書評

2024年3月号掲載

今月の新潮文庫

世界を震撼させた作家 その終わりと始まり

新潮文庫編集部

対象書籍名:『飛ぶ男』/『(霊媒の話より)題未定―安部公房初期短編集―』
対象著者:安部公房
対象書籍ISBN:978-4-10-112125-3/978-4-10-112126-0

 安部公房は1924(大正13)年3月7日に東京に生まれ、少年期を満州で過し、二四歳で文壇デビューしました。以来、六八歳で逝去するまで、独創性あふれる創造力で、『壁』、『燃えつきた地図』、『砂の女』、『箱男』をはじめ、今なお読み継がれる数々の傑作を生みだしてきました。
 今年は、安部公房の生誕から一〇〇年の節目に当たります。これを機に、新潮文庫より二ヶ月連続で新刊を発売いたします。一点目は未完の絶筆『飛ぶ男』。二点目は生前未発表作や全集未収録の短編「天使」を収録した『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』。新潮文庫から新刊が発売されるのは約三〇年ぶりのことです。
 2月末に刊行される『飛ぶ男』は、安部公房が1993年に急性心不全で急逝した後、愛用していたワープロ(ワープロで執筆した最初の作家の一人でした)のフロッピーディスクの中から発見されました。ディスクには独特の筆跡で「飛ぶ男」と書かれており、その下にひし形で囲った23という番号が振られています(下の写真)。遺作が電子データとして残されていたというのは、日本文学史上初めてのことだと言われています。

『飛ぶ男』フロッピーディスク

 翌年に新潮社より刊行された単行本『飛ぶ男』は、死後、長年連れ添った真知夫人が原稿に手を入れたバージョンでした。今回は、元原稿を底本として全集に収録されている完全オリジナル版を文庫化いたします。
 安部公房は生前、本作について「ぼくの小説で繰り返し必ず出てくるものに、空中遊泳とか空中飛翔がある。こんどは冒頭から空を飛んでる男のシーンだ。それも携帯電話を持って話してるところから始まる。ものすごく空想的だけど猛烈にリアル」と話しています。壮大な長編になるはずであった本作は、四〇〇字詰め換算で一六二枚分が書かれた状態で発見されました。

「ある夏の朝、たぶん四時五分ごろ、氷雨本町二丁目四番地の上空を人間そっくりの物体が南西方向に滑走していった。(中略)何かを左手に持ち、耳に当てがっている。唇の動きも、誰かに喋りかけている感じ。携帯電話だ。
 どうやら《飛ぶ男》の出現に立ち会ってしまったようである。」

 完成していれば新たな代表作になったことを予感させる、知的で不条理でアヴァンギャルドな安部文学そのもののオープニングです。この物語は一体どこに向かっていくはずだったのか。世界文学の最先端であり続けた作家が遺した最後の物語の行方を、是非想像してみてください。
『飛ぶ男』が遺作である一方で、3月末に刊行される『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』は、その名の通り、世界的な作家への第一歩ともいえる、一九歳から二五歳までの初期作品を集めた短編集です。
 一九歳で執筆した「(霊媒の話より)題未定」は、遺品整理の際に見つかり、原稿用紙に書いてある日付から処女作であると判断されました。田舎町や村を巡って歩く曲馬団の少年が、土地に縛られる定住を切望し始める様を描いた本作には、幽霊や偽物の家族などが登場し、後の作風の要素をすでに見ることが出来ます。
 全集未収録の「天使」は、2012年、実弟の井村春光氏宅で発見されました。精神病棟から抜け出した、外の世界を天国、人間を天使だと信じこむ男。1946年11月の書簡に「船の中から、「天使の国」と言ふ短編を書き始めてゐる」とあり、要約されたストーリーがほとんど一致することから、本作はコレラ患者の多発で、一ヶ月の船中生活を余儀なくされた引き揚げ船の中で書かれたものと推測されています。
 ほかにも「キンドル氏とねこ」には「壁―S・カルマ氏の犯罪」へと繋がる問題意識が潜在しており、“カルマさん”という人物への言及も。のちに芥川賞を受賞した「壁」はこの断章の半年後に着手され、一年後に完成しました。やがて世界に名を馳せることとなる安部公房。その思想の萌芽を鮮烈に伝える初期短編一一編です。
 新潮社は「安部公房生誕一〇〇年」として、2月末から書店店頭でフェアを開催しています。文庫新刊二点に加え、既刊文庫には多くの方々より推薦コメントをお寄せいただきました。是非書店に足をお運びください。他にも「新潮」と「芸術新潮」の3月号で特集を掲載、「波」本誌でも次頁より、ジャンルの壁を越え、様々な表現者の方がその愛を語ります。3月7日より待望の電子書籍も発売。今まで読んだことのなかった方、有名作品のみ読んだことのある方、かつて愛読されていた方、この機会に是非、改めて安部公房に出会ってみてはいかがでしょうか。

(新潮文庫編集部)

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