書評

2024年3月号掲載

日常に溢れる哲学の「きらめき」と「ひらめき」

大嶋 仁『1日10分の哲学』

大嶋仁

対象書籍名:『1日10分の哲学』(新潮新書)
対象著者:大嶋 仁
対象書籍ISBN:978-4-10-611031-3

「哲学ってなに?」と聞かれたら、こんなふうに答えようと思う。「世界のきらめく瞬間をとらえ、それをじっと温め、何かがひらめくまで待つプロセスのことだ」と。
 本書は、そのようなことが読者にも起こってくれないかという期待のもとに書かれた。
 本書には古今東西の哲人たち、科学者や詩人たちが登場する。しかし、それだけでなく、近所の薬局の薬剤師さん、新大阪駅のカフェでたまたま隣に座ったおばちゃんも登場する。なぜなら、名もないそういう人たちの言葉の端々にも、「世界のきらめき」が感じられることがあるからだ。そうした出会いが種子となって、やがて「ひらめき」を生むということもないとは限らない。
 このような書を世に出したいと思ったのは、現代という時代が哲学、すなわち「きらめき」と「ひらめき」の機会を人類から奪いつつある時代だからだ。なにがその原因かと言われれば、画一化、グローバル化のせいであろう。世界中どこへ行っても、「こう考えることは善いことで、こういう発言は悪い」と相場が決まっている。これは思考の自由の抹殺にほかならない。
「画一化すれば便利だ。グローバル化は世界史の必然だ」などと言う人もいるが、およそこれは生命の原理に反する。ダーウィンが強調したように、生命の原理は多様化にある。多様性こそは生命の最大の特徴なのだ。
 画一化が生命の原理を真っ向から否定するものであり、それによって思考の自由が抹殺されていく以上、私たちは死滅の道を歩んでいるとしか言いようがない。
 現代はAIへの依存度が高まりつつある時代である。効率よく情報処理ができるこの知能は、私たちの労苦を驚くほど軽減してくれるが、そこに落とし穴がある。AIの原理は思考の画一化を促進させるもので、これに慣れ親しむと、私たちの思考のもつ創造力が奪われるのだ。
 そういう時だからこそ、哲学が必要である。「きらめき」と「ひらめき」のプロセスを大事にするか否か、そこに人類の運命がかかっている。
 本書を『1日10分の哲学』と題したのは、毎日10分間読めば、少なくとも哲学の種子ひとつぐらいは読者に宿るだろうと思うからだ。その呑み込んだ種子が体内で温められて成長するには半年ないし1年かかるだろう。もっとかかるかも知れない。そういうことが実際に起こることを心から願う。
 哲学の種子を育てたいと思う読者は、本書の気に入ったページに印をつけ、そこに何度も立ち戻ってほしい。そういう読者が一人でもいれば、著者としてはこれ以上の喜びはない。

(おおしま・ひとし 比較文学者)

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