。直木賞の勧進元の文藝春秋の雑誌(「別冊文藝春秋」)で、選考委員を皆殺ししてやろうなんて小説を連載するのは、みんな面白がってくれるだろうと思っていました。でも、考えてみれば「復讐したい」という気持ちも少しはあったかな(笑)。こちらも人気作家になっていましたから、「やり返せるものなら、やってみろ」くらいは思っていたかもしれないね。何かに書いたけど、やっぱりある選考委員が編集部に「あの連載をやめさせろ」とねじ込んできたらしいですよ。「一番ぶあつい唇で怒鳴り込んできた」とか書いたから、誰のことかわかるよね。
「ここから先」が勝負どころ
小川 筒井さんは1993年にご自身の作品の扱いに抗議して断筆されました(1996年まで)。これは作家にとってハンガーストライキというか、命取りになりかねない行動じゃないですか。あの時は、どんなお気持ちだったのでしょう?
筒井 ハンガーストライキとまではいかない。せいぜい、ちゃぶ台返しくらいじゃないかな(笑)。
小川 断筆期間中は、どういうふうに過ごされていましたか?
筒井 普段通り、小説を書いていました。断筆のままで、出版社がほっとくわけがない。僕の原稿を喉から手が出るほど欲しいところはいっぱいあるとわかっていましたから。書いた原稿をどこに売ろうかな、と考えて楽しんでいましたよ。
小川 実際に断筆を終えて、書き溜めた原稿を売っていかれた?
筒井 ええ、各出版社と覚書を交わして断筆を解除した時は、原稿がいっぱい溜まっていたから嬉しかったですね。
小川 筒井さんの本当に一筋縄でいかないところは、断筆でさえも文字通りに受け取ることができないところです。冒頭で「感動作を書く時の筒井康隆には気をつけろ」と言いましたが、断筆についても裏で筒井さんが舌を出して笑っているような気がするんです。筒井さんの小説をずっと読んできて、こちらも訓練されてきた(笑)。
筒井 まあ、半分くらいは本気でそう思っていることでないと、書けないでしょうけどね。
小川 さきほど筒井さんは、小説は不謹慎じゃないといけない、と仰いましたが、普通の人だったら――僕なんかもそうですが――、これは不謹慎だから書くのをやめようというのじゃなくて、不謹慎すぎて「書く」という発想すら浮かばないようなものを筒井さんは書いてきた。人びとが「不謹慎だ」と思うことにこそ、小説にとって重要なものがある、とお考えですか?
筒井 そうです。ウクライナの戦争でも何でもそうですよ。
小川 筒井さんは不謹慎なことを書く時に、何かこう、ご自身の主張みたいなものをあまり入れない気がします。
筒井 それ以前に、作家のくせに「これは書いたらいけないんじゃないか」と言うやつがいるんだよね。「やはりコロナのことは書いたらいけない」なんてね。はっきり言って莫迦ですよね。バイ貝の身をうまくほじくり出すと、僕はウンチって呼んでるけど、いちばん奥の内臓のところがプルッて出てくるでしょう? あれ、嬉しいよね。言ってみたら、あそこまで出てきたらいいな、と思って僕はいつも小説を書いているんです。
小川 そこまで書けるコツはあるのでしょうか?
筒井 コツは作品によって違うけれども、「ここから先は書くとやばいな」というところこそがミソなんだよね。そこは自分で自分を突っついて、ここから先をきちんと書け、と発破をかけるしかない。
小川 そうやって筒井さんは何百という数の作品を書かれてきました。そのいずれもが新しいアイディアやコンセプトがあるものばかりです。僕がいちばん筒井さんにお伺いしたいのは、なぜ常に新しいことを書き続けられるのか、ということです。作家には、ひとつのモチーフをずっと書き続けるタイプもいますよね。大江健三郎さんもいくつかのモチーフを何度も書き直していくことで、世界を深めていったわけです。でも筒井さんは「これまでに書いてこなかったこと」を書き続ける。僕もそういう作家になりたいので、どういう秘訣があるかを知りたいんです。
筒井 何か思いついて書き始めても、「あ、これは以前に書いたことがあった」と気づいたら、そこで書くのをやめるんですよ。そうすれば、自然と書いたことがないものしか完成できない(笑)。
小川 何十年というキャリアでも、書いたものは全部おぼえているものですか?
筒井 書く前には思い出さない時もあります。でも書いている途中で、「ああ、これは書いた書いた」と。気をつけないと、読者にもバレますからね。
小川 キャリアを積むにしたがって、「書いたことがあること」は増えていきませんか?
筒井 それはそうですよね。だからこそ『カーテンコール』を「最後の作品集」にしようと決めたわけです。
小川 最後にまた『カーテンコール』に戻りますが、長年の愛読者としては、もちろん僕も「最後の作品集」って聞くとすごく残念だし、かなしいなあと思います。ただ、筒井さんが『モナドの領域』で執筆をやめずに、『ジャックポット』『カーテンコール』と二冊も短篇集を出してくれたことを「凄いなあ。よかったなあ」と思う気持ちもあるんです。神について小説で書くという、究極的というか、終着点のような小説(『モナドの領域』)にチャレンジして、そこからさらに二冊も本を書かれた。それが僕にとっては大きな意味を持っています。でも――やっぱり訊いてしまいますが、『カーテンコール』が最後の作品集になることは固い決意でいらっしゃるんですね?
筒井 ええ、もうこれ以上は書けないでしょうね。もちろん、エッセイとか何らかの形で文章自体は書き続けるでしょうけどね。
それより、あなたの最新作(『君が手にするはずだった黄金について』)を読んできたので、ちょっと喋らせてください。
小川 うわわ、ありがとうございます。
筒井 あの本には、わざと私小説のように見せかけた連作が六話入っているわけだけど、最初の「プロローグ」が少し入りにくいんだよね。ははあ、これは大江さんの『同時代ゲーム』の冒頭と同じで、読者を試してやがるな、と。そこを突き抜けた後は、ものすごく面白くなる。どれもいい小説だけれど、「三月十日」なんて素晴らしい短篇だよね。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をディズニーがアニメ化した映画に、「なんでもない日」って歌が出てくるじゃない? 三月ウサギと眠りネズミときちがい帽子屋が森の中で乾杯しながら「なんでもない日バンザイ!」なんて延々と歌って、アリスを巻き込んでいく。原作だと『鏡の国のアリス』の方に出てくるエピソードかな。誕生日は年に一日しかないけど、誕生日じゃない日、つまり「なんでもない日」は三六四日もあるじゃないか、バンザイという歌。あれから思いついたんじゃない?
小川 そう言われたら、そうですね。着想は別にあったのですが、『アリス』の記憶はあったのかもしれません。小説って本来は2011年3月11日について書くものじゃないですか。なんでもない日については書かない。だからこそ、なんでもない3月10日について書くのは面白いなと思って書いた記憶があります。丁寧に読んでくださって恐縮です。
筒井 『アリス』は星新一さんがベストワンに挙げていた映画ですよ。
小川 では最後に、小説家のプライドって何だと思われますか?
筒井 盗作を指摘されたら傷つくでしょうね。『カーテンコール』の話と繋がりますが、他人からの盗作でなくとも、自分の過去の作品を複製しているような作家もいるでしょう? あれは僕はしたくない。
小川 自分の作品からでもアイディアを盗ってくるのはお好きじゃない。
筒井 SF作家は、みんなそうだったと思いますよ。それこそ星さんが「あれは自分盗作だ」なんて言って、よく批判していましたね。
この対談は、2023年12月3日および10日にTOKYO FMで放送された「Street Fiction by SATOSHI OGAWA」の活字バージョンです。対談の模様は、オーディオコンテンツプラットフォームAuDeeでもお楽しみ頂けます。URLはこちらです。
(つつい・やすたか)
(おがわ・さとし)